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ライブレポート『Emma-Jean Thackray@Billboard Live Osaka』

サウスロンドン界隈の、現在地確認。

ご機嫌麗しゅう、主宰です。この秋冬はお財布の紐を遮二無二解き、サウスロンドン勢を豪快なまでに受け入れる覚悟を決めました。我ながら金遣い荒過ぎるわ、とはいえチケットが取れなければ全て無に帰すお話。まずはその第1弾アーティストを、ビルボード大阪で無事迎え撃つ運びに。主宰と年子でお馴染み(?)の鬼才Emma-Jean Thackray。

銘盤『Blue Note Re:imagined』で魅せた、新食感「Speak No Evil」も記憶に新しい。最早彼女の存在を前にしてしまっては肩書きだとかミクスチャーだとかクロス・ジャンルだとか、あらゆる表現が陳腐な響きに感じてしまう。しかし裏を返せばそれは同時に彼女の鳴らす音楽がいかに包容力のある、あるいは煙に巻いたり突き放したりできる強固なものかを証明していて。

評論なんて要らない、音で体感すれば全てわかる(はずでした)。

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とはいえもう少し評論チックな書き方をさせてもらいますと、近年サウスロンドンの音楽を追っかけていて特に面白さを感じるのは。時にラップトップ的であり、時にコミュニティ音楽としての側面が色濃く、それでいて非常にフロア志向の強いサウンドとしてアウトプットされがちな点です。先述した通りの全方位性、つまりあらゆる要素において抜かりがない。

その要因について島国在住なりに考察してみたところ、例えばブリットスクールに代表されるような歴史的文化的土壌や、単純に安く住めて才能が集まる街だからといった実に安直なメタ推理へ終始する。「大阪人はホンモノ志向」みたいな古代から続く眉唾論と遜色ない、それホンマでっか!?我々はもっともっと想像力を膨らませなければ、たとい同じ島国出身とて。

真相を確かめるべく、我々はジャングルの奥地へ。

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心持ち上手寄りのカジュアルシートから偵察開始。考えようによっちゃサービスエリアよりもゆったりしていますから、もう堪え切れなくなったら踊り出してしまえば良い。主宰の想定するフロア志向は例えばそういった類で、思わず体が動き出してしまうのは何故なんだろ〜!?の真相に迫ることこそが本来の目的だったはず。踊り方の違いには世代感が映るもの。

これは達郎さんの現場で体感した面白さで。つまり70年代のフォーク全盛期を生き抜いた世代やディスコ全盛世代、あるいは所謂シティポップ世代やそれ以降の打ち込み音楽まで馴染みが深い世代では動きがまるで違う。手拍子や体の揺らし方一つとってもそう。こうしたグラデーション感は、最早現代芸術と言い換えて差し支えない程の絶景で。

より血肉化されたレベルで彼女の音楽性へ迫りたい。

つまり冒頭の年子理論に戻ります。主宰は彼女のような人並外れた才能と出会う度、畏敬の念を抱くばかりでなく出来る限り「混ざり合える」世界線について思い巡らせるのです。つまり1コ違いなんだから見てきた景色や聞いてきた音楽が多少オーバーラップしてたって不思議じゃないはずでしょ!?無理くり言語化すればこう。あくまで経験主義的に、紐解いてみたい。

つまりあのTom Mischだって高々5つ違いで。彼ら程の才能が、例えばFree SoulあるいはNu Jazzブームと無縁だったとは到底考え辛い。あるいはジャジー・ハウス的と言えなくもないか、最近別名義でガッツリ4つ打ちを鳴らし始めた彼。かたや舞台上でシーケンスを操るのはEmma-Jeanただ一人、イヤモニなんてだーれも付けちゃいない。外音頼りであれだけのグルーヴ感…

パーカッションワークの分析に活路アリか?

少し違った角度からさらにメタ考察を伸ばしてみたいと思います、つまり彼女のサウンドを間違いないものとしている要因に「有機的なリズム」が挙げられるのではと。今年ドラム歴20年を数えた経験から、凄く偉そうな顔で物言わせて下さい。あの小物捌きは正直ガチ勢の動きです、間を埋めるとか余興とかそういうレベルのものではない。

10分間で1曲作ってネの動画は皆さんご覧になりましたか。打楽器が山のように映り込んでいる、当然ドラムも難なく叩けてしまう。彼女のヒーローはMadlibなんだそうです。Guiter.comを始めあらゆるインタビュー記事を読み漁りましたがギターからトランペットへ華麗なる転向!!みたいな論調ばかりでリズム分析が著しく欠如していた印象、ここら辺もっと掘れるはずです。

サウスロンドン流の「リバイバル」観。

メタ考察のオンパレードはさておき、それでも限りなくフィジカルな音楽性に拘る最大の理由とは。シンプルに「テクノロジーがなかった時代をリファレンスとしているから」これに尽きる、客層の高さがそれを物語っていて。当日券を買い求める背広姿の多いこと、ドレスコードを意識した着こなしの紳士淑女の皆様はヘタすると主宰より二回り上くらいとお見受けした。

例えばそれは電化マイルス期の吹き姿に彼女を重ねてしまうから、Lyle BartonにRichard Teeの幻影を観てしまうから、Matt Gedrychはどう見たってSquarepusherにそっくりだから。Dougal Taylorは明らかにスウィングジャズを意識したシンバル配置でしたし、クラップスタック1枚だけで七色のドラムマシンサウンドを展開してくれた。押し合いへし合いのサービスエリア。

アルバム表題曲「Yellow」の真意を探る。

世界的に見れば、ポジティブとネガティブその両方を持ち合わせた言わば「全方位的」な色合い。例えばインドでは極楽浄土の道標の色、中国では古代から皇帝の色として。かたや西洋文化においてはキリストを裏切ったユダを指す色とされ、衰退、病気、憂鬱など、否定的な意味を持った歴史がある。国際女性デー、日本の某チャリティーを彷彿とさせるカラーとして。

アメリカでは「怖がり」「臆病者」のスラングとして頻用されるワードらしく、本当にいろんな意味が乗っかっているんですよねー。曲中しきりに繰り返される「Be yellow(あるいはmellow)」にはどんな訳を当てるべきなのか、「The life growing under my feet」とは一体。皆さん、日本盤の対訳には何て書いてありました⁇

英ウェスト・ヨークシャー州、リーズ生まれ。

と聞いて真っ先に思い浮かべたのは、バターカップつまり金鳳花が咲き誇る風景。文字通り、見渡す限りの「Yellow」。何でもかんでもコロナ禍に結び付けてしまうのは些か無粋かもわかりませんが、ひょっとすると一見ダンサブルな楽曲の裏側で故郷を愁いていたのかも。どこか物悲しくも力強く響く不思議な楽曲です。弱い自分を鼓舞するような。まさに表題にふさわしい。

彼女が積極的にイエローを着飾りステージに上がる姿にあれこれと思い巡らせてみた。Adidasのバケットハットを目深に被る「臆病さ」、でも案外にこやか。それなのにTwitterアイコンでは中指なんて立てちゃって。彼女のOn Cueはお決まりのピースサイン、果たしてお腹の中では何を思う。芸事に片足突っ込んでいた身には痛いほどわかる敢えて言葉にせぬ世界線について。

次回予告。

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冒頭お伝えした通り、主宰はこの秋冬にかけ採算度外視でサウスロンドン勢を豪快なまでに受け入れる覚悟を決めた。故に連載第2弾はBlack Midi、第3弾はDry Cleaningの単独公演をレビュー予定。今観ておかないと後々本当に後悔しそうなラインナップばかり、心の底から幸せです。コロナまじどっか飛んでってくれんやろか。熾烈なチケット戦線、なんとか勝ち残ります。

写真は公演後、やり場のない興奮と感動とを馴染みのバーにぶつけた結果。ニッカウヰスキーの新作をソーダ割りで頂く運びとなりまして、いやあ実にスモーキーで味わい深い一杯でしたね。ここに来たらミュージシャンに遭遇するような気もして。昔あったらしいんですよ、なんか知ってる人隣にいるなって。Mayer Hawthorneって名前のおじさんなんですけどね。

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