育児について思うことをふんわりと。
前回の記事「Beyond the Musicを受講した日のはなし」に沢山の反応をいただきありがとうございました。twitter上で拡散してくださった方がいたり、子育てについて深く同意した!という意見も沢山頂きました。講座の内容を友人達に伝えることしか考えていなかった私は、育児に関することはおまけ程度に書いたつもりだったので、そっちの反応が多い!?とびっくり。こんな世の中で「子育てについての親の立ち位置」みたいなことに悩んでいたり興味を持っている方が多いんだなぁ、なんてことを思いました。
そこで今日は、私の経てきた育児と、19年母親業をしてきて今感じる「子供との関わり方の変化」みたいなものを書こうと思います。
突然ですが、私は育児が下手です。「下手でした」と過去形で書きたいところですが、現在、長女が19歳、三人目が5歳。育児の悩みは何人育てても尽きないということが判明しました。育児にコンプレックスを持っていた時期もあったし、確実に失敗したなという思い悩んでいた時期もあります。長女が不登校になっていた時期のことです。当時は原因もわからず、頼るべき病院やカウンセラーにもなかなか繋がらず、ひたすら自分のやってきた育児を責めていました。
■私がぶち当たった育児の壁の数々
PTSD
不登校
発達障害
発達障害の二次障害
難病
病気による不登校
小児喘息
食物アレルギー などなど
ここに普通だったら「受験」という項目が来るところですが、うちの場合は受験生になる以前に人生につまづいてるので推薦入学しています。親がドキドキしないで済みましたが学費は大変、現在進行形。。そしてここには若干書きづらい、自傷事件も二回くらいあります。一番最初のPTSDは自分が生んだ子供ではなく、ちょっと歳の離れた親友のことで、その子の子育てが我が子よりも壮絶に大変だったのですが、話が長くなるので割愛します。ややこしいですね……。
そして、いろんな経験を経ていくうちに、なぜか若い方からのよろず相談事に答えることが多くなり、次女の不登校が一段落した後は不登校の子のお母さんの相談や、ひきこもりのサポートなどにも関わりました。
「普通にしてたら、育児はこんなに大変じゃないでしょ。なにかあなたに問題があるんじゃないの」
と思う方もいるかもしれません。実際、私が引き寄せて無くもないのかもしれませんが、発達障害は家系的なものが多いのですが次女の難病は先天性のもで遺伝的要素はないそうです。これまた偶然、私の子として生まれてきてしまった。そして、上記の問題児は孤児で、私を「お母さんと呼びたいです」と言い張って私の娘になり、病気により24歳の若さでこの世を旅立ちました。
子供はそれぞれ、いろんな課題を持って生まれてきているんだろうなと思います。大小の差はあると思いますが(うちの子供達はなんだかそれぞれ尖りすぎかなと思いますが)、子供自身で解決するには難しいことのひとつやふたつはありますよね。それをすぐ横で見ている親がサポートするか、しないかは、やっぱりその後の子供の人生に大きく関わってくると思います。
育児のなんたるかを書くことは今の私にはまだ無理なのですが、奇遇なことに今年は友人の紹介で教育に関わる仕事をはじめる予定です。それでいまは幼児教育に関する本をいろいろと読んでいるところなのですが、中でも良いなと思った言葉があります。「共育」です。
いままでの幼児教育は、知識のある大人、知識の少ない子供、という一元的な見方をしていて、大人は子供に教える、子供は学ぶ。という図式しか無かったのですが、最近の幼児教育の現場では、子供は子供同士で話し合い、協力してプロジェクトを成し遂げる力を持っていて、そのサポートをするのが保育者や親の役割である。という方向に変わっていっているそうです。子供主体の教育、という言葉もよく使われていますが、幼稚園の中では一歩踏み込んで、アートを用いて子供同士のコミュニケーション力を培ったり、自主的に物事に取り組むことをアトリエという空間を用いて実現しようとしているんです。なんだか……壮大な取り組みのようにも感じられますよね。現実問題、いまの日本ではまだ環境は整っていないのですが、通常の保育の中で一部アートによる表現教育をするそうで、その授業を私が担当することになりました。なんだか、とってもやりがいがありそうだし、私の理想とする育児にピッタリ!!!!
ということで、その授業に向けて素材を集めたり、教材を考えたりということを今やりはじめているところです。
話しは戻りますが、「育児」というと、一方的に親が子供に対して何かをしなきゃ、と思いがちです。私もずーっとそう思って、子供のために何かしなきゃ、自分がやらなきゃ、と思っていたのですが、子供の発信することに耳を傾けてサポートすればいいのかもしれないなぁ……と、歳を重ねて自然と思えるようになってきました。そうすると断然気持ちに余裕が生まれます。
例えば、子供が「遊びたい!」と言ったとき、「今はその時間じゃないからダメ!」ではなくて「いまそれやってたら遅刻しますけど、良いですか」と言うようになりました。そのほうが対等だし、自主性が育ちそうです。
育児のうまい方はこれを自然と出来ていることも多いと思うのですが、下手な私は「私が!やらなきゃ!」と思っていたわけです。育児が下手な原因というのは、要はここなんじゃないでしょうか。子供と遊ぶ。じゃなくて、子供に遊んでもらう。教える、ではなく教わる。そんな気持ちが母親1年生のときに持てたらよかったのに……と激しく思ってます。今年で母親19年生、三女の育児はとっても楽しいし、親子共々のびのびしてます。
自由保育(モンテッソーリ教育を一部導入)の保育園に三女を預けているせいか、毎日公園までお散歩をして、近所のおばあちゃんと体操をしたとか、公園で歌合戦したとか、友達とかくれんぼをするなどのごくごく平和な日常を送っており、このままのびのびしていたら勉強ってどうなるんだろう、と思うのですが、三女を見ていると勉強系幼稚園に入園させた長女、次女より発想力が豊かで語彙も多く、表現力も高いです。一斉保育で勉強をさせることが標準だと思っていた私はこれまた裏切られるというか、幼児期のこどもっていろんな方法で学ぶんだなと実感しています。
今後、小学校へ行ったらどうなるとか、そんな話も今後のんびりと書いてみたいなと思っています。