いつわりのデビュー2
あばかれた秘密
悪夢の一夜を脱出したREIは、早朝部屋に帰りついた。
広瀬がテーブルに顔を伏せて眠っている。
「ごめん……」
REIはつぶやくと、毛布をその肩にかけてやった。
「ん……、玲か」
「ごめんね」
REIは広瀬の背中に顔を埋めた。
「いいよ。ちゃんと帰って来てくれれば」
広瀬は立ち上がるとREIをみつめた。今朝はなぜか女の子に見える。
近ごろ女の子らしい眼差しを時々見せるようになった。
恋でもしたのではないかと、広瀬は思った。
それにしても、顔色が悪い。つらそうにしている。
(いろいろあるだろうに、外の世界は)
広瀬はつい、抱き締めてやりたい衝動にかられる。
だが、思い直したように首を振る。
「また、迎えに来る。それまで少しは眠るんだよ」
定刻にスタジオに入ると、REIは碧海と悠真と顔を見合わせた。
三人揃って、でへへへへ。
不気味なテレ笑いとともに、妙な連帯感ができている。
「さ、今日もガンバローぜ」
「オー」
碧海のコールに三人でガッツポーズ。
撮りが最終章に差しかかったとき、事件が起きた。
REIが突然ブッ倒れたのだ。
OKの声と同時に気を失って、碧海が慌てて抱きとめたのだ。
碧海はREIのあまりの軽さにびっくりする。
顔も血の気が引いて真っ青だ。
「REI、しっかりしろ!」
軽く揺するが意識が戻らない。
「すみません!」
広瀬が慌てて駆け付けるなり、スタッフに謝る。
すぐさに、碧海の腕からぐったりしたREIを奪い、抱き上げた。
ADもすっ飛んで来る。
「救急車、呼びましょうか」
「いえ、控室で少し休ませますから」
冷静に言いながらも、広瀬は血相を変えている。
「お騒がせしました」
一礼すると、REIを軽々と抱いてスタジオから出て行った。
碧海はその後ろ姿を見送りながら、嫉妬のようなものが込み上げるのを感じていた。
(何なんだ、この感覚は。いつもそーだ、REIとアイツの姿を見るたびに)
凛が碧海の横に飛んで来た。
「ねー、REI大丈夫かな?」
「あー」
「あのマネージャーさん、REIにホの字だったりして。ちょっと危ない図だったよね。今の。オレのもんだぁみたいに抱き上げちゃって。キャッ 」
「あー」
「碧海?」
凛は、会話に乗って来ない、碧海の心ここにあらずの様子を不思議に思った。
(そーだ、アイツ、すみませんと詫びながら、目はオレに敵意を向けていた気がする。REIを抱きとめたオレの腕から振り払うように奪いやがった。)
碧海は凛の言葉で、よりREIを奪われたという認識を深めていた。
そこへ結菜も心配して来る。
「ねー、凛。昨日電話したら、REI帰ってなかったんだ。だれと朝帰りしたんだろ」
碧海は思わず噴き出しそうになる。
朝帰りの相手は、他ならぬ自分と悠真なのだから。
「う、うそ、それで過労で倒れちゃう訳?彼ってそんなコだったの?あんなキレイ顔して。相手は誰だと思う?」
碧海の袖を引っ張った。
「さぁーな」
碧海はREIの無防備な寝顔と唇の感触を思い出し、ボッと、赤くなる。
「やだ、碧海。何想像してんのよ」
広瀬はREIを控室の畳に寝かせた。
REIは額に皺を寄せ息苦しそうにしている。
まだ制服の衣装を身につけたままだ。
ネクタイを外し、シャツのボタンを2、3コ外す。
広瀬はその胸元にサポーターのようなものがピッチリ巻き付けられているのをみつけた。胸をかなり絞め付けている。
(戸惑っている場合ではない)
広瀬は思い切ってそれも外してやった。
すると、以前に増してふっくらしたバストが現れた。ペチャはぺチャだが、女の子の立派なそれだった。
ここ数カ月でREIの体はどんどん女の子らしくなっている。
(……恋のおかげか、なんて皮肉な…)
広瀬は思わず目を背けた。
「……ヒロ?」
REIは意識を取り戻し、身軽になった胸に気付いて慌ててシャツを閉じた。
「ごめん。迷惑かけて。ただの貧血だから、気にしないで」
血の気のうせた表情で気を使う。
広瀬は言葉の変わりにその頬に手をあてた。
そのぬくもりが、REIの気持ちを素直にさせる。
今まで、広瀬にも話せなかった生理の事情を伝えた。
「最近アレがメチャクチャなんだ。来たり来なかったり。なったらキツイし。今日は特に重い。こんなこと今までなかったのに。男をやってるバチが当たったのかな。みんな騙してさ」
REIは目にうっすら涙を浮かべる。
男の広瀬にとってそれはとても想像できることではないが、とても、つらそうなことだけは分かった。
「玲、やっぱり無茶だったんだよ。女の子に戻ったらどうだ」
「!!(なんだって)」
その時、彼らの控室の前で聞き耳を立てている男がいた。
フリーライターの秋元だった。
あの少女の件以来、ずっとREIを付け狙っていた。
少女の制服からREIが女子校出身であるらしいと気付いた秋元だったが、どうしても確証がつかめないでいた。
(やはり、女だったか!)
秋元は心の中で手を打った。
そこへ番組プロデューサーが現れた。
秋元は何食わぬ顔でその場を去る。
プロデューサーは、REIの控室に顔を覗かせ、
「REI、大丈夫か?もうすぐアップだから、頑張ってくれな」
REIはコクンとうなずいた。
いよいよドラマの最終回。
クリスマスイブという設定だ。
オープニングタイトル同様に、横浜でロケが行われた。
ラストカット。
夕闇のベイブリッジ。明かりが点灯して、日中とは違う装いを見せる。
よくCMなどでも登場するおなじみのアングルでカメラ位置を決める。
美術のスタッフはツリーを置いたり、雪を降らせたり、それらしい雰囲気をかもしだす。
本番。
碧海は凛を抱き締めてキス。
OKの声と同時にスタッフがクラッカーを鳴らした。
二人は紙テープの嵐。
まるで本物の恋人を祝福しているように見える。
(よかったね、凛、碧海。きっと二人はうまく行くよ。このドラマみたいに)
二人のプライベートでの恋心を知るREIは、切なそうにその姿をみつめていた。
凛はまるでイラストから抜け出たみたいにカワイイ恋人で。自分はどこまで行っても、ただの男友達で。
ドラマも終わるので今までのように碧海に毎日会えるわけでもない。
REIは今までにない切なさと胸の痛みを感じていた。
横浜でそのまま打ち上げパーティーが行われた。
会場はあのベイサイドのクラブだ。
オープニングの時以上に、しっちゃかめっちゃかに盛り上がっている。
「REI」
碧海は無言で隅のカウンターテーブルのとこへ、REIを引っ張って行く。
碧海はかなりマジな表情をしている。
「ラストカットなかなかだったぜ。オイシーとこもって来やがって」
REIはわざとちゃかすように言った。
でも、碧海から笑顔はこぼれない。
「あのなー」
碧海はいったん、戸惑ったように目を外してから、REIをみつめた。
「なんだよ」
「オレ、凛と付き合おうと思っている…。いいか?」
「…ふっ、どっちに対して? 」
REIは努めて軽く突っ込んでみた。
「!!」
碧海は真顔のまま、言葉を失っている。
REIの胸がキュンと痛む。
「オイ、軽く切り替えせよ。前みたいに、妙な間が出来ちまうだろ」
REIは必死で男の子の演技を続けた。
今までで、一番いい演技だったろう。
「…ハハハ…」
碧海から、やっと笑顔がこぼれた。でもかなりの苦笑い。
「凛はいい子だぜ。マブダチのオレが保証する」
「マブダチか…。オレたちも、マブダチのままでいような、これからも」
碧海はふっきったように微笑むとREIの肩にパンと手をかけた。
「あー」
REIも、やっとそれだけ言うと、その碧海の手に自分の手を重ねた。
「じゃあ…」
碧海はすっと離れると、フロアの中央にいる凛の元に行った。
スローバラードにのって、二人はゆっくり揺れる。
「ねえ、碧海。REIと何を話していたの?」
「ヤツとの密約さ。」
「まぁ、危なげね。あなたたちって。でも、ステキなツーショットだったわ。本当の兄弟みたいで」
凛は本当は恋人みたいって思った。
だけど、ちょっぴりしゃくだから、今は言わない。
打ち上げも終わり、REIを乗せた車は、ちょうど多摩川を越えたところだった。
REIは後部座席で、うなだれるようにして、川岸の明かりを目でおっている。
「玲…」
広瀬はフロントミラーでREIの表情を伺う。
「…」
「あれでよかったのか…。碧海のことは?」
「…」
広瀬の問いに無言のまま。
REIは思いが込み上げて言葉にならない。
「本当は女だって知ったら、アイツはきっと、お前を選んだんじゃないか?」
「そんなこと、ない。」
REIはきっぱり言い切った。
「いや、たぶんアイツは、」
「もういいよ。…諦めさせてよ。そうさせるのがマネージャーの努めじゃん。あおるヤツなんてフツーいないぜ」
REIは、碧海への自分の気持ちを自分自身に対し必死にごまかしてきた。
広瀬の言葉に、一瞬でもその可能性を感じ心が揺らぐ自分が嫌だった。
「…フッ、そうだな。ただ、オマエがかわいそうでな」
「そんな言い方なしだよ。いつものことさ。別に大したことじゃない」
REIは突っぱねるように言う。
そして、碧海への思いを封印したのだ。
広瀬は同情するような口ぶりで言ったことを、後悔していた。
玲はそんなことをこれっぽっちも望んでいないことを、わかっていたのに。
とんでもない策略
「お疲れ様でした」
雑誌のグラビアの撮影が終わった。
REIは広瀬と一緒に、防衛庁脇にあるスタジオを出る。
REIはドラマのお陰で、超売れっ子になっていた。
ドラマの中のちょっと屈折した美少年、そんなキャラクターが受けたらしい。
いろいろ葛藤する姿や、意地をはるとこがお姉様世代の母性本能をくすぐった。
ティーンを狙ったこのドラマも、フタを開ければ幅広い年齢層に受け、高視聴率をマーク。おかげで方面から、REIに出演依頼が殺到していた。
広瀬は車に乗り込むと、ミラー越しにREIを睨む。
「玲、昨日ちゃんと寝てないだろう」
「ぎくりっ」
REIはおちゃめなリアクション。
「さすがにスタッフは言わなかったけど、みんな気付いているぞ。化粧のノリは悪いし、目も腫れてる。メイクさんに迷惑かけるんじゃないぞ」
「ごめん」
ポーズだけで、ちっとも反省してない。
「こら、何やってたんだ」
「へへ、碧海と悠真と騒いでたんだ」
REIは楽しそうに思い出し笑いをする。
広瀬はどうもその神経が理解できない。
あんな失恋をしておいて。
「やっぱ、男同士っていいな。サバサバしてて。一生、友達でいられるし」
「そんなもんかね」
「そんなもんだよ。そうだ、碧海ってすごいんだぜ。お正月映画に出るらしいんだ。戦国ラブストーリーとか言ってた」
「えっ、そうか。そいつはすごいな。」
広瀬は、それがREIに内々に出演交渉が来ている映画だったので、驚いていた。
(アイツも出演するのか。あちらさんも考えてるぜ。だが、玲を出演させる訳にはいかない。戦国武将役なんて、できる訳がない。)
マンションに着いた。二人でエレベーターに乗り込む。
「玲。オレちょっと事務所に顔出してくる。それからメシ食いに行こうぜ」
「OK。部屋で待ってる。でも、焼肉はもうパスだよ」
広瀬は苦笑するとエレベーターを降りた。
事務所に戻ると、奥の部屋で看板女優の「阿南香織」と、社長が話し込んでいた。
「許せないわ。この私を差し置いて、REIが主役だなんて」
「君は女優だ。武将役なんかできる訳はないだろう」
「そういうことを言っているのではありませんわ。まったく…。REIに力を入れ過ぎじゃなくって。だいだい、最近、社長は私に冷たすぎるわ」
阿南は、苦々しそうに、映画の企画書を机にたたきつけた。
「お、広瀬。いいとこに戻ったな。ちょっと来い」
社長は形勢が危うくなるや、慌てて広瀬を呼び止めた。
「お話しにならないようね。私、失礼いたしますわ」
阿南は社長の態度に完璧に頭に来て、席を立つと出て行く。
「か、香織。こら、待ちなさい」
慌てて後を追う社長の目の前で、ドアがバタンと閉じられた。
ふーと溜息をつくなり社長が振り返る。
「どーだ。REIは少しぐらい男らしくなったか」
「男らしくも何も、女の子ですよ」
「んなこた、わかっとる! 武将役だぞ。もっと筋肉付けにゃならんし、あの胸もなんとかせにゃならんだろ」
「社長。それでお話しがあるんですが」
「なんだ!」
「あの、この企画、辞退したほうが賢明かと」
「な、なんだと。何を血迷ってとる。こんな大役を逃せと言うのか」
社長は血管が切れそうなくらい怒る。
「ですから、REIの体が男で通す限界を超えているんです。胸だって膨らんできてるし、彼女自身が無意識のうちに女性を意識しだしているんです」
「なに!女に変化してきとるのか。何てこった。定期的に打っていた男性ホルモン剤は効かなかったのか」
「!! 何だってぇ、あれ、ビタミン剤じゃ…」
広瀬はショックで言葉も出ない。
男性ホルモン剤は、性同一性障害の治療にも使われ、月経が停止し、ヒゲや体毛が生え、声は低くなり、筋肉質になり、男性に近づく。
女子スポーツ選手が筋肉増強に使って、ドーピングに引っ掛かるケースもあった。それがREIに投与されていた。
(アイツそんな薬のせいで、あんなに体調を崩して苦しんでいたんだ。薬にも負けず、体は女の子になろうとしていたのか。なんて、なんてひどいことを…)
広瀬は思わず、額に手を当てて顔を背けた。
「そうか、こうなったら、性転換しかないな。胸の手術を手配するか」
ダン!
広瀬は怒りに震えて、テーブルをぶったたいていた。
「あんた、それでも人間か!!」
そう叫ぶと、そのまま事務所を飛び出した。
(なんて事だ。オレはアイツに合わす顔がない。)
エレベーターの前で、デスクの女性と擦れ違った。
「ねー。広瀬くん。REIどうかしたの?血相変えて飛び出していったわよ」
「なんだって!」
(アイツこの話を…。そうにちがいない。迂闊だった。)
広瀬はエレベーターに飛び乗ると、壁を力任せにたたいた。グラリと、箱が揺れる。
エントランスに出たが、すでにそこにはREIの姿はなかった。
さっき降り初めた雨は、一段と雨脚を強くしていた。
ザーという音とともに、アスファルトにたたき付ける。
まるで今のREIの心のように。
広瀬は駐車場に降り、車で飛び出した。
心当たりに片っ端から、スマホで問い合わせる。
事情が話せないだけに、なかなか厄介な作業だ。
碧海にもかける。
「はぁーい」
広瀬の耳に凛の甘ったるい声が響く。
(ここにいるわけがないか)
広瀬はごまかして切ろうとした。が、相手が広瀬だとわかると、碧海が奪うようにして電話に出る。
「どうした。REIに何かあったのか」
(コイツ、さすがにREIのこととなると感がいい。)
何とか取り繕って、行き付けの店を聞き出すことができた。
広瀬はREIのプライベートに極力触れないようにして来たから、お陰で行き先がようとしてつかめない。
そのころ、REIは雨に濡れながら、碧海とすごしたあの桟橋に来ていた。
ビルの明かりが雨に滲んで霞んで見える。
だれもいない。
雨音以外、街の喧噪もここまでは届かない。
このあいだ、酔っ払った碧海と肩を並べて歩いたところだ。
REIはそっと唇に触れてみる。
この世界に入る前、REIは女でいることがいやだった。
自分という存在を否定しているのもいやだった。
家からも離れたかった。
こんな自分を知っている全ての人から離れて、新しい素直な自分になりたかった。
REIは冷たい雨を仰ぎながら、泣いていた。
(でも、だからと言って、体を変えるなんてひどい。ひどすぎる。
そんなことされてまで、自分を変えたくない。
碧海…。君に会いたい。
あんなに心が触れ合った相手は、君が初めてだったんだ。)
広瀬は碧海に聞いた最後の店を出た。
もう、手掛かりはない。
(あんな精神状態なら、一人になれるところに行くだろう。
いや、碧海の元に行きたかったにちがいない。
玲、どこにいる。)
途方に暮れて、広瀬は車をおいたまま、海のほうへ歩いて行った。
一瞬、自分の目を疑う。
鉄柵に腰を下ろし、海をみつめている少年がいる。
(玲だ!)
遠目で顔なんかわからない。でも、広瀬には直感でわかった。
REIに駆け寄る。
REIはゆっくりと立ち上がると、広瀬の胸に顔を埋めた。
全身ぐっしょりと濡れ、体の芯まで冷えきっていた。
広瀬はしっかりと抱きとめる。
「オレ、男になんの、ヤだからね」
「あぁ、わかってるよ。そんなことはさせない。……カゼ引くぞ」
広瀬はREIを車に乗せると、ある、決心を固めていた。
REIも少し脅えたような瞳で広瀬の次の言葉を待っていた。
もう、事務所には戻れない。
「安心しろ」
広瀬がそう言ってやると、REIは微かに微笑した。
車が発進する。首都高に上がり、そのまま中央高速に乗る。
REIは毛布にくるまったまま、ずっと黙っていた。
だが、八王子を過ぎたころ、
「ヒロ、どこへ行くつもり?」
REIは少し心も暖まったのか、話し方に落ち着きを取り戻していた。
「蒲田俊春氏の所だ。」
「えっ、あの有名な脚本家の。知り合いなの?」
「何かあったらたずねて来いって、目をかけられていたんだ。これでも、役者時代にな」
「マジ?大根だって自分で言ってたじゃん」
REIは元気が出ると、すぐ憎まれ口をたたく。
「あのなぁ…。オレだって、ドラマをやっていたんだぞ」
広瀬は溜息をつき、急にマジな表情を作る。
「自分の心に嘘をつくな。それが一番相手を傷つけることだってあるんだ。偽りの愛なんて誰も要らない。そう、アイツはオレに怒鳴ったんだ」
!!
(碧海が凛に言ったセリフだ。あのベイブリッチで)
REIは広瀬があのシーンを再現しようとしているのに気付いた。
REIの脳裏にあのシーンがフラッシュバックして行く。
碧海が凛を抱き締める。
凛はその胸に顔を埋める。
「だからオレも自分の心を偽るのはやめた」
広瀬は碧海のセリフ回しをそっくりまねている。
あのちょっと間をためて、ぶっきらぼうに言う、あの話し方を…。
「初めて会った時から、オマエに魅かれていた…」
REIは胸がキュンと痛くなる。
そんな気分に負けないように、ちゃかすように言った。
「抜けてるよ。肝心なセリフが」
広瀬はちょっと間をおいてセリフを言った。
「好きだ」
でも、最後の一言だけ、妙な棒読み。
せっかくの世界をぶち壊している。
REIは噴き出して笑った。
「やっぱり大根だ。キメゼリフはずしてる」
「悪かったな」
広瀬はむくれて見せる。
(こんな大切なセリフ、他人の物まねで言えるか。)
広瀬は碧海のセリフを言いながら、REIを誰よりも守りたいと思っている自分の気持ちに気づいていた。
「とにかく、今は彼を頼るしかないのさ。今回の映画で脚本を担当されているんだ」
広瀬は気持ちを正すように、しっかりとした口調で言った。
茅野のインターを降りた時には、もう夜の11時を回っていた。
蒲田氏の蓼科の別荘につくころには、深夜になってしまうだろう。
翌朝たずねることにし、近くで宿をとることにした。
ペンションとは程遠い、古びた日本風の旅館。
そのほうがREIの素性が割れにくいだろう。
8畳ぐらいの和室に通された。
二人はやっと一息つく。
REIは部屋風呂から上がると、浴衣姿になった。
「なかなか色っぽいぜ」
「まっ、おひとつ。」
REIはわざとしなをつくって、広瀬にビールをついでやる。
「これなら、女の演技も大丈夫そうだな」
「今の、地でやったんだけど」
REIが睨む。
「おれたちって、どんなふうに見えたかな。旅館の人とかに。荷物一つなくてさ。かけおちとか、兄弟とか、ねえ、ヒロ」
「そうだな、玲は何がいい?」
そう言って広瀬はテレビを付けた。
「!! なんだよ、コレは!」
二人とも目が点になってしまった。
なんと二人の顔が画面にドンと出ている。
『本日夕方、人気アイドルREIさんを誘拐したと思われる容疑者、元マネージヤーの広瀬勇は、依然行方が分からず……』
などとアナウンサーがまじめくさって、原稿を読んでいる。
「誘拐?オレがぁ?」
「オレは人質ってヤツ?」
二人は顔を見合わせた。
そのとき、廊下でガタガタ物音がした。
フロントも今のニュースで彼らに気付いてしまったようだ。
「やばいっ、どうしよう。捕まったら、シャブ浸けにされて、男にされちゃうよ」
「アホッ、ドラマの見過ぎだ。とにかくこの場は脱出したほうがいい」
REIを素早く着替えさせ、窓越しに外へ抜け出す。
このまま山伝いに行けば、蒲田氏の別荘へたどり着けるはずだ。
車のキィはフロントにある。
広瀬たちは歩きでいくしかなかった。
真っ暗な山道。月明かりだけを頼りに歩く。
広瀬はREIの前方を歩きながら、
「しかし、参ったな。こんなことになろうとは」
「あの社長の性格ならやりかねないよ。事件にしちゃえば、どこもオレたちを引き取ってくれないもん」
「玲は読みが鋭いな」
「そんなの常識だよ。だからさっき、モーテルにすればって言ったんだ。あそこなら顔が割れる心配がないだろ」
「あのなー、いくらこういう状況だからって、女子高生を連れては入れるところじゃないぞ。教育上、悪すぎる。」
「ヒロって堅すぎるよ。だからその年で彼女ができないんだ」
「大きなお世話だ」
広瀬は木の枝をバキッと折った。
「別にいいじゃん。でっかいWベットがあって、ビデオ見放題なんだろ。碧海が言ってた」
(アイツめ、とんでもないこと教えやがって)
聞いてる広瀬の方が赤くなる。
「まったく、お前はロクな情報を仕入れないな」
「オレ、ヒロと同じベットに眠っても平気だよ」
「負けたよ。おまえにぁ」
広瀬は溜息。
(危なっかしい言動をしているけど、中身はまたまだ子供だぜ。本当の男を知りもしないで……)
一時間程歩き、そろそろ別荘地区の敷地内に入れるはずなのだが、一向に
それらしいものがない。道を間違えたらしい。
REIの足取りもやけに重くなって来ている。
「どうした?疲れたか?」
広瀬はREIの手を取った。
熱い。
「…へ…平気だよ……」
息使いが荒く、様子がおかしい。
広瀬が額に手を当ててみると、かなり熱が出ている。
あの雨やこんな逃飛行だ。無理もない。
「玲、しっかりしろ。もう少しだガンバレ」
広瀬はREIの肩を支えながら歩いた。立ち止まることはできない。
一刻も早くここから脱出しなければと、ひどく焦っていた。
そのとき、遠くを通り過ぎる車の明かりに気を取られる。
広瀬はうっかり足を踏み外す。
道の脇がガケになっていて、下のほうに小さな沢があった。
二人はそこめがけておっこちる。
5 6メートルは転がり落ちたか……。
ドスッ。
二人は折り重なるように倒れ込んだ。
そのまま気を失ってしまい、動けなくなった。
どれくらいたった頃か、通り掛かりの車のライトが二人の姿を浮かび上がらせていた。
広瀬は気がつくと、ベットの上で寝ていた。
もうすっかり朝になっている。
包帯をあちこちに巻かれ手当されて、別荘のゲストルームにいた。
フッと記憶を取り戻して、広瀬は跳び起きた。
「玲、玲は!」
思わず叫ぶ。
「大丈夫だよ。向こうでよく眠っている。」
そう言って入って来たのは、誰あろう、蒲田俊春氏本人だった。
「せ、先生! どうしてここに?」
広瀬はぶっとんだ表情をする。
「この男に礼を言うんだな。君達を拾って、私の家へ連れて来てくれたんだから」
現れた男は、あのフリーライターの秋元だった。
「あんたたちの事情は全てこっちで調べさせてもらいましたよ。いやぁ苦労しましたよ。山中の逃飛行には」
にやりとほくそ笑んでいる。
「なんだって!!」
広瀬はその言葉にひどく動転していた。
そこへ看護婦が呼びに来た。
「あの、気付かれたようです」
広瀬は他の部屋へ案内される。
ベットに横たわるREIは白く透けるような顔で広瀬をみつめた。
「熱はなんとか下がりました。怪我は軽症で痕に残るような傷はありません」
そばにつく医者は聴診器を当てるため、胸を開こうとした。
「あっ、ちょっとここでは、」
広瀬は慌てて、その手を止めようとした。
だが医者は全く気に止める様子もなく、シャツのボタンを外す。
ふっくらとした胸が露にされる。
「ほう…」
蒲田氏は感嘆の声を漏らす。
REIは何を思っているのか、全く無表情だった。
「ど、どうか皆さん。この件はご内密に願います」
広瀬は慌ててその場で土下座した。
「君はまだそんなことを言っているのか。しょうがないヤツだ」
蒲田氏はREIの方を見ると、
「安心して休みなさい。何の心配もいらないからな」
REIもコクリとうなずく。
三人は別室へ移った。ダンロのある広い居間だった。
蒲田氏と対面して、ソファーにすわる。
どんなに上質なソファーでも、広瀬にとって針の筵のようで居心地が悪い。
「お願いします。REIを助けてやって下さい。こんな事件になって、私はどうなってもいい。あの才能を救ってやって欲しいんです。先生の手で!」
一気に拝み倒す。
「わかっている。任せておきなさい」
蒲田氏は深く頷くとゆっくりと話し始めた。
「私はね、君に感謝しているんだ。あの子を救ってくれてね。もしあのまま手術でも受けた日には、あの子の感性はボロボロになってしまっただろう」
「そ、そこまでご存じでしたか」
秋元は、にやりとして、
「実は私も、REIが女だって知った時はそりゃあ驚きましたよ。そこでスクープすることもできた。だが、お宅の社長のやり口には前々から、頭に来ていてね。先生にご協力することにしたんですよ」
蒲田氏の方を見る。
「本当に間に合って良かった。今度の脚本はね、古典のとりかえばや物語が下敷になっているんだ。まだ君の事務所には詳しい企画内容は伝えてなかったがね」
「とりかえばや物語?」
広瀬が不思議そうに聞き返すと、蒲田は嬉しそうにその話をしだした。
戦国時代。どうしても落ちない小国があった。
そこの若き武将は文武に秀でたうえに、たいそうな美形で、領民にとってはカリスマ的な存在だった。ところが受けた矢傷が元で急死する。
そこで双子として忌み嫌われ里子に出されていた姫を影武者に立てることになった。
立派に代役を務めるのだか、敵方に寝返った家老に正体を暴かれてしまう。
しかし、女だてらの健気な戦いぶりに、領民も心打たれ国を守り通す。
という話だった。
「じ、じゃあ、その姫役をREIに…」
広瀬は興奮し切っていた。
「そうだ。実はいろいろ候補を探していたんだ。内々に、新人から歌舞伎役者までな。秋元くんから真相を聞かされ、彼女において他にないと思ったんだよ」
「あ、ありがとうございます」
広瀬は深々と頭を下げた。
真実のデビュー
REIは蒲田氏の紹介で、大手のプロダクションに移籍することができた。
広瀬も彼女専属のマネージャーとして転職した。
いろいろ揉め事もあったらしいが、そこは大手。
蛇の道は蛇。圧力をかけて揉み消したようだ。
そして無事、お正月超大作映画はクランクインした。
撮影初日、久しぶりのスタジオにREIは緊張を隠せなかった。
体育館ぐらいあるスタジオの中は、すでに武家屋敷のセットは組み上げられている。
出演者は皆、それぞれの衣装を身に着け、メイクも万全だ。
ちょっとしたタイムスリップ気分になる。
さすが映画となると、ドラマとはスケールが違う。
ずらりと揃った有名なベテラン俳優陣が、出番を待っていた。
そこには碧海の姿もあった。
彼は姫を慕う側近の役。
碧海はREIの姿を見付けると、ツカツカそばにやって来る。
カツラを付け、太刀を差し、若武者の衣装をしている。
なかなか精悍な感じで似合っていた。
とてもマイクを握って歌っている人物とは思えない。
REIも二役の、兄の武将の衣装を身に着けていた。
「REI、いろいろ大変だったみたいだな」
「あー、とにかく今はうまくいったよ」
REIは、今回の一件で碧海や凛たちとも、音信を立っていた。
会えば、事務所の事情や性転換させられそうになった話など、しなければならなくなる。
「何があったか、わからないけど……もう大丈夫そうだな」
と言って、碧海はREIの肩に手をおいて下を向いた。
碧海は何も相談して来なかったREIに、かなり不満だった。
聞きたいことが、山ほどある。
REIはそんな顔をしている碧海を優しくみつめ、心の中で誤る。
(ごめん、碧海。まだ本当のことは打ち明けられないんだ。あの瞬間まで。
だから、待ってて。)
そう、あの秋元も、監督も、蒲田氏も、あの瞬間を待っているのだから。
撮影はクライマックスに入っていた。ロケでの戦闘シーンは完了し、場内でのセットシーンを残すのみとなっていた。
ついに姫の正体がバレるシーンが来た。
中央に座するREIを全員が固唾を飲んで見守っている。すぐ横に碧海も、姫を守るように控えている。
「これが動かぬ証拠ぞ」
家老が書き付けを掲げて叫ぶ。
双子の妹を影武者にするという内容の、乳母に当てた密書だ。
ピンと糸がはったような、静寂。
「…いかにもっ」
REIは意を決し、スルリと両肌を脱いだ。
そして、ふっくらした胸をさらけ出した。
スタッフ、出演者一同、目を点にしたまま唖然としている。
カット割りでは、本当の女性の胸のシーンをつなぐことになっていたのだから。
監督の密命を受けたスタッフは、カメラを回し続け、ワンカットで取り終えた。
カット!!
と同時に一斉に驚嘆の声が沸き起こる。
それからもうパニック。
碧海はあんぐりとして、そこに目が固定されたまま。
「ま…まじぃ??特殊メイクだよな」
声を引き釣らせたまま、そっと胸に手を伸ばす。
「本物だ。バカッ!!」
REIは碧海の手をはたくと、恥ずかしさにパッと前を隠した。
たった一瞬のそのカットを収めた秋元は、さっそく契約しているスポーツ紙にスクープとして流す。超特ダネだ。
他の週刊誌を初め、各マスコミが話題騒然になった。
蒲田氏も監督もしてやったり。
最高のパブリシティになった訳だ。
これでお正月映画、邦画部門ではトップの配収が見込まれるだろう。
ラストシーン。
REIが初めて女の姿で登場する。本来の姫の姿で領民に応えるというシーンだ。
豪華な衣装をまとったREIがセットに上がる。
気品に満ちた美しさはどう見ても男には見えない。
碧海は介添え役だ。
溜息をつきながらREIに見とれている。
「キレイだ」
REIは微笑。
「本当のことを言ってくれれば、オレも悠真も悩まずにすんだのに」
「ふふ、マブダチでいたかったんだ。一生つき合っていけるだろ」
「ったく。女だからこそずっと一緒にいられるってもんだろうが…」
眩しそうにREIをみつめ、やがて、言葉を選ぶと、
「これから、女優をやっていくのか?」
「さぁ、分からないな。これから自分が何色に染まって行くかなんて……」
REIはちらりと広瀬の方を見た。彼は優しく微笑んでいる。
「そうか、だったらこの色を薦めるよ」
碧海はREIの着物を指した。
「え?」
「碧色っていうオレの名前の由来の色さ」
「ありがとう。とりあえず参考にしとくよ」
「コイツッ」
碧海は笑いながら、REIを小突いた。
映画が全国一斉に公開される。
そのタイトルロールの最初に、『桜樹 玲』の名があった。
もう、この世にREIは存在しない。
完
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