【たまチカ003】東京駅第二乗降場
中央停車場こと東京駅は1914年に開業した、言わずと知れた日本の大鉄道ターミナル駅である。
1日あたりの列車発着本数は3000本とも言われており、また当駅からは30以上の都道府県へ乗り換え無しでアクセスできる。
そんな東京駅のなかでも、5,6番線ホームは、5番線に山手線外回り(品川・渋谷方面)、6番線に京浜東北線南行(蒲田・関内方面)の列車がひっきりなしに行き来する、“忙しい“ホームである。
実はこの5,6番線ホーム、1914年の東京駅開業と同時に設置された「第二乗降場」そのものなのだ。
その面影は、ホームの有楽町方の端に認めることができる。
そこには、2015年まで使用されていた鋳鉄製の柱が2本、残されている。
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列車の進行方向に向かって歩みを進めると、ひと目みただけではわからないが、よくよく見ればほかの柱とは風合いの異なる2本の柱があるのがわかる。
そしてその2本の柱にそって天井に目を転じると、屋根と分離しており、今は使われていないことがわかる。
この柱、2015年ころまでは「現役」で使用されていたらしいが、100年を超える使用をしたために傷みが目立ち、使用を取りやめて新たな屋根に立て替えたそうである。
そして、そのうちの2本が「開業当時の姿を後世に伝えるため」(案内板より)、のこされたのだそうだ。
こちらは先程とは反対側、つまり山手線側の柱だ。
もう一方の柱もそうなのだが、施工年次と施工業者の刻印がなされている。
まず目に入るのが「明治四十一年」の文字だ。西暦にすると1908年、赤旗事件が起きたり、戊申詔書が出されたりした年である。
東京駅の開業は1914年であるが、東京駅の公式ホームページによれば「中央停車場」(のちの東京駅)の建設はこの年から始まったことがわかる。
また、施工業者は「株式會社」「東京」までは読めるがその下が削られていて判読できないが、さまざまな文献資料によれば「株式會社東京堅鉄製作所」のことだろうとわかる。
東京堅鉄製作所とは、東京都深川区(当時)に所在し、植田六郎平という人によって創業された工場らしい。
『諸官省用達商人名鑑』(山口晋一編、1911)ではこのように紹介されている。
なるほど、同所の製品と仕事には定評があるようである。
ちなみに、であるがこの東京堅鉄製作所の工場の設計を手掛けた人物に曽禰達蔵という人物がいる。彼は辰野金吾と同郷(肥前)でともにコンドルの指導を受けていた人物で、三菱一号館~三号館や長崎造船所占勝閣、慶應義塾大学図書館など三菱、慶應義塾関係の建築に深くかかわっている。東京駅の丸の内駅舎の建築を担当したのが辰野金吾であることなども鑑みれば、三菱-慶應と東京堅鉄製作所との関係もフカボリしがいがありそうだ。
たまたま近くまで、きたものですから。
★本記事執筆にあたっては以下の文献・サイトを参考にした。
今泉飛鳥「産業集積の肯定的評価と集積内工場の特徴―明治後期の東京府における機械関連工場を中心に―」(『歴史と経済』第201号、2008年)
山口晋一『諸官省用達商人名鑑』(1911.3)
https://www.biz-lixil.com/column/pic-archive/inaxreport/IR167/no167_p04p14.pdf