ラーメンたべたい
ラーメンたべたいという歌
「ラーメンたべたい」というのは、矢野顕子さんの1984年発表の9枚目のシングル曲のタイトル名で、同84年発表の「オーエス オーエス」というアルバムにも収録されている楽曲です。
かの山下達郎さんが矢野さんの事を、「歌詞に最も食べ物が良く出てくる作詞家である」と評しているように、食べ物が大々的に歌われた矢野さんの楽曲の中でも名曲の一つでしょう。
自分勝手に作った歌だと思われていた
因みにこの曲が大好きな私は、ラーメンを食べに行く度にずっとこの歌を口ずさんでおりました。家族は私がラーメンを食べたいがために、それを聞くたびに私が勝手に「ラーメンたべたい」と思い作った歌だとずっと思っていたようですが、最近ある日何気なく私が矢野顕子さんの「オーエス オーエス」を聴いていたところ、家族は初めて私が自分で勝手に作った歌ではないのだ、と知り驚く事になりました。
歌詞
歌詞を分析
ちょっと聴いただけでは、この歌は、主人公がラーメンをただ食べたい方で、ラーメン愛に溢れる「ラーメン讃歌」のように聴こえます。
ふむふむ、ラーメン食べたい時はこんな感じだよな。
熱くてうまいの食べたい、
今すぐ食べたいよな。
醤油系かな?
塩かな、味噌かな?
もしかして家系ラーメン?
ひょっとして意外と二郎ラーメンかもしれない。
なんて、
ここまで聴くだけだと、こんな風に想像させられます。
しかし、次に、
ここで、この歌をラーメン讃歌だと思っていた方は驚くのです。
え?
チャーシュー要らないの?
なると、という事は、
醤油系ラーメンだな。
でも、なるとも要らないの?
半熟煮卵は?
要らない。
えっ?
タンパク質無しですか?
だけど、ねぎやにんにくはたっぷり入れるのか。
「ネギ属」たっぷり。
もやしも、
要らないらしい。
新しいラーメンの形の誕生か?
ここまで、ラーメン愛に溢れた歌かと思っておりましたが、そのイメージは聴くにつれこれ以降バッサリ崩れ去ります。
こうなってくると、ただのラーメン愛に溢れた歌では無くなってきます。ラーメンをひとりで食べている、しかし、
男もつらいけど、
女もつらいのよ。
と急に切ない思いを吐露し始めるのです。
男性だから、女性だからは関係無く友情を築いていけるなら、良いのにと、1984年発売当初、彼女が感じていた、ジェンダーギャップの主張を一足早く矢野さんはラーメンに託して歌にしていたのだ、と現代の今だから、なお一層強く感じるように聴こえてきます。
男だから、女だから、
友情関係を築けない、
そんな事を考える、くたびれる毎日ではあっても、
友達関係を築いていきたい、
でも、それが容易ではない、
だからこそ、この主人公は、
相手に自分の複雑な気持ちを相手に分かるように、
大きな文字で手紙を書くのかもしれません。
それでもこの主人公は、負けようとしません。となりにすわる恋人達には目もくれず、ひたすら自分の頼んだにんにく、ねぎ、たっぷりのラーメンを、
「責任もってたべる」のです。
ラーメンになぞらえて、ジェンダーギャップに関する問題を自らの責任もって一人でラーメンという存在に向かいつつ、
これは自分の問題だから、と、
責任もってたべる、
のでしょう。
<中略>
この主人公は、友達になれるはずの人とひととき恋人になってしまったのかもしれません。
ここで、主人公は、にんにく、ねぎたっぷりのラーメンを泣く思いで食べている様子が描かれています。何となくある意味やけっぱちな気持ちのようにも聴こえてきます。
だからこそ、においの強い、
にんにくや、
ねぎ、
たっぷりのコッテリしたラーメンを一人でガツガツ食べるような気がしてきます。
84年というと今とは大分価値観が違います。
今では女性が一人でガッツリラーメンを食べている光景をよく見ますが、約40年弱前では女性がラーメンをひとりで食べるという事は、ある程度勇気のいる事だったのかも知れません。
やっぱりラーメンと矢野顕子さんが好き
ラーメンは結構ハイカロリーな食べ物ですが、好きな人には、まるで魔薬のような食べ物で、私もその中毒の一人です。
そして、矢野さんの歌は決して、堅苦しいものを題材に作詞、作曲をされている訳ではなく、身近なもの、食べ物など聴く人が自分の生活に置き換えられるものを通して深い人間関係を歌にされる正しく「天才」だと思います。
かなり自分の主観の入った、
「ラーメンたべたい」論でした。ご静聴ありがとうございました。
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