コロナ禍のクリスマス

Merry Christmas and Happy New year!

久しぶりにちゃんと投稿をします。
クリスマスと言っても色々な宗教の方もいらっしゃるので、不快に感じられる方もおられると思いますので、まぁ、そのようにお感じの方達には「早めの新年お祝い」と思って頂ければ良いかと思います。私はクリスチャンなので一応「メリー・クリスマス」と言っておきます。

さて、今年、私達は例年とは違うもの凄い年を迎えましたね。新型コロナウィルス、COVID-19が年明けから騒がれ始め、最初はそれを「ただの風邪の一種」だと思われた方も多かったのではないでしょうか?かく言う私も3月頃までは、自分が気を付けてさえいればうつることはないだろう、うつすことはないだろう、ましてや後遺症の事など思いもよらず、軽視している部分がありました。反省しております。
しかし次第にこのウィルスが世界中で猛威を奮い始め、様々なウィルス学、感染症学の専門家の方々のご意見を拝見して、あ、これは人類が久しぶりに出会う「存続の危機」なのだな、と思うようになりました。
そしてこのウィルスの感染経路というのは、人間達が最も大切だと思っていた、「コミュニケーションの取り方」を一から考え直さないと防御出来ないものである事が分かってきました。
仲間、友達、恋人そして家族と何も考える事なく握手をし、ハグし合い、食事、お茶やお酒を楽しみながらお喋りをする事など、親しい人間達と楽しい時間を過ごす、そんな楽しい大事な時間を持つという基本的だと思われていた様式がことごとく否定されかねない時代になってしまいました。

そのような息の詰まるような時代の閉塞感からか、私の近くでは、コロナ以前は、会って話せば多少の事が分かり合えていたはずの人間関係にもインターネットを通してヒビが入ってしまい、結局取り返しのつかない事にもなり友情関係が破綻してしまった人もいました。その人は今まで出会った事のないこのコロナ禍の状況にどのように対処して良いのか分からず、その「分からない感情」「苛立ち」「恐怖」を私にぶつけてきたのだろう、と今になって思います。私は勿論神様仏様ではないのでその私に向けられたネガティブな言葉を受け止められる筈もなくただ自分の非力さを嘆くだけでした。
私だけではなく、そのようなギスギスとした「分断」は今年皆さんの周囲に於いて色々な局面で現れたはずです。

ところで、COVID-19の感染経路を無視するかのように我が日本の現政権によって進められた人を動かずGoToキャンペーンですが、私は感染学の専門家では勿論ありませんのでそういった観点からは何も言えませんので、個人的な一人の友人の話しからこの政策の問題点を考えてみたいと思います。

彼女は、私が昔とあるクラブのレギュラーDJをしていた時の店長でした。そしてよき夜遊び友達でした。勿論今でも仲は良いのですが、お互い環境が変わり疎遠になっていました。
先日、ふと彼女は今どうしているだろうと気になり、LINEをしました。すると電話で話したいという事になり今まで10数年話さなかった時間を埋めるかのようにLINEの電話で4時間近く話しました。
私と連絡を取らなくなってから彼女は、ある男性と出会い結婚したとの事でしたが、ご主人に何らかのトラブルがあり離婚し、現在はその間に出来た一人の息子さんと一緒にシングルで子育てをしていたらしいのですが、元ご主人から入るはずの養育費は入る気配も無くやっと見つけた仕事にありつきつつ苦しい日々を過ごしていたところ、このコロナ禍でその仕事さえ失ってしまい、失業手当てでやっと毎日を一生懸命生きているとの事でした。
彼女のような立場の人々は現在決して少なくなく、この時代ますます増えているでしょう。
GoToトラベル、GoToイート等に行ける人々は彼女のような人々ではないのです。そこには紛れもなく「格差」が生じているのです。勿論この国の政策で進められているこのキャンペーンを使う人々を責めているわけではありません。
むしろ、彼女のように生きていくのがやっとの人々を置き去りにしているのが現政権の推し進めている政策で、彼女、そして彼女のようなサイレント・マジョリティを無視して推し進める政権のあり方に強い違和感を感じざるを得ません。

さて、話は変わりますが今年は私の仲良くしている近くの友人が、重病を患い、大きな手術を迎えました。私自身は自分が何度も死にそうになったり、大きな病気や障害も抱えているので、自分の不健康さには半ばもう慣れてしまっているところがあるのですが、仲の良い友人が大病を患い大きな手術を受ける事になり、自分の出来る事は何でもしたくとも、特にこのコロナ禍では、祈るしか無く、毎晩神頼みでドキドキしておりました。幸い手術は成功に終わり、現在彼は少しずつ日常を取り戻している様子で非常に安心しております。

また、オンラインで海外や遠方に住む古くからの友人達と昔話に花を咲かせたりお互いの近況報告をしたり、コロナ前より遠方にいる友人たちと話しをする機会が増えました。電話をする事も多くなりました。またメールではなく直接お手紙を頂く事も増えました。そして古くからの友人が期せずしてこの湘南の地域に越してきて二人で会ったり頻繁に話したり出来るようになり、今改めて、心の通った友人の大切さを噛み締めております。

そういうわけで、今年は自分がどうこう、というより、日本、世界のCOVID-19周りの事や、友人達の事で心がギューっとなる一年でした。
と綺麗ぶってそのような事を書きましたが、しかし私もか弱い人間です。自分の視力も原病のせいで日増しに衰えております。私が視力を失うのはいつなのか、すぐ無くなるのか又は死ぬ間際まで残っているのか、それを知る人はいません。私も私自身の事で毎日少しずつ微かながら心がギューッとなりがちですが、見えるうちは見える事をちゃんと楽しみ、見えなくなったら、きっと視覚に寄らない今まで見えなかったものが見えるようになると信じて毎日を生きております。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」
(ヨハネによる福音書3章16節)
その独り子とはイエス・キリストであり、その誕生日がクリスマスです。

どんな辛い戦いの日々が続いても、いずれ愛の力が私たちに光を与えて力を与えてくれる、だから私たちもこのギスギスした世の中でギスギスせずに、隣人、友人達に愛を持って接するべきなのだ、と真剣に思っています。

そして、医療に関わる人々に力と慰めを、そして早く良いワクチンや特効薬が開発され、それが地球上の全ての人々に格差なく行き渡り、人間が近い将来、この病に打ち克つ日を待ち望みたいと思っております。
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