信頼されてると思ったらネグレクトだった話。
小さい頃からしっかりしたお嬢さんだと言われ続けていた自分。
小学校にあがり伯母の家に引き取られ、少々雑な扱いを受けたり高学年になりある程度の強さをつけるまでは嫌な事も多々あった。
が。
伯母の家に住むようになってしばらくしてからの少々の口喧嘩?で食事が別に取ることになっても渡されたお金で食事も出来るし文房具も揃え、学校さえ行き渋ったり伯母に手間をかけさせたり不機嫌になる行動を避けてササッと部屋に潜り込めばそこまでの被害からも回避する能力をつけていたし、伯母の自慢の姪である役職や活動(もちろん無償で出来ることに限られるが)を積極的にすることにより「早い年齢から身の回りのことをすべてやり自立し生活できる自慢の子ども」になっていた。
だから伯母もお金も渡して好きに生活もさせるし出かけることも何も言わないのだとばかり思っていた。
掲示板で一時期話題になっていて自分でも馬鹿にしていた放置子である自覚は皆無だった。
正直に言えばたまにエピソードを見てアレ?と思うところはあった…が見なかったふりをしていた部分もある。
自分の中で唯一誇れていた事が「しっかりしたお嬢さん」だったプライドが許さなかったのかもしれない。
容姿でいじめられても否定はせずに勉強で勝てば良い、もちろん大して勉強ができるわけではないし絵も音楽も振るわずに、体育もルールが分からずに最低の点が着く始末で顔を合わせれば愚痴愚痴と始まり私の聞く態度が悪ければヒステリーの発作を起こされる。
それでも周りから「しっかりとした子ども」と評価される事だけは常に伯母の自慢だったのだ。
放置子でありネグレクトだった事を受け入れる事は、信頼からの放任主義であった事を否定であり、自分が「しっかりしたお嬢さん」であるという唯一のプライドも否定しなきゃいけなくなるという恐怖があるのだと思う。
自分の中の思い出のひとつひとつのエピソードがぜんぜん違うものに変わってしまうんじゃないかという恐怖すら感じるのだ。
何かを受け入れる事は思った以上に重い。
今は楽しいことに全振りして、必要じゃない事には目を薄めて眺めるぐらいでちょうどいいのかもしれない。