見出し画像

”なんで”なんてわからないよ

「僕は同性愛者です。生まれた性は女性なのでレズビアンです。」
未だに違和感のあるこんな自己紹介をしなくても、自分らしく過ごせる時が来たら良いな。

僕がいつから女性を好きだったのか・・・。同性愛だと伝えると決まって聞かれるこの文句。

ヘテロの人は答えられるのかな?

「あなたはいつから男性を好きになりましたか?」

「それが憧れとは違い、明確な恋愛感情だといつ気づきましたか?」



今にして思えば

この言葉が最強にして余分も不足もない最適解な気がする。

僕の家族は生まれた時からぶっ壊れていたし、”普通”の愛情なんて知る由もない。結婚も家族にも子供にも興味なんてなかった。

思春期になって、成人になって、社会人になって、色んな情報に触れて、沢山の人とお試しをして、それでも僕が女性に惹かれることは治らなかった。

女性に感じる愛おしさや熱量を、男性に感じることは一度もなかった。

受け入れるしかないと諦めがついた時には、もう30代で同い年や年上の独り身の方はほとんどいなかった。


高校のはつ恋。もう誰も好きになる事は無いんだろうなぁ・・・

画像1

高校は大阪にある私立の共学だったけど、僕は当時の実家(京都)からは通える距離じゃなくて、入試の時点で下宿を選択しての受験だった。

当時の僕は、僕史上一番頭が良かったので無事下宿生として、とんでもない倍率を突破して合格。

大人数との共同生活への不安とか、1つの学校に通い続けられる喜び、進学コースでついて行けるのかへの不安・・・色んな感情があったけど、何より嬉しかったのは「家を離れられること」だった。

初めて、「何かに怯えずに過ごせる安全な場所を手に入れた」はずだった・・・。

勘違いしてほしくないですが、当時の同級生や姉妹達は素晴らしい人たちだったし、学校もあの高校に通えていなかったら僕は今生きていないと断言できます。

ただ、僕の人生があまりに過酷で、あまりに「普通」とかけ離れていたのかを、普通に暮らしてきた子達との日々でまざまざと突きつけられる日々に疲弊していました。

子どもの頃は、母親から「○○家の恥をさらすな」との家訓?で、家で起こった出来事を外に漏らすのを禁じられていたけど、高校からは自分の過去が恥ずかしくて、いびつな人間になったしまった自分から目をそらしたくて、自分で自分を縛るようになりました。

80人以上が暮らす下宿生活は、24時間1人になれるところはなくて、学校と家で皮を使い分けてきたベテランの僕でも、登下校中という短い時間、ありのままの自分でいられる唯一の時間がどれほど貴重だったのかを思い知った期間でもありました。

そんな高校生活の中で、1年生の時に別の部屋の3年生のお姉さんと仲良くなりました。部活も同じだったので、同室の子より長く一緒に過ごしたんじゃないかと思います。

下宿生のルールで、登下校を2人以上でしなければならず、登校は同級生の下宿生を誘っていたけど、部活をして帰宅は門限ギリギリ。

いつもお姉さんと自転車で帰るのが日常でした。

お姉さんは男女合同の部活なのに部長をしていて、いつもにこにこ優しく、僕が落ち込んでいても表情に出さないようにしていたのに、気づいてくれるような人でした。

同級生や部活の人たちにも人気で、いつも人だかりができるマドンナのような人。

踊りが上手で、長い綺麗な黒髪をおさげにして、前髪は何十分もかけて毎朝巻いていて。

僕はほかの部屋に用が無いときは行っちゃいけいないのに、心の動くままお菓子やお手紙を、今思い出すと恥ずかしい手紙の数々を毎日届けていました。

ある日、帰宅してお姉さんの部屋に行くとベッドで横になっていて、いつも元気なお姉さんが弱々しく、青白い顔をしているのが気になりました。

お姉さんは心配かけまいと思ったのか、後輩に知られたくなかったのかは分かりませんが、聞いても教えてくれず。下宿の他の人に聞いて分かったのは、ヘルニアとてんかんを持っていること。

大変な病気を持っていても、いつも笑顔を絶やさず、元気に振舞うお姉さんにさらに惹かれていきました。

でも、楽しくて幸せな時間はあっという間に過ぎるもので。

僕は1年でお姉さんは3年。
学校で行われる卒業式と送別会とは別に、下宿でも盛大に送り出す会を開催するのが恒例でした。

全員が食堂に集まって、下級生は踊りを披露したり、プレゼントを渡したり。最後に卒業生が1人ずつ下級生にスピーチをしていく・・・。

散々の転校で慣れていたはずの「別れ」を、こんなに恨んだことはありません。

大好きなお姉さんの言葉を一言一句聞き漏らすまいと思うのに、次から次へと涙が溢れて、それは嗚咽に変わり、喘息になり・・・。

鉄仮面とあだ名がつくほどクールで無感情に思われていた僕が、ぐっちゃぐちゃに泣き腫らした顔で過呼吸になっているのを、同室のお姉さんが介抱してくれましたが、僕の涙が止まることはありませんでした。


”お試し期間”という名の矯正

画像2

社会人になってから、うすうす自分は女性のことしか好きになれない人なのかな?と思いつつも、”普通”に憧れて追い求めてきた私は受け入れることができずにいました。

今は無いようですが、当時はSkypeが出たばかりで”Skype me”という機能がありました。これは、「今私話したい気分だから、気軽に鳴らしてねー」というもので、英語を勉強したい熱があった私はネイティブの人と無謀にも英語で通話するということをしていました。

男性と何人かお付き合いを経験していましたが、相手から向けられるのと同じような熱量が全く湧いてこないことに不安を感じていた当時、今まで付き合った人だったから愛せなかったのかもしれない。

もしかしたら、他の人なら、あるいは世界中に1人くらいなら、私にも愛せる男性がいるかもしれないと、Skype meの機能を使って、出会いまくっていた期間があります。

会う前には必ず、「私は誰も愛せない冷たい人なんだよねー。だから、好きになれないと思うけどそれでもいいなら会いますよ。」と断っていたっけ。

食事だけだった人。ワンナイトで終わった人。お付き合い?のような関係になった人。日本人に外国人。色んな人に会ったし、話したし、食事をしたし、行為もしたけど、私の中にはぽっかり穴が開いていて、その穴が男性と会うたび、肌を重ねるたびに益々大きくなっていくばかりで・・・。

女性を好きになることが病気だとしたら、後天的なものだとしたら、治るかもしれないと思って私なりの努力だったけど、結局は自己嫌悪で嘔吐するようになって、身も心もボロボロになったころお試し期間をやめて、自分が同性愛者だということを受け入れた。


2丁目にも行ってみた

画像5

「2丁目に行けば出会いあるよ!」

バイやビアンの友人によく言われました。

私は・・・。うーん。説明が難しいんですが、物凄く抵抗がありました。
予め言っておきますが、2丁目を愛して、通っている人達になんの偏見も文句もありません。

ただ私自身、というかヘテロセクシャルの方もみんなそうだと思いますが、子供の頃は男とか女とか関係なく過ごしていて、徐々に性に関する知識がついて、意識するようになって、そういう目で異性をみるようになって・・・。その過程でごく自然に僕は女性を目で追っていた。

最初は性被害に遭った経験から、男性が苦手になったのかなと思った。同級生を好きになれるならなりたいとも思ったけど、女友達といるほうが自分らしくいられるし、変な緊張感がなくて、ただでさえ家に帰れば母親に殴られないように皮をかぶって生きているのに。

もうこれ以上自分の中の「変」な要素を増やしたくなかった。でも、女友達がキャッキャして報告してくれる感情は一向に僕には訪れなくて。かといって、女子とキスしたいとかそういう欲も沸いては来なくて。

僕は人を愛せない人間なんだなと、プロファイリングすることで防御するようになっていた。

だから、お試し期間が終わって、女性しか愛せない自分を受け入れたからって、”それだけの世界”に染まりたいわけじゃなかった。

異性愛者は、学校や職場、自分の身近なリアルな人達を自然と好きになって結婚していくのに、どうして女性を好きだというだけで、ある種のマイノリティの楽園のような限定された場所で相手を見つけなければならないのかー。

僕にはこの気持ちと疑問と違和感がずーっと心の奥底にあって、自分から世界を狭めるようなドMな行為に手を出せなかった。

分かってます。

出会いたいなら、そもそも「好きです!」「いや、女性同士はちょっと・・・」という世界より、その前提をすっ飛ばせる環境の方が楽なのは。
確率が高いのは。

普通に暮らしていて出会う女性は基本的に異性愛者です。僕が相手だったら女性でもいいかもと言ってくれた人には出会えたけど、基本はストレート。

ストレートに恋したって、始まったそばから終わりが見えてるような苦行。分かってる。でも、それでも、僕はもうこれ以上自分の変な要素に浸り切りたくなかった。

毎日の生活の中で、この人ならと思う人に出会って、たった1人でいいから添い遂げたい。そう思っていました。

それともう一つ。

僕は基本的に「タイプ」で人を見ていない。だから、僕がバリタチだからフェムネコの人がいいとか、背がこのくらいの人がいいとか、顔がこういう人がいいとか・・・。そういうのが基本ないんですよね。

2丁目でカップルになる人って、僕の見てきた限りでは、タイプがはっきりしていると思います。
何歳で、収入がいくらで、お仕事がこれで・・・とか。矢継ぎ早に質問してぴったりだったらそのままその日のうちにっていう人を多くみてきました。

僕はそれだけはしたくなかった。女性同士、まぁ男性同士もそうですが、日本は結婚どころか、パートナーシップという限定された権利すらもらえない自治体がほとんど。

国会議員はマイノリティを「生産性がない」と発言しても、辞めさせられることはなく。

そんな曖昧で脆い関係だからこそ、”心”を大切にしたい。

僕が相手に求めるものはただ1つ。「人間性」です。

言いたいことをきちんと言葉で伝えてくれるか。
僕にだけではなく、人に対して誠実で優しい人間であるか。
正しい生き方をしているか。
信念を持っているか。

1つじゃないと言われてしまえばそこまでだけど、結局こういう言動が発生する大元は”心”だから。人間性が高い人。これが僕が唯一求めるものです。


でもね、ビアンのYouTuberさんのチャンネルをいくつか見ていて、多くの方が2丁目などのイベントやアプリで出会われているのを知りました。

若いカップルさんのチャンネルはあまり見ないのですが、自分と歳が近い人同士のカップルさんもイベントやアプリで出会われているのを知って、行くだけ行ってみようと思い行きました。

父の転勤で一時新宿に住んでいたことがあったので、2丁目自体は別に初めてでも何でもなかったのですが、その頃は「お試し期間」の真っ最中。

私自身がビアンだと気づいても、認めてもいない時期だったので、当事者として行くのは初めて。

事前にリサーチして、席数が少なく、女性が経営されているバーに行きました。

オーナーさんが気さくに話しかけてくれて、今日来たきっかけなどを話すと、「うーん。今日は若い子が多いと思うけど、同じくらいの年代の方が多い曜日とか、今日のお客さんでいい人いたら繋げますよ」って言ってくれた。

僕はそんなにがっついていたわけじゃないけど、その気持ちが嬉しくて、昔通っていたバーのように、オーナーに1杯ごちそうし、大皿のお料理を両隣の初めて会う人とシェアをして、楽しく過ごしました。

出会いという観点で言えば完全に敗北だったけど、久しぶりに人とゆっくり話をしながら美味しいお酒とお料理を堪能して、それはそれで有意義でした。

特に隣の席に座った女の子は、歳が1周り下だったけど、田舎から出てきてお仕事頑張ってる子で、でも疲れちゃって田舎に戻ろうか悩んでいる子でした。

色んなお話を聞きながら、時にアドバイスをして、お料理をシェアしていたら、彼女が吸っているベイプをすっと差し出してきて「試してみます?」と。

もちろん、コロナなんて始まるずっと前のことだけど。それでも、初めて会う人なのに、いい子だなぁとは思いました。ベイプに興味はあったけど、吸ったことはなかったので、良い経験ができました。

でも、2丁目に行ったのはこの日が最後。もちろん、出会いはありません。


今、多分人生最後の恋をしています

画像4

出会いはボランティア。

一昨年、僕はメインとサブの両方でボランティアに入っていたけど、病気のことを知らずに新しいこと(起業)にチャレンジするために、都内のマンション以外に関東で戸建を借りて2拠点生活をし始めるところでした。

月の半分くらいを新しい拠点で過ごすため、ボランティアをやめた僕。でも、ものの数か月で発作で倒れて、病院で告げられた病名は「脳腫瘍」でした。

目の前が真っ暗になりました。これまで2度、「がん疑い」で手術を受けた僕だけど、1回1回が周りには見せないようにしていたけど、辛かった。

死にたいと子供のころからずーっと思っていたのに、死が目前のものになった時、僕の心を占めていた感情は「悔しさ」だった。

転校につぐ転校でも、どこに行ってもいじめられて。家では「なんであんたみたいな子が生まれちゃったんだろうね」と実の母親に言われながら殴られ、蹴られ、外では性被害に何度も遭い、自分のために生きてきたことなんてなかった。

「なんのために生まれてきたのか」

僕が小学生くらいの頃からずーっと答えを出せないでいる問い。

だから病気が分かった時、手の施しようがないと言われた時、僕の胸にこみあげてきたものは「まだ何にもやってない!好きなこともやりたいことも何にもできずに終わるのか」だった。

借りてる戸建で死んだら、家族のだれも片づけには来れないから。毎日毎日泣きながら、その家のために少しずつ揃えてきたものを片づけた。

すべての手続きを終えて、都内のマンションに戻った時。僕は文字通りの抜け殻になっていて、自暴自棄、投げやり、そんな感じだった。

都内のマンションまで片づけを始めて、僕が死んだという報告が誰からどういう風に伝わるのかは分からないけど、家族が荷物を取りに来た時に少しでも楽に済むように段ボールに荷物を詰めた。

そんなある日、詳しくは別の記事で書くけど姉がまた問題を起こし、僕の病気のことはこの時点で僕しか知らないけど、もう一人暮らしは無理なんじゃないかと僕が判断。

正直、自分のことで手一杯だったけど、
家に戻ってきてほしくない両親→姉が一緒に暮らしても何もしないため
家に戻りたくない姉→自分の好きなことができなくなるから
3人を何日も何日もかけて説得した。

姉のゴミ屋敷に、週に1度しかない姉の休みに通う日々。自分がしでかしたことで実家に戻るのに、発達障害のある姉は他人事のよう。

僕がうつなことは知っているけど、どんな病気か、どんな風に関わればいいかなんて調べてくれる家族は僕にはいない。

会社に行けなくなった日。僕にはそのつもりはなかったけど、頭が真っ白になった状態で特急電車が通過する駅で飛び込むように見えたそうだ。

電車やバスなど、公共の交通機関を利用するのはいつものお薬に加えて、抗不安薬の頓服をキメて、お腹が弱いので2時間前後はNO飲食。そんな覚悟で東京から神奈川の姉の家へ行っていることなどつゆ知らず。

お腹が空けば不機嫌になり、持っていけないものを持っていくと言い張り、片付けの途中で思い出に浸り、掃除道具はなく。

そんな姉にお土産を持っていき、食べさせながら作業を進めて、昼ご飯をおごり、夕飯も買ってあげて・・・。あ、思い出したら泣けてきたので、姉の引っ越しは丸ごと別記事にしますね。

そんなこんなで姉が実家に戻ったら、次の問題は姉と私が元いた部屋が倉庫と化していたのを無理やり姉の分空けたから、母の洋服とその他いらないものの整理だった。

かすかな私の本や、珈琲にハマっていた時に買ったエスプレッソメーカーをはじめ、母が買ってオブジェになっていたダイエット器具から、母の大量の洋服まで、全部僕のワンルームマンションに父と姉が持ってきた。

母は目が病気でほとんど見えず、姉はPCに疎いし嫌い。父はおずおずと始めたけど”ネットは怪しい”という思い込みがあり、フリマアプリやネットショップをやっているのは僕だけ。

だから、お譲り先や売りさばいてくれと持ってきたんだけど、どれもこれも埃だらけで掃除に次ぐ掃除。写真を撮って、売れるまでは段ボールだらけの引っ越したてみたいな部屋だったのが一番苦しかった。

母の洋服が思いのほかさばけなかったので、最終手段に出た。それは、一昨年ボランティアしていたところに持っていく=寄付すること。

そこは、コミュニティカフェのようなところで、色んな機能を持っている。表ではフリマもやっていて、寄付して頂いた服や靴、雑貨などを300円で販売している。

誰かが着てくれるなら捨てるよりよかろうと、売れ残った母の服をまとめて以前のボランティア先に持っていった。本当にそれだけのことだったのが、彼女に出会うきっかけになった。

洋服を持って行った日。そこの代表を務める女性が珍しく来ていて、久しぶり~何してた?みたいな当たり障りのない話をしながら、母の服を早速陳列した。

メンバーはだいぶ変わってしまっていたけど、小学生までボランティアに加わっていて、その姿を見た時「あぁ、またやりたいなぁ」と声に出ていました。

代表の女性がそれを聞き逃さず「え?じゃあやればいいじゃん!やろうよ!ちなみに今は日曜日が人足りないんだけど入れる?」と(笑)

早速、最初の日曜日に入ることになりましたが、病気のことは代表にも誰にも言っていないので、メインではないにしても僕が死んだら誰からも連絡が入ることなく、ある日来なくなるので迷惑をかけないか不安でした。

そもそも、一昨年よりもできないことは増えていて、癖の強い人が多かったから、メインで入っていた彼女のことを代表に「〇〇さんって怖いですか?どんな人ですか?」とめちゃくちゃ確認しました。

当日、早めに着いた僕。でも、裏口は閉まっていてキーボックスはあるけど暗証番号は知らない。スタッフ誰の連絡先も知らないから、裏口の前でずーっと待っていると、「あのぉ~~~。今日入って下さる方ですか?」と細い声が聞こえて振り返ると、彼女が立っていました。

最初の印象は「綺麗で儚げな人だなぁ」

「よろしくお願いします!」と元気に挨拶をして頭を下げる僕に、キーボックスの暗証番号を教えてくれて、「私、夜勤明けの時が多いので早く着いたら開けて入ってくださいね。」と。

相当お久しぶり&メインで入っていた僕。何をすればいいか何となくは分かっていたけど、細かくは覚えていないので、物の位置やオープンリストなどを最初は一緒に教えてもらいながらやりました。

偉そうだったり、自分のやりやすいように強制する人が多い中、彼女は腰が低く、しかも夜勤明けで寝ない状態で8割方の下準備を家でしてきており、片道1時間以上かかるのに来ているのを知って、どんどん惹かれていきました。


”なんで”好きになったかなんてわからないよ

一般的に人はなんで好きになった理由がはっきりしているものなんでしょうか?

僕は、いつも違った。

気づいたら目で追ってた。その人の口からこぼれる言葉が僕に向けられるものであってほしかった。

甘え方なんて知らない僕は、いつだって不器用で。

誰にでも公正で優しくて思いやりがあって、心で感じたことを行動に移せる君が他の人に手を差し伸べるのを見て、君の優しさを改めて知るとともに嫉妬が沸き起こる自分を嫌いになるんだ。

2回目に会った時、僕は君に「好きです。つき合って下さい。」と言ったね。君は、女性同士は・・・ということは一切言わずに、「今はやらなきゃいけないことがたくさんあって、そんな時間が取れないんですよね。」と。

それから会うたびに「付き合ってください」という僕に、「どうして好きになってくれたんですか?」と聞いてきた。

なんでなんてそんなの僕にも分からないよ。君に会うたびに胸が苦しくて、でも嬉しくて、楽しいこの時間が過ぎなければいいのにと思う。


”どこが”好きかならいくらだって答えられるよ

画像3

なんでなんてわからないから答えられないけど、あなたの好きなところはいくらだって答えられるよ。

SNSをやっていないところが好き。
LINEやってないって最初に言われたときは”暗に拒否されているんだろうな”と思ったけど、本当にやっていないのを知って、さらに好きになりました。

僕は仕事?というにはまだまだほそーい線だけど、YouTubeをやっているから、付随して色んなSNSをやってる。でも、パートナーになる人には裏垢が無い人がいい。裏垢どころかLINEすらやっていない君のことがもっと好きになったよ。

ピアス開けないタイプに見えるのに、ピアス開けてるところが好き
ピアスとか体に穴開けることはしません!みたいなタイプかなぁって思ってたけど、2回目に会ったときに大粒のパールのピアスをしていたね。

「似合いますね。」といった僕に、照れて恥ずかしそうにうつむき加減で「良いものではないですよ」って言った君に惹かれた。

髪を耳にかけるときの仕草が好き
久しく、ほんとーに久しく人を好きにならなかったから、好きな人の仕草でどういうのがキュン死するのか僕自身も知らなかったけど、「ピアス見せて」って言ったとき髪を耳にかける仕草でキュン死しました。

キツイことを言われても、自尊心が揺るがない君が好き
一緒にボランティアしているところでは、色んな人がいるよね。僕はボランティアで君はスタッフ。だから、僕はそのままで諦めてしまうことでも、君は果敢に、そして穏やかに、優しくみんなの意見に耳を傾けながらも、良い方向へ繋げていく君が好き。

人によっては言葉を選ばず、切っ先の尖った矛で突いてくる人も沢山いる。そんな言葉を浴びせられても、自尊心が揺るがない君が好き。

アーティスティックなあなたが好き
あなたの開催するワークショップも、僕の開催するワークショップでも、あなたは独特の感性で美しいものを作り上げていく。決して器用なほうでは無いとは思うけど、君が美しいと思う景色やものをそばで一緒に見たいと思うよ。

好きな画家の話をする君の目が輝いているのをずっと見ていたい
お父さんのお仕事の関係でスウェーデン出身の君。英語が堪能で、英語縛りで話した日があったね。僕は行ったことがないけど北欧にはいつか行きたいと思っていたから、検索したり本で見て知っている景色や美しいものを英語で話した時、君が目を輝かせながら大好きな画家の話や自然の美しさを話してくれたことが忘れられない。

僕の病気では飛行機に乗れないけど、もしも・・・万が一、僕の病気が治ったら一緒にアイルランドに行きたいな。

写真に写るのが嫌いなのに、お願いしたら撮らせてくれるところが好き
病気で辛い時。ひとりの夜にメンタルが耐えられない時。君を見て、君がいる世界ならもう少しだけ頑張って生きてみようかなって思えるから、写真に写るのが嫌いだという君に、そんな理由は言わずにおねだりしてごめんね。

「一緒ならいいでしょ?」と撮ったあと、スマホの待ち受けにするという僕に、「お父さんみたいなことしないでー」という君。後日、待ち受けにしてるのを報告した僕に「あぁー、悪い子だぁ」と言ってきたね。

僕は迷う余地が一切なくどSだけど、君になら、たまになら叱られたいと思ったよ。

僕にメンタル引きずられない君が好き
僕だけじゃなく、君の周りには病気のレベルから、調子悪いのかな?位の人まで、メンタルが不調な人が本当に良く集まる。

僕は君に言ったことがないけど、甘えるのが怖いんだ。愛情が欲しいのに、甘えたいのに、加減が分からないから相手に負担をかけたり、傷つけたりすることが怖い。

実際、今はうつでボランティアの日は調えて行っているけど、色んなことがありすぎてどうしても保てない時がある。そんな時、僕や周りの人にやさしい言葉をかけてくれるのに、全く引きずられない君が好き。

話し方がゆっくりで、声フェチな僕のストライクな声が好き
性格がおっとりしているのかは未だに謎だけど、話し方がゆっくりしているところが好き。相手がイライラしていても、早口でまくしたれても、君と話をしているとみんな大人しくなる。魔法使いみたいだよ。

僕があげたものをちゃんと使ってくれるところが好き
食べ物をあげた時にはちゃんと食べて感想を教えてくれるし、洋服をあげた時は、次に会うときに着てきてくれたね。あの日は困りました。

好きな人が好きな服を着ているのを人生で見ることがなかったから、鼻血もので、1日中ふわふわしてました。

他にもいっぱいあるし、君と会うたび好きなところが増えていく。でも、「好きは難しいですよね・・・」という君の困った顔をみると複雑な気持ちです。


この記事が良いねと思ったら❤を

フォロー・コメントもして頂けると励みになります。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?