ヌブラ1

狂気日記〜inインドver6〜

これは日本を出発して幾分かの出来事を簡単に綴った日記みたいなものです。
パート6、絶景ラダック編

3/23

朝スマホを確認するとドルマから連絡が来ていて、明日出発するとのことだった。
今日は特に出かける予定がないので、極寒の中ぬるま湯を被り体を洗い、服を手洗いで選択して街にトイレットペーパーとラスクと蜂蜜を買いに行った。
ラスクの蜂蜜付けがたまらなく美味しい。

その後、部屋に引きこもり猫に邪魔されながらkindleを読む。

夜にまた連絡が入り明日の朝8時に集合することになった。
ついに絶景に行けるのかと思うとワクワクしてきた…!
明日の朝に出るので宿泊代の会計を済ませる。6日泊まりかつたまに朝食と夕食を食べおよそ3,500円。破格の安さだった(物価が安いわけではなく、このホステルが特段安い)。

明日の出発の準備を終えると猫が部屋で寝ていたので、布団の中に押し込み猫との最後の夜を過ごした。
いつもは太ももと太ももの間で寝ていたが今日は右脇の下で丸くなっている。
こんなに可愛がっているが引っ掻かれたり、噛まれたら病原菌で一撃死なんだよな、たぶん。。。

3/24

朝早く起き地合わせ場所に行ってドルマに会った。
タクシーに案内され、今ツアーの料約8500円を払い出発。
通常ヌブラ渓谷は往復約7500円、パンゴンツァは往復約13000円と聞いていたので日は短いが格安だった。

タクシーの中は僕(助手席)とレー出身の運転手(恐らく若い)、コルカッタから来た夫婦だった。

出発早々ひたすらに山を登る。ただでさえ3000m以上ある山をまだまだ登って行く。


1時間ほど走った頃一つ目の検問エリアにたどり着いた。パスポートと通行許可証を出し通過。タクシー内に外国人が1人しかいないと通れない可能性があるとか聞いていたのでビビっていたが大丈夫だった。

ここを通過したあたりで一面が雪になる。およそ標高4500mくらいなのだろう。すれ違えるかギリギリの峠であるのに加え、雪である。ガードレールなんかないし、落ちたら確実に死ぬ。そんなところにトラックや軍の車がガンガン来る。
出発して間も無くした頃、タイヤが雪に取られスリップし、雪に車が突っ込んだ(崖側じゃなくて本当よかった)。

スピードがそんなに出ていなかったので衝突が浅くバンパーの破損だけで済んだが、後輪がスリップし抜け出せない。他に通りかかった人が降りてきてタイヤにチェーンを掛けなんとか脱出していた。
到着時間が遅くなるとか早くしろよとかいう気持ちは一切なく、車に傷がついてしまった運転手の気持ちを察していた。

再起した後もひたすら登る。どんどん酸素が薄くなり、あくびを誘うが、外の景色が現実離れし過ぎていてしがみつく様に外を眺めていた。
検問エリアから1時間半ほど走った頃休憩がてらに外に降りる。
ここが世界で1番標高が高い車道らしい。標高は5600mあるらしい。天気は生憎の曇りだが、それでもサングラスがないと目が開けられないほど雪の照りかえりがきつい(もともと目がないとかいうツッコミは承知の上です笑)。これから行く北側を見てみると感動を覚えた。壮大すぎる谷が広がっている。
「うわー」っと眺めていたが、気温は-20℃。鼻水が凍る。

そこからヌブラ渓谷までの道のりもとてつもない広大さだった。意味がわからない。これでもかと鳥肌が立ったが晴れていないことを少し憎んだ。

途中休憩を挟みながら6時間のドライブの末デスキットという街に着く。ここでかなり大きなゴンパがあったので運転手が寄ってくれた。
ここからの景色も圧巻。広さが把握できない。近くに竜巻が起きているがこれっぽっちの大きさしかない。たぶん相当遠くなのだろう。

そして、目的地のフンダーに着く。
まず運転手が案内してくれたのは砂漠だった。雪山のすぐ側にあり、寒い。
砂漠らしい砂漠(砂砂漠)は初めてだったので興奮気味に歩みを進める。すごく柔らかかく、脚が重くなっていく。こんな感じなのかと感動しながら小山を越えるとそこにラクダが見えた。どうやら乗れるらしい。
一緒にいた夫婦の奥さんがめっちゃまくし立てながら値段交渉をしていた。迫力がすごい。おかげで30分450円で乗ることができた(実際に安いのかは分からない)。
コブとコブの間は固かったが初めての感覚で面白い。毛はゴワゴワだった。乗っていると目線は3mくらいありそうだった。


ラクダに乗った最初はわーわー楽しんでいたが、次第にこれが本当に現実なのか分からなくなり、本気で考え始めた。
「ここも標高3000m越えで、周りが雪山に囲まれている。でも、砂漠がありラクダがいる。そして僕はその上に乗っており、その高さの目線から見える向こう側の山はこんなにちっぽけに見えるほど遠くて。。。」
結果的に「ここはすごい場所だ!」という陳腐な感想に着地してしまったが、
「今ここに存在しているのは確かだからこの空間を感じよう」
とその現象を楽しむことにした。

今晩泊まるホームステイ先に行き、荷物とコルカッタ夫婦を置いて運転手と出かけることになった。
まずビリヤード場に連れていかれたが、日本のとルールが違い全く分からず、ずっと観戦していた。
その後は居酒屋に行った。いかにも怪しい雰囲気である。ここでインドに来て初めてチキンをつまみにビールを飲む。体にしみる、堪らない。
今までは安心できる場所というのがあまりなかったので飲まなかったが(日本人の友人宅は流石に失礼だと思い控えた)、ここはまだマシだ(今のところ)。
運転手は「破損したバンパーは直すのに15000円かかる」と嘆いていた。
年齢が近いそうだけに共感していた。

お酒の席に運転手の他に一人の男が来た。どうやら運転手の友人でレーとデリーで旅行代理店をしているらしい。
運転手が彼に「彼はシリーナガルの人に騙されたらしい」と話すとその男は「俺が電話して話してやる。電話番号をよこせ」と言われたが僕が知っているのは騙して来た奴らの店の場所だけだ。だが、フェイスブックのアカウントを知っていると言うと「明日の夜レーに着いたら俺のところに来い。電話して取り返してやる。騙すのなんてビジネスじゃない。お互いにいい気持ちになって、ギブアンドテイクが発生して初めてビジネスだ。繋がりが広がってみんな納得し喜ばしくなるのがビジネスだ」と言ってくれた。
それが嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
正直お金が戻ってくるとは思えないが、悪足掻きも含めて彼に明日の晩託してみようと思う。

21時半ごろホームステイ先に戻る。チャパティとカレーを軽くつまみ晩御飯は終了。外に出ると満天の星空だった。一つ一つの光が明らかに大きい。美しすぎた...

3/25

朝7:30に出発。
天気はヌブラ渓谷を抜けるまでは晴れていた。昨日よりも遠くまで見える、すごい。
壮大で思考が追いつかない。慣れてしまったか、飽きてしまったのか、現実味がないのか、自分でも分からない。

また高山地帯の雪山に入る。今日はこの山を越えて「きっと、うまくいく」のエンディングで使われたパンゴンツァという絶景の湖へ行く。
高山地帯を越えると天気が完全に曇りになった。気持ちは落ちていたが旅なんて運要素が強い以上こんなもんだろう。
途中野生のバンビや羊、ヤクに出会えた。なんだかモンスターハンターみたいだ笑
この道はパンゴンツァまで続く一本道。今のシーズンは壮大な荒野で一面が茶色、赤、灰色で覆われている。世界の果てのようだ。

昼過ぎにパンゴンツァに着いた。
はっきり言って景色はいまいち。曇りと湖一面が凍っているからだろう。でも、それでもよかった。この地まで来れたことに感動した。そして、またいつか夏の晴れの日にバイクで来ようと思うことができた。
その辺にいた観光客やインド人とわーわー騒ぎながら写真を撮ったり、氷の上で遊んだりしていた。

その後世界で三番目に高い峠を越えて夜にレーに戻った。
そこでカシミールの旅行代理店組合の方に会い、シリーナガルの件を話すと「デリーに戻って彼らの顔と店の写真を撮って送れ。もし無理そうなら警察を引き合いに脅せ、そして俺らに電話をつなげ。健闘を祈る。」と言ってくれた。

いつも泊まっていた安宿に戻り、ぐっすりと寝た。

3/26

朝バザールで朝食を食べながらドルマと待ち合わせしていた。
彼女が来ると今日はラマーユルに行くといいと言う。僕が「バイクは借りれるか?」と聞くとバイク屋に電話して確かめてくれた。

明日の昼の12時までに返してくれれば2000円でいいよと言われバイクを借りることにした。
バイクはroyel enwed burret 350 という重量級のもの。
これ乗りラマーユルに向かうことにした。

街中は交通ルールが曖昧でとても恐かったが街から出てしまえばい絶景の連続だった。
素晴らしすぎる。世界最高峰の峠は走れないもののラダックツーリングという僕の夢の1つが叶った。
興奮しながら一人で約130kmの道を進んだ。
言葉にしきれないから写真を貼っていく。

ラマーユルに着くとドルマが電話してくれたホームステイ先を探した。
途中クリケットをしている子供の大群が手を振りながら近づいてくる。
手を出しながら何か言っているが聞き取れない。この子らもお金を欲しがっている乞食なのかと思っていたがよくよく聞くと「give me one chocolate!」と言っていた。
チョコレートは持っていなかったが蜂蜜を持っていたのでそれぞれの子の手に少しずつあげるととても喜んでいた。


宿の場所を教えてもらい向かった。
宿先はお父さんとお母さんと7歳の息子。息子と遊びながらテレビを見る。
テレビでは政治関係の番組をやっていた(来月?から投票なんだとか。日本でいう衆議院選挙みたいな感じかな)。
インドは選挙権が18歳からあり、関心がある人が多いらしい。
政治関心を煽るテレビの使い方も上手かった。インタビュアーが街で国民に政治関係の事を聞くとだんだんと人が集まって来る。そこで国民同士で議論をさせる(外で)。そんな風景が政治に詳しい人の意見を挟みながら、1時間ほど流されていた。国民が主役にされればテレビを見ている人たちも他人事ではなくなる。恐らく多くのインド人が一緒にテレビを見ていた人と議論を始めたのではないだろうか、この宿と同じく。

そんな国のマスの使い方に関心していると主人からお酒を出された。ラム酒をお湯で割一緒に飲む。落ち着いていて素敵な夜だった。

寝床に向かうために外に出て少し歩くと外は満天の星空、今日もすごい…

3/27

朝起きてからはラマユールにあるゴンパに向かった。
僕にとってはもはやゴンパの違いなんてわからない。でもこれがレーにいて恐らく最後に見るゴンパになるだろうと思うと飽きることなく見ることができた。

その後軽い朝食をいただき、レーに向けてバイクを走らせた。
帰りもこればかりかという絶景が広がる。。。

12時前にレーに着きバイクを返却すると「本当によく無事に帰ってきたな笑」と軽く笑われながらもよかったよかったと頷いていた。

午後5時にドルマと待ち合わせし、ゲストハウスに向かった。
夜ご飯にモモ(餃子みたいなもの)を作ってくれ食べた。
食事中日本についてや宗教、政治、お金の話をしていた。
お兄さんに「宗教がないのならお前は何を信じているんだ?死後はどうなるんだ」と言われたが僕は「特に何も信じていないし、死んだらどうなるかなんて分からない。今を生きれればきっといいと思うんだ。」というと「信じられない。私らの宗教では今世良い行いをすると来世でまた人間として素敵な生活が送れるが、悪い行いをすると人間以外の動物になる。その考えを持っているから私は他の動物を可愛そうで食べることができずベジタリアンなんだ。お前は今世何のために生きている?」
難しい質問だ。
「分からない。たぶん自分の今のためだろう。。。」
と答えると「Oh...」と言われてしまった。
海外に来て改めて思ったが無宗教というのはとても奇妙なのだろう。

今晩は新しい価値観に触れられたと少し嬉しくなりながら眠ることができた。

3/28

朝湯を頭から被り準備を整えた。
無料だと言われていたが流石にお世話になりすぎたので少額だったがお金を枕元に置いていった。
ここで自分が着ていた冬用の服や靴、いらない本などを捨てていき荷物を減らした。

ドルマのお兄さんが車で空港まで送ってくれた。
これでレーも最後かと思うとだんだん悲しくなる。
それほどレーは美しく楽しかった。

飛行機は予定より30分早く飛んだ。
流石インド、早く着いていたからよかったもののもう少しでアウトだった笑

帰りの飛行機の中から眺めるラダックの景色もとてもいい。
真っ白な山々がそびえ立つ、陸の孤島と呼ばれるにふさわしい。

きっとまた来る。
ありがとうラダックの壮大な自然と関わってくださった方々。

ぼちぼちやっていきます...!