2022.12.14. 『血を吸うカメラ』を見た
U-NEXTで今日までだったので見た。
マーク・ルイスは映画撮影所のカメラマンやヌード写真の撮影者として働いている。
内気な好青年として日々を生きる彼のもう一つの姿は、夜ごと街で出会った女性をカメラで撮りながら三脚に仕込んだナイフで刺殺する殺人鬼だった。
彼は女性が恐怖に慄きながら殺される瞬間に興奮する嗜好を持っているのだ。
そんな映画である。
同じ異常殺人鬼を扱ったヒッチコックの『サイコ』と同時期に公開されながら、あちらは映画史に残る名作、こちらは監督のマイケル・パウエルの監督生命が断たれた呪われた一作と対照的な結果になっている。
何故この作品がそんな扱いになったのかは様々な場所で言及されているが、どうやらこの『血を吸うカメラ』は当時の映画としては異常殺人鬼の心理に迫りすぎてるかららしい。
『サイコ』が殺人鬼と対峙する内容だったのに対し、『血を吸うカメラ』は殺人鬼を主人公としつつ、彼に寄り添った作品だからという。
実際に映画を見てみても、変態殺人鬼はずのマークに次第に同情してしまいそうになる。
マークは全くの非情な殺人者というわけではない。
自分が普通の人間ではない、人が殺される瞬間を見て歓びの感情を覚えてしまうことに恐れを抱いている。
自分に異常であることを完全に自覚しつつも、その異常性に振り回されてしまっている。
そんな自分自身をどうにかしなければいけない。
だけど、最早どうしようもできない。
彼は苦しんでいるのだ。
演者のカール・ベルムの演技力も相まって、異常殺人鬼にいつの間にか寄り添ってしまっている自分がいた。
見ている内に、殺人鬼のマークの精神に引き込まれてしまう、そんな恐ろしい魔力を持った映画だった。
以下メモ。
・冒頭の目のドアップからの道端で声をかけた街娼を刺し殺すまでを隠し撮りしたカメラ視点での長回しから引き込まれた。
ここまで5分。
映画は最初の5分で観客を引き込めという原則があるがこの映画のそれは完璧である。
・劇中の「撮影する自分が怖いのね」というセリフが彼自身をよく現している。自分の中に息づく異常な嗜好をコントロールできない男の悲哀を捉えた一言だ。
・マークのこの嗜好は幼少期に心理学者の父親から受けた虐待じみた実験のせいで育まれたものである。
異常殺人鬼モノによくありがちな設定だが、ある意味この映画がそのジャンルの初期の作品だから仕方ない。
・なんかの本で黒沢清が『サイコ』が許されて『血を吸うカメラ』が駄目だった理由について「『血を吸うカメラ』は異常者の心理に迫りすぎたから」と言及していたのを超うろ覚えで記憶しているが、まさにそうだったぜ。