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【まとめ用】紫陽花の季節、君はいない 78〜88話(最終話)

 赤ちゃんが落ち着いたところで、名前会議が始まった。

「二人とも、名前の候補はあるの?」
 やはり親の意見は尊重したい。
「私は親しみやすい雰囲気の名前が良いと思うけど……名前辞典を眺めていたら、逆に迷ってしまって。だから私は名前は二人に任せるわ」
 俺と柊司はあおいさんから命名を託された。

「俺は『向日葵』(ひまわり)が良いと思う。夏生まれだし、あおいが名前につくからな。」
 柊司は「向日葵」と筆で書かれた半紙を掲げた。
「墨汁の匂いがすると思ったら、これを書いていたのか……」

 俺は書かれた名前を見つめた。
「俺は違う名前が良いと思う。漢字3文字だと、名前を書くときに負担になるだろう?それに画数はなるべく少ない方が良い」
 俺は自分の「夏越」という名前がなかなか書けるようにならなかったことを思い出していた。

「じゃあ、夏越はどんな名前が良いんだよ」
 柊司に聞かれて、俺は彼女の名前を付けたときのことを思い返した。

『私、生まれたての紫陽花の精霊だから名前無いの。私の名前、アナタが付けて!』
 そう彼女に頼まれて、俺は紫陽花の精霊だから「紫陽」って名付けたんだ。彼女は精霊だったから自分の名前を書くことはなかったけど、「紫」も「陽」も画数が多いと後々気づいたんだよな。

 この子には、どんな名前が良いだろう。俺は赤ちゃんの顔をじっと見つめた。柊司の言うとおり、向日葵が似合う娘だと思った。俺はスマホで【向日葵】を検索した。

 陽葵(ひまり)とか紫陽とお揃いだな……って、あおいさんの子なのに紫陽ともお揃いにしてどうする、俺。それに、この子は彼女の生まれ変わりではない気がする。彼女はやはり雨の紫陽花のイメージなのだ。

 検索を続けて、俺は向日葵と書いて「ひなた」と読ませるのを見つけた。

 シャンッ!
 頭の中で鈴の音が聞こえた。御葉様が八幡神様と交信していた時に鳴らしていたあの音だ。

(この子の名前は、『ひなた』?)

 俺は赤ちゃんの顔を再び見つめた。
『夏越殿、信じるか信じないかは貴方次第です。でも、出会えばきっと【その人】だと分かるでしょう』
 俺の心の中で、御葉様の言っていたことがリフレインする。
 俺が闇に飲まれかけたあの日に見た夢。あの娘はひなたの中にいた。

 そうだ。いっそ名前は平仮名にしよう。それならば、親しみやすいしあおいさんの名前とも共通点が出来る。

「柊司、この子の名前は『ひなた』だ!平仮名だからあおいさんともお揃い感が出るし、お前の考えた【向日葵】もちゃんと生かしている」
 俺が叫んだので、柊司もあおいさんもびっくりしていた。赤ちゃんは俺の声に反応したが、泣き出す様子はなかった。

「夏越、落ち着け。いきなり『名前はひなただ』って断定されても困るぞ」
 そうだった。決定権は親であるこの二人にある。
「じゃあ、娘本人に決めてもらいましょう」
あおいさんがニッコリ微笑んだ。

「二人ともここに並んで」
 柊司と俺は横並びになった。すると赤ちゃんを抱いたあおいさんが俺達の前に立った。
「まずは柊司くん、名前を呼んで」
 あおいさんに促され、柊司は「向日葵ひまわり」と赤ちゃんに呼び掛けた。しかし赤ちゃんは無反応である。そもそも、この子に名前という概念はないのではなかろうか。

「じゃあ、夏越くん。この子に名前を呼び掛けて」
 俺は「ひなた」と呼び掛けた。瞬間、赤ちゃんの表情に変化が起きた。

「え、笑った?」
 俺と柊司は顔を見合わせた。赤ちゃんは確かに笑って見えた。でも偶然ということもある。もう一度、柊司と俺は名前候補を呼んでみた。結果は同じだった。

「……これは、もう『ひなた』に決まりね」
 神妙な顔をしてあおいさんが言った。
「そうだな、お前の名前は『ひなた』だ!」
 柊司が娘の頬を人差し指でむにむにつついた。「『ひなた』、これからよろしくな?」
 俺は赤ちゃんに優しく語りかけた。すると不意に涙が溢れてきた。

「ど、どうしたの?夏越くん」
「分からない……胸の奥がじんわりと温かいんだ」
 こんな感覚、はじめてだった。
「そりゃ、命そのものに感動してるんだよ」
 柊司がオレの肩をポンと叩いた。
「そうかも……しれないな」
 俺は素直にそう思えた。
 なぁ、母さん。俺が生まれた時生きていてくれたら、そう貴女も思ってくれたかな。

 数日後、柊司がひなたを抱いて俺の部屋にやって来た。
「ひな。ここが俺の親友・夏越の部屋だ」
 赤ちゃんに説明してもわからないと思うのだけど、柊司は大真面目にルームツアーをした。

 柊司が俺のデスクに置いてあるテキストに目をやった。
「『アロマテラピー検定』に『薬膳・漢方検定』、『ハーブ検定』?夏越、受けるのか?」
「まだどこに配属されるかは決まっていないけど、知識を付けたくてさ」
 俺の就職先は植物公園である。植物について、知っていて損はないと思う。

「あんなに不健康な生活をしていたお前がな~、こういうのに興味持つ日がくるとはなあ」
 柊司が感慨深そうにしている。
「言っておくけど、もう栄養失調では倒れないからな!」
「おう、そうしてくれ!」
 柊司がニカッと笑った。

「なぁ、柊司。ひなたを抱っこして良いか?」
「ん?ああ、良いぞ」
 俺は柊司からひなたを受け取った。
「……温かいな」
「赤ん坊は大人より体温高いからな」
 ひなたは小さな口いっぱいに大きなあくびをした。

「なあ、夏越」
「何?」
 柊司が神妙な顔をしている。
「あの時、倒れていたのは……本当は──」
 柊司は何か言いかけたが、俺の表情かおに緊張が走ったのを感じたのか、言うのを止めた。

 柊司、何も言えなくてすまない。
 紫陽かのじょは人間ではなかったから、俺が勝手に精霊の話をしてはいけない。せめて、彼女の生まれ変わりに再会するまでは。

「柊司、いつかは話すよ」
「そうか」
 俺はひなたを柊司に返した。

 2022年春。俺は無事に大学院を修了し、明日から新社会人である。
 職場は動きやすければ普段着で良いのだけれど、明日は入社式なので、スーツが変じゃないか柊司たちを自分の部屋に呼んで見てもらった。

「夏越もやっと社会人かぁ。俺のこと、社会人の先輩って呼んでも良いぞ!」
 柊司がニマニマしながら、俺の全身を見回した。
「絶対呼ばない……死んでも言わないっ……」
 俺は不快感でいっぱいになった。
「夏越くん、スーツが似合うわ。これ、オーダーメイド?」
 あおいさんがひなたを抱っこしながら、スーツを褒めてくれた。
「セミオーダーしたんだ。さすがにフルオーダーは分不相応だからさ」
 
 実家の最後の仕送りは、結構な額が振り込まれていた。ほとんど疎遠だった父親だが、スーツが似合う男だったことは覚えている。「これできちんとしたスーツを買え」という意図だと思ったのだ。

「……ネクタイは、私達が去年プレゼントしたものなのね」
「これは、お守り。就活もこれのお陰で乗りきれたから」
 俺はそっとネクタイの結び目に手を添えた。

「な……あ……う~」
 ひなたが俺の方に手を伸ばしてきた。
「ひなちゃんが、『夏越くん、カッコいい』って言ってるわ」
「そっか……ひなた、ありがとう」
 俺はひなたの頭を優しく撫でた。

 なあ、紫陽。俺、社会人になるよ。君だったら「良く分からないけどおめでとう、ナゴシ!」って笑ってくれたんだろうな。

 2024年初夏。俺はGW勤務の代休で、仕事に行った柊司とあおいさんからひなたを預かっていた。俺が休みと知って、ひなたは保育園より俺と遊びたいと言ったのだ。

 柊司が作りおきしていった昼ごはんを食べさせて、ひなたはこれから昼寝の時間である。
「なごしクン、えほんよんで!」
 ひなたはお姫様が出てくる絵本を持ってきた。もう何度も読んでいるけど、飽きる様子はない。床に小さな布団を敷いて、ひなたをそこに寝かせた。
 俺は隣に寝そべり、絵本を一通り読んであげた。しかし、ひなたは眠る気配はまったくない。

「なごしクン、ひなたねー、なごしクンだいすき~。ひなた、なごしクンのおよめさんになる~」
 絵本に触発されたのだろうか、ひなたが無邪気に求婚してきた。

「ひなたちゃん、ごめん。俺はひなたちゃんのことは大好きだけど、俺には恋人がいるからひなたちゃんをお嫁さんにはもらえないんだ」
 いくら幼いとはいえ、誤魔化すことはしたくなかった。

「『こいびと』ってなあに?おひめさま?」
 ひなたがきょとんとしている。
「そうだね、俺にとってはお姫様かな」
「ひなたもあってみたい!」

 俺は「俺も会いたい」と呟いていた。
「あえないの?」とひなたが聞き返した。
「彼女はね、八幡宮っていう神社の紫陽花の精霊でね……神社から出ると消えちゃうことになっていたんだ。彼女は俺と生きるために、人間に生まれ変わることを選んだんだ。でもね、それは精霊として死んでしまうということでね……今はどこにいるのか、分からないんだ」
 言葉にすると、無性に悲しくなってきた。

「じゃあ、なごしクンはおうじさまだから、おひめさまをむかえにいかないとだね」
 ひなたは頬を赤くして言った。
 俺は思わず笑ってしまった。何で今まで気付かなかったんだろう。
「そうだね、探しに行けば良いんだ。ひなたちゃん、教えてくれてありがとう」

 社会人になって良かったと思うことの一つは、自分がしたいことに気兼ねなくお金が使えることだ。紫陽を探しに行くことだって出来る。

 6月30日。俺はまた歳を重ねた。
 八幡宮の夏越の祓の後、紫陽花の森で精霊達に会った。

「御葉様、俺は紫陽を探しに行こうと思っています。」
 御葉様は驚いた顔をしていた。
「夏越……そんな無謀なことしてどうする。」
 涼見姐さんが呆れている。

「俺……今までどこか受け身だった。紫陽が現れるのを、じっと待っているだけだった。だけど……紫陽は命をかけて俺と生きることを決めたんだ。俺は彼女を探しだして、迎えに行きたい」

「夏越、お前……砂漠の中で特定の砂粒を探すぐらいに難しいぞ」
 姐さんは険しい顔をしている。
「うん、覚悟は出来ている」
 紫陽の生まれ変わりが、前世の記憶を持ったまま生まれ変わっているとは限らない。

「そうですか。私達は八幡宮ここから出られないので、協力出来ないのが歯痒いです」
 精霊は境内から出ると消滅してしまう。御葉様みたいな高位の精霊でも例外ではない。

「夏越、どこを探しに行くつもりだ」
「まずは、京都を回ってみようと思う。神社の精霊だったし、寺社に縁ゆかりのあるところにいるかもしれない」
みやこか……あの者の奥方も京の出だったな」
 姐さんの言う【あの者】とは、この地域を治めていた幕末の藩主のことである。

 俺は花盛りの紫陽花の森を見回した。
紅葉くれは!もしも紫陽と再会出来たら、八幡宮に必ず連れてくるから。その時は姿を現して、話をしよう!」
 やはり俺には姿を見せてはくれない。しかし紅葉は聞いているはずだと確信があった。
 どこからともなく、涼しい風が吹いてきた。風使いの紅葉の返事に違いなかった。

「気をつけて行ってきて下さいね、夏越殿!」
「くれぐれも、失礼のないようにな。
人間にもそれ以外にも。」
 御葉様と涼見姐さんに見送られる形で、俺は八幡宮を後にした。

 鳥居の外に出ると、急激に蒸し暑くなった。厚めの雲の切れ目から、光が射し込んでいる。
 俺は一旦自宅に戻り、夏越の祓で拝受したリース型の茅の輪守を玄関の壁に吊るした。まるで彼女を探し出す決意表明のようだと思った。
 行動を始めるなら、今日ほど良い日はないと思った。職場には既に明日から3日間有給休暇を申請してある。
 
 あらかじめまとめておいた旅行鞄を持って、俺は玄関を出た。
 隣の部屋の玄関のチャイムを鳴らした。トタトタと軽い足音が近付いてきて、玄関を開けてくれた。

「なごしクン!こんにちはっ!」
 ひなたが俺の脚に抱き付いてきた。
「こんにちは、ひなた」
 俺はひなたの頭を優しく撫でた。ひなたはニコニコしている。
「おう、夏越。旅行、今日からか!」
 柊司も玄関にやって来た。
「ああ。留守中何かあったら連絡くれ」
 事情を知らない柊司達には、観光旅行と行ってある。ひなただけは紫陽のことを知っているが、口止めしてある。

「あおい~、夏越これから出発するってさ!」
 柊司に呼び出されて、あおいさんも玄関に来た。
「夏越くん、旅行楽しんできてね」
「うん、何かお土産買ってくるから」

 こんな風に見送ってくれる存在がいるなんて、俺は幸せだ。実家を誰にも見送られることなく出た時には、こんな日が来るなんて思っていなかった。

「なごしクン、かえってきたら、いーっぱいおはなし、きかせてね!」
 ひなたが柊司譲りの大きな目を輝かせている。
「うん、わかった」
 ひなたは俺の脚から離れ、今度は柊司の脚にしがみついた。

「行ってきます」
 俺はアパートを後にした。3人は姿が見えなくなるまで手を振っていた。

 帰ってきたら、ただいまが言える存在。いつか紫陽にも彼らを会わせたい。

 紫陽花の季節、君はいない。
 だけど、また君と紫陽花の森で笑い合える日が来るって信じてる。


【完】

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さくらゆき
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