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【コラボ小説「ただよふ」番外編】陸《おか》で休む 14 (「澪標」シリーズより)


澪さんとケンカして、アパートを出たものの、帰り道が分からず、田んぼのど真ん中で雨の中途方に暮れていると、農道に入ってきた軽自動車のヘッドライトに照らされた。

「あれ?あなたは、最近うちの店に来てくれている人ですよね?どうかされましたか?」
軽自動車から降りてきたのは、レコードカフェの店主だった。カフェの営業を終え、自宅に帰るところだったらしい。

店主はずぶ濡れの僕を軽自動車に乗せ、カフェに連れてきてくれた。僕は店舗にあるシャワーを浴びさせてもらい、店主の服を借りた。

「すいません、お疲れのところご迷惑をおかけして……」
僕は深々と頭を下げた。

「いやいや、ちょうど通りかかって良かった。あのままじゃ、風邪を引いてしまうところでした。時々、店舗に泊まることもあるから着替えを置いてあるんですよ。着られて良かったです。」
店主は人懐こい笑みを浮かべた。

僕は澪さんのことを便宜上妻と言い、「ケンカして家を出たところ、帰れなくなった」と説明した。

「奥さんとケンカしたんですか。それは大変でしたね」

「僕の方に余裕がなくて、伝え方を間違えてしまったんです。本当は、自分のことをもっと大切にしてほしいと伝えたかったのに……」

僕は退職して5年経つ。脳梗塞もやっていて、健康上の不安もある。仕事を探しているが、本当に見つかるのか不安だった。そのことが、僕に余裕を無くさせていた。

「……では、素直にそう伝えれば良いのではないでしょうか。聞くところ、奥さんの為を思っての発言だったのでしょう?真意を説明すれば、分かってくれると思いますよ」

「彼女とはとても気が合って……何も言わなくても通じ合ってしまうところがあって……でも、そのことに甘えていてはいけなかったんだ」

「一番怖いのは、相手が理解してくれていると過信して、歯車が狂っていくことですからね……」

過去に、前妻の実咲さんが大阪を離れて東京で仕事をすることを許してくれた時、僕は仕事に邁進しているのは家族の為だと理解してくれていると過信していた。そのことが、双極性障害が寛解していた実咲さんの孤独に気づかず、元婚約者との火遊びに走らせ、海宝家を家庭崩壊寸前に追い込ませた。

その頃付き合っていた澪さんは、度々家族に気を配ることを促してくれた。コロナ禍に強迫性障害を患って自殺未遂をした実咲さんを見捨てることは出来ないと、身を切られる思いで別れを決意した時も、笑顔で承諾してくれた。澪さんのお陰で、海宝家を再建することが出来たのだ。

だけど僕は、別れた後の澪さんの気持ちを理解しようとしてきただろうか。離婚を経験し、1人で生きようと決めて、仕事を生きる場に選んだら、無理をしてでも仕事に尽くそうとするのは彼女にとって自然なことなのかもしれなかった。

「すいません、電話を貸していただけませんか?」
僕は澪さんのスマホにかけ、病院近くのカフェにいると知らせた。

十数分後、傘を持った澪さんが息を切らして店に入ってきた。

「航さん、無事で良かった!どこかで倒れていたらどうしようかと……」
僕の肩にもたれ掛かった澪さんの声は、とても震えていた。

「すいません、心配かけて」
僕は澪さんを優しく抱きしめた。

「良かったら、1杯コーヒーはいかがですか?奥さんも雨の中、体が冷えたでしょう。時間外なので、お代は結構ですから」
店主は既にコーヒーを入れる準備を始めていた。何度か通ううちに、僕の好みを覚えたようだった。

「では、お言葉に甘えまして……あっ、彼女にはノンカフェインのをお願いします」
僕たちは、窓側のテーブル席に座った。店主は僕たちが話しやすいよう気を利かせて、レコードをかけてくれた。

「……病院の近くに、こんなに雰囲気の良いカフェがあったんですね」
澪さんが店内を見回した。

「コーヒーも美味しいですが、焼き菓子も美味しいんですよ。今度の休みの日に一緒に食べに来ましょう」

コーヒーが運ばれてくると、澪さんはコーヒーカップを握り締め、しばらく湯気を眺めていた。

「私、航さんがアパートを出てから追い掛けたんです。でも、既に航さんの姿は見えなくなっていて……航さんが行きそうな場所の見当がつかなくて……そのうち雨が降ってきて……航さんの具合が悪くなったらどうしようって……怖くなって。航さんが玄関でうつ伏せになっている私を見て、心配してくれた気持ちが分かったんです。不安にさせてしまい、すいませんでした」
澪さんが深く頭を下げた。

「澪さん、頭を上げて!僕も一方的に怒ってしまって、申し訳無かったです。本当は自分のことも大切にしてほしいと言いたかったんです。だけど気持ちに余裕が無くて、きつい言い方になってしまったんです。ちゃんと決まってから伝えようと思っていたのですが、あなたを泣かせては元も子もない。実は今、仕事を探しているんです」

「仕事ですか?航さんは年金を受給しているし、私はまだまだ働けますよ?」
頭を上げた澪さんは、きょとんとした顔をしていた。

「澪さん、30年前に僕が新潟の祖父母の空き家で言ったことを覚えていますか?」

「……新潟でのお祖父様とお祖母様の思い出を話してくれました。空き家を自分の隠れ家にしてるとも。」

「その時『あなたと、ここで暮らすのも楽しそうですね』と言ったんです。あなたと別れてしばらくは、空き家をメンテナンスしていたのですが、老朽化で取り壊してしまったんです。今は更地になっています。僕は、そこにあなたとの新居を建てようと思っているんです」

「新潟で……暮らす?」

「今すぐにとは言いません。小山のご両親と離れてしまいますし、今の職場も辞めなくてはなりません。どうか老後の……看護師を退職した後の選択肢として入れておいてもらえませんか?」

僕が言い終わるや否や、すぐに澪さんが前のめりになった。

「航さん……老後と言わず、籍を入れたら新潟で暮らしましょう。私、新しい航海に出るみたいで、ワクワクします!」
澪さんの表情は、新生活への希望に満ちていた。

「僕も、ますます老いてる場合ではないですね。まずは仕事を見つけて、あなたの仕事の負担を軽くしなくては!」

「航さん、くれぐれも無理はしないでくださいね?」
澪さんは僕が働き過ぎないよう釘を刺すのを忘れなかった。

「──どうやら、仲直り出来たみたいですね」
コーヒーカップを片付けに来たカフェの店主が微笑んだ。

「はい!」
僕たちの返事した声が綺麗に重なった。


新潟の空き家のエピソードは、may_citrusさん原作「澪標」12話にあります。ぜひとも、読んでください。


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さくらゆき
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