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グラニュレーション 12話【最終話】


 個展会場に戻ると、愛佳の両親が来場していた。

「どこに行ってたの、もう!」
 事情を知らない愛佳の母親は、この会場の主役であるはずの娘の姿がなくて心配していたのだ。

「久し振り、愛佳」
 ぽっちゃり体型の父親は、口数は少ないものの、慈愛に満ちた笑顔を向けている。

「はじめまして、荷堂さん。僕は『真中龍史』といいます」
 真中は、両親に挨拶をした。

「話は聞いているわ。思ってた通りの素敵な人ね」
 母親は真中の手を握った。

「お母様、愛佳さんのアトリエの絵の面影がありますね。愛佳さんのお父様が描かれたとか……」
 真中がアトリエの油彩画の話題をした瞬間、両親の顔が凍りついた。

「愛佳、彼はどこまで知っているんだい?」
 父親が、心配そうな顔で娘に質問した。
「そのことなんだけど、今日個展が終わったら、アトリエで話をしたいと思うの」
 愛佳の申し出に、両親と真中は了承した。

 絵のモデルが現れるというハプニングに見舞われながらも、個展三日目は盛況に終わった。

 愛佳が両親と真中を連れてアトリエに帰ると、柴三郎は大興奮でお出迎えしてくれた。

「柴三郎さん、ただいま。お留守番ご苦労様!」
 愛佳が頭を撫でると、柴三郎さんの尾が高速で振れていた。
 餌をやると興奮が収まり、自分からケージの中に入っていった。

 愛佳は生活スペースの扉を開け放ち、アトリエスペースが見えるよう電気を着けた。

 愛佳はダイニングテーブルにコーヒーを人数分並べ、皆を座らせると、本題を切り出した。

「ナカさん、私、両親の実の子ではないの」
 真中は、大きな目を見開いた。
「えっ、でもその肖像画はお母様を描いたものなんだよね?」
 愛佳は縦に頷いた。

「愛佳の実の父親『諏訪すわ佳貴よしたか』と私は、高校時代にお付き合いしていたの。その油彩画は、その時代に描かれたものなの」
 母親が愛佳の実父について、過去を話し始めた。

「佳貴と夫と私は美術部で一緒だった。三人でよく一緒に行動を共にしていたわ。美術部の中でも、佳貴は群を抜いて絵が上手かった。高校を卒業してから、佳貴はパリの美術学校に留学したわ。その時、佳貴と私の恋愛は終わりを迎えた。そして、夫との交際が始まったわ」

「自分は、ずっと想い続けてたんだけどね……」
 父親がボソッと呟くと、母親が「まあ!」と恥ずかしそうな仕草をした。
 愛佳が続きを目で促すと、母親は話を再開した。

「パリでの佳貴のことは知らない。音信不通になっている間、同じく日本から留学していた女性との間に子どもが産まれた。それが愛佳よ。最悪なことに、女性が赤ん坊を置いて行方をくらましたの。日本に帰国したのかもしれない。だけど、佳貴は彼女を追わなかった。赤ん坊は自分で育てるつもりで、留学を辞めて日本に帰国した。だけど、日本の画壇は、肩書きがない画家には厳しかった。なかなか依頼が来ず、生活は困窮していった。そこに追い打ちをかける出来事が起こったの」
「追い打ち?」
 愛佳と真中の声が重なった。

「佳貴は利き手である右手を負傷してしまったんだ。まともに寝食せずに絵を描きながら、バイトを掛け持ちしていた。栄養失調で倒れた時に、右手を折ってしまったんだ」
 父親は沈痛の面持ちで説明した。

「怪我を負って、佳貴の気持ちは折れてしまったの。困窮に加えて、生活自体が荒れていった。ある日、幼い愛佳が大泣きしていた時、側にあった筆を愛佳に投げつけてしまった時、自分はもう限界だと悟った。ずっと連絡をとっていなかった私たちに、『愛佳を育ててほしい』と頼み込んできたわ」

「こないだ見た夢は、やっぱり記憶だったんだ。夢の中で佳貴ちちは『俺の子、生まれて来なければ良かったのに』って言ってた」
 悲しさで震える愛佳の手を、真中は握りしめた。

「愛佳、それはちょっと違うわ。佳貴はあなたを心から愛していた。『俺の子なんかに生まれて来なければ良かったのに、そうすればこの子は不自由なく生きていけたのに』と言ったのよ。だから、私たちは、実の子を育てるのと同じ覚悟で、愛佳を育んでいった」
 母親は嘘を取り繕っているようには思えなかった。

「佳貴は心を治療し、今は落ち着きを取り戻している。右手は元通りにはならなかったけど、働きながら左手で絵を描き続けてる。だが、愛佳に合わせる顔がないと、娘に会うことを拒んでいる」
 父親は、ふぅと溜め息をついた。
「『愛佳』という名は、佳貴が『愛する我が娘』という意味を込めて付けたのだよ」

 愛佳の両親が帰った後、愛佳は真中に打ち明けた。
「夢の中の巨人は、幼い自分が見た佳貴ちちだったのだと思う。自分は父に拒絶されたと思い込み、男性自体を怖れるようになった。そういうことなんだと思うの。だけど、理由は分かっても、急には変われない。それでも、ナカさん一緒にいてくれる?」

「まな、僕は出会った時、柴三郎さんとまなが見つけてくれたことで『僕はここに居る』って思えたんだ。帰る場所がなくなった僕には、あの出会いは救いだったんだよ。だから、僕はまなの味方であろうと思った。今の居場所はここなんだよ」
 
 二人は、アトリエの窓から星が滲んだ空を眺めていた。


【完】


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