【創作大賞2023】さらぬわかれ 5
栄子は恒太の部屋に通された。先ほどの和室とは違い、板張りの洋室である。
何畳分あるかは分からないが、男子中学生が生活するには、ちょっと広すぎる部屋である。
突然の訪問にも関わらず、整理整頓の行き届いた部屋に、恒太の意外な面を見た気がした。
「けっこう部屋片付いてるね」
「いちおう、この家の跡取りとして躾られていますから?」
冗談めかしたような口ぶりで恒太は言った。
学校ではまったく「良いとこの坊っちゃん」オーラを出してない恒太だけど、この家にいると冗談には聞こえない。
恒太の目線が、栄子の手元にいった。
「栄子、そのレジ袋何?」
「あ!そうそう。お見舞いにと思って、林檎買ってきたんだ。あと……」
栄子は鞄から預かっていたノートを出した。
「鈴原さんから今日の授業のノート預かってきたよ」
心にちくっと痛みを感じつつ、林檎の入ったレジ袋とノートを恒太に手渡した。
「……栄子、ごめん」
恒太が栄子を見つめた。熱の影響か、目が潤んでいる。
「『また明日』って言ったのに、休んじゃって」
約束したのに、学校を休んでしまったことを、恒太はけっこう気にしていたのだ。
恒太は皆勤賞を狙えるほど、滅多に体調を崩さない。だから、体調不良で約束を破らざるを得ない状況に慣れていないのである。
(びっくりした~!今のノートを渡した時のもやもやした気持ちが伝わったのかと思った……)
「体調悪くなるのは、誰だって予想出来ないし、そんなに気にしないでいいよ。それにほらっ、今会っているんだから約束破ったことにはなっていないよ?」
「それも、そうだね」
恒太がほっとした顔をしてくれた。栄子もそんな恒太を見てほっとした。
恒太は栄子から手渡されたレジ袋とノートを勉強机の上に置き、ベッドの横に椅子を持ってきた。
「座りなよ」
恒太に促され、栄子は椅子に座った。
恒太はベッドの上に腰掛け、2人は向かい合わせになった。
「でも、まさか栄子がオレの家まで見舞いに来るとは思わなかったよ。前に来たときには、嫌な思いさせちゃったからな~」
恒太が苦笑した。栄子は当時の苦い感情を思い出し、押し黙ってしまった。
「じいちゃん、祟りには過敏だったから……」
──あれは、小学生時代の、恒太と再会してからちょっと経った頃だった。
「栄子ちゃん、今度うちに遊びにおいでよ!」
恒太が誘ってくれたので、日曜日に恒太の家に行くことになったのだ。
正直、栄子は日曜日が苦手である。
遊ぶ友達もいなくて、両親も休み返上で働いているので、1人で意識のない姉と終日向かい合わなければならないからだ。
だから、恒太が誘ってくれて嬉しかった。日曜日に出掛けるなんて、久しぶりだった。
だが、それは後に栄子にとって良くない思い出になってしまうのだった。
日曜日当日。頭上には、雲1つない青空が広がっていた。
「お姉ちゃん、行ってくるね!」
返事はないと分かってはいるけど、桂に話し掛けるのが栄子の習慣になっていた。
玄関の戸締まりをしていたら、恒太が迎えに来た。
「おはよう、栄子ちゃん!」
「……おはよう」
恒太の屈託のない笑顔が休日にも見られて、こそばゆかった。
「じゃあ、行こうか」
恒太は手を差し出した。
教室で再会した時に庇ってくれた時もそうだったが、恒太は人に触れることに躊躇しない。そんな彼に、栄子は幼心に尊敬を抱いた。
(温かい……)
そう感じたのは、てのひらだったか、心だったか。
丘の上の桜の木が見えてきた。
花の季節を過ぎたというのに、花どころか葉すら付いていない様は、朽ちているのではないかと思わせるのであった。
「恒太君のうち、この木の近くなの?」
栄子が聞くと、恒太は「うん」とうなずいた。
「ほら、あそこだよ!」
と指を差した先には、古いながら立派な木造2階建ての屋敷が建っていた。
「こ……恒太君のうちって、お金持ちなの?」
栄子はびっくりして、声が裏返ってしまった。
「他のうちとは比べたことがないから、分からないや。でも、お金はじいちゃんとか親のものであって、オレのものじゃないし」
恒太から、小学2年にしては達観した答えが返ってきた。
(恒太君って、ちょっと考え方が変わってるよね……良い意味で)
話しているうちに、2人は屋敷の門にたどり着いた。
屋敷の敷地内に入ると、急に背筋がヒヤリとした。
(なんだろう?今日はお天気で暖かいのに……)
栄子はこれ以上考えるのを止めてしまった。この異質な家の気配に明確に気付いたのは、恒太の見舞いに来た今日である。
「お…お邪魔しま~す」
遠慮がちに屋敷の中に入ると、恒太の母親が出迎えてくれた。
「おはよう。貴女が栄子ちゃんね!私は恒太の母の『波留』。この家、古くて子供が遊ぶものはないけど、ゆっくりしていってね」
波留は恒太にとても似ている優しい笑顔でもてなしてくれた。
栄子に向けられた大人からの優しさが、戸惑いつつも心にしみた。
「恒太君のお母さん、いい人ね」
「そう?ありがとう!」
恒太ははにかんだ笑顔を浮かべた。
栄子と恒太は和室に入った。床の間には季節の花と、なぜか季節外れの桜の掛け軸が飾られていた。この時には、日本刀は飾られていなかった。どこかにしまわれていたのだろう。
しばらくすると、波留がお菓子を持ってきてくれた。
「栄子ちゃん、お菓子どうぞ!いっぱいあるから、遠慮しないで食べてね」
と、座卓にお菓子の入った籠を置いた。
お煎餅やお饅頭などの和菓子の他、クッキーやチョコなどの洋菓子など、バラエティーに富んだ種類が入っていた。きっと、ここにはじめて来た栄子のために、いろいろ用意してくれたのだろう。
そう思ったら、栄子の目に涙が溢れてしまっていた。
「ご……ごめんなさい。何で涙が?嬉しいのに」
このままでは、変な子だと思われてしまう。必死で涙を袖でごしごし拭っていると、波留が栄子を優しく抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫よ。泣いてもいいのよ」
温かなその腕の中で、栄子は自分の存在を許された気がした。
その時、乱暴に玄関を開けた音が屋敷内に響いた。
誰かが帰ってきたらしいが、挨拶もなく、荒々しい早足の音が栄子達のいる和室に近づいてきた。そして白髪頭の男性が和室に入ってきた。この家の主、つまり恒太の祖父である。
「──おい、何でここに『災いの子』がいるんだ」
鬼のような形相で、栄子を睨み付けてきた。
「じいちゃん、この子は『災いの子』なんかじゃないよ!!」
恒太は必死でかばってくれたが、話が通じる相手ではなかった。
「お義父さん、今日は帰りが遅くなるはずじゃなかったんですか?」
波留が恐る恐る聞いた。
「親切なご近所さんが、『災いの子』が我が家に入り込んでいると知らせてくれたんだ!!」
近所に住む誰かが、恒太の祖父に告げ口をしたらしい。それほどに、あの木の祟りの伝説はこの村を支配しているのだ。
しかし、この老人の態度は村の誰とも違っていた。
それは、剥き出しの「敵意」であった。
「さあ!この家から出てけっ!!」
恒太の祖父は栄子の腕を無理やり引っ張った。
「痛いっ……」
栄子は悲鳴をあげた。
恒太が祖父の前に立ち塞がった。
「じいちゃん、栄子ちゃんが何をしたっていうんだ。ここまで女の子に乱暴することないだろ?」
孫の問いに祖父は、
「あの木のせいで、我が一族は……」
と何かを言いかけて口をつぐんだ。
「そんなことより、さっさと出ていけ!!」
祖父は、栄子を和室前の廊下のガラス戸を開け突き飛ばした。その拍子に栄子は転倒してしまった。
「栄子ちゃん!!」
恒太が走り寄ろうとしたら、祖父が恒太を片手で制した。
「恒太、情けは無用。さあ災いの子、二度と我が家に現れるでないぞ!!」
祖父はガラス戸をピシャリと閉めた。
栄子は独り慟哭しながら帰路についた。
(さっきまで、あんなに幸せな気持ちだったのに。)
突き飛ばされた体より、心の方が痛かった。
(何で、こんなに惨めな思いをしなければならないんだろう)
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