振り返る【#シロクマ文芸部】
振り返ると、華美で甘美な人生だった。
かつての私は貴族という身分で、心が渇いていた。
広大な屋敷に、大勢の使用人を従え、高価な調度品に囲まれて過ごしていた。豪勢な食事で飢えることもなく、灼けるような暑さも、痛いほどの凍えも知らずに生きてきた。
夜な夜な舞踏会で踊り明かしても、心は満たされることは無かった。
ある日の出会いが、私を変えた。
「はじめまして。本日からここで働かせていただくことになりました。マリーと申します」
使用人の服をまとった天使だと思った。
私は、彼女の誠意ある働きをずっと見ていた。手伝おうとすると、「御主人様は自身の仕事をしてください」と叱られた。
愛想笑いとは無縁で、嬉しい時は心から笑う女性だった。
「好きだよ、マリー」
私が告白した時は、彼女は顔を真っ赤にしていたが、返事はウラハラだった。
「いけません。身分が違いすぎます」
マリーは涙目だった。
「人を想うのに、身分なんて構うものか!マリーは私のことが嫌なのか?」
「私は……何者でなくとも貴方が好きです」
私とマリーは、人知れず結ばれた。
それから私は、毎晩のように通っていた舞踏会からは遠ざかり、マリーとの逢瀬に幸せを見つけた。
振り返ると、最高の人生だった。
「──マリー、やっとただの男として君を愛せる」
私の絞り出した言葉に、マリーは首を振る。
「嫌です。貴方がいなくなるなんて」
止めどなく流れるマリーの涙を、指で拭う。
「どうかお腹の子と幸せに生き抜いてほしい。それが私の、この子の父親として最初で最後の願いだ」
数か月前に別れたマリーとの、最後の抱擁の時感じた熱は、今でも忘れない。
私は明日、断頭台に登る。
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