グラニュレーション 7話
新しい絵を展示したと真中から聞いたので、開館時間前に愛佳はギャラリーに足を運んだ。今話題の美人画の最新作が3点、入口近くに展示されていた。
「綺麗……美人画といえば江戸や大正時代のイメージが強いけれど、現代ならではの美しさが表現されている。どうしたら、こんな風に描けるのかな」
愛佳は、絵の美しさに息を呑んだ。
「まなは、人物画は描かないの?」
スーツ姿の真中が、愛佳の隣に立っている。
「人物画は難しくて。興味はあるけど」
言葉を濁す愛佳を、真中が顎に手を当てて見つめた。
「そうだ!いつか僕を描いてよ!」
「え!?」
真中のリクエストに、愛佳が目を丸くした。
「あっ、でもプロの画家に無料で描いてもらうのは図々しいね」
「ううん、それは良いんだけど、私でいいの?」
「他の人じゃなくて、『まな』が描いた絵がいいんだ」
「分かった。いつかナカさんの絵をプレゼントするよ」
「ん、楽しみにしている」
真中が少年のような笑顔を見せた。
愛佳は彼と約束をしてしまったことに、不安を覚えた。偽物の関係が、いつまで続くのか分からないのに。
「お~い、二人とも。コーヒー入れたから、こっち来て飲みなよ!」
オーナーがカフェスペースから声を掛けてきた。
コーヒーにはリーフのラテアートが施されていた。愛佳は香りとラテアートを楽しんでから、コーヒーを味わった。
「そういえば、まなのアトリエの油彩画と、カフェスペースの母子像って、同じ画家の作品だよね。アトリエの方は写実で、ここの絵は印象派みたいだけど。サインが同じだから」
真中が絵の話に触れた途端、愛佳の顔から表情が消えた。
「『父』の描いた絵なの。元々、アトリエも父のもので、その当時から掛けられてたの」
愛佳の心の温度が急激に下がっていく。何も知らない真中でも、彼女の様子が変なことに気づいた。
「まな……」
「ハイハイ!真中くん、そろそろ開館時間だから、サインプレートを『OPEN』にしてきて!!」
オーナーが会話を遮るように、真中に指示を出した。
真中が離れると、愛佳は「すいません」と、オーナーの気遣いに頭を下げた。
「真中くんには、言わない方が良いのかな?」
オーナーに聞かれ、愛佳は頷く。
「聞いて楽しい話ではないですから。私、そろそろお暇します。コーヒー、ごちそうさまでした」
愛佳は逃げるように、アトリエへ帰っていった。
オーナーに釘を差されたのか、その話題はタブーと感じたのか、真中が愛佳の父について聞いてくることはなかった。
画材フェス、当日。
二人は会場の入口で待ち合わせしていた。愛佳は一張羅のワンピースに新しいスニーカーといういつもよりは気合の入った服を着ていた。髪形は、どうして良いか分からずに、いつも通りの一つ縛りだ。
真中と出掛けることを知ったオーナーに、「犬の散歩と同じ服で出掛けるなんてあり得ない」と言われてしまったのだ。
「まな、お待たせ!」
真中は、白いTシャツの上に六分袖のグレーのサマーカーディガンにネイビーのテーパードパンツを着こなしている。
真中は愛佳の髪をじっと観察すると、物陰に愛佳を引っ張り込んだ。
「ちょっと髪の毛いじらせて!」
真中は愛佳の髪を解くと、手ぐしでねじりのある低めお団子をあっという間に作り上げた。
何が起こったのか解らない愛佳に、真中は愛佳の後頭部をスマホで撮影し、作ったお団子を見せた。
「え?すごい。こんな短時間でお団子作ったの?」
愛佳はお団子に手を当てて驚嘆した。
「うん。失礼かなと思ったけど、可愛いワンピース着てるから、更に可愛くしたくなったんだ」
「失礼だなんて思わないよ。むしろ髪型をどうしたらいいか分からなかったから、ありがたいよ」
「そう、喜んでくれて良かった」
真中はほっと胸を撫で下ろした。
「ナカさんは、本当に器用だね」
「実は、美容師になりたくて勉強していたんだ。だけど、薬剤やシャンプーでアレルギーを起こしてしまって、諦めざるを得なかった……」
「そうだったんだね」
今は美しい手だが、薬剤アレルギーを起こして腫れ上がってしまった真中の手を想像しすると、愛佳は痛々しい気持ちになるのだった。
「先生と離れてまで目指したのに、美容師になれなかった。地元に戻って医療用画像管理システムの会社に就職した。でも、やりたかったことじゃなかったから虚しかった。その頃に出会ったのが、姉の友達だった元カノだったんだ」
真中の、先生と連絡が取れなくなっていった時期と、美容師への夢を諦めた時期は重なる。
もしも、先生が真中との連絡を密にしていたなら、運命は違うものになっていたのではないか。
「ナカさん、今も虚しい?」
愛佳の問いに、真中は横に首を振った。
「今の仕事はとても楽しいし、自分に合ってると思う。帰る場所は失ったけど、この街に来ることが出来て、本当に良かった」
愛佳には、まっすぐに自分を見る真中の目が潤んで見えた。
「まな、そろそろ会場に入ろうか!」
気持ちを切り替えるように、真中は明るく振る舞った。