【コラボ小説「ただよふ」番外編】陸《おか》で休む 9 (「澪標」シリーズより)
「澪が上京して、年末年始しか帰ってこない状況が変わったのは、2021年、例のウイルスの影響で東京オリンピック・パラリンピックが1年遅れて開催された年でした。澪から、『家族が心配だから、北関東事業所に異動してきた』と連絡がありました。私の両親や妻は、澪が近くに来てくれたと喜んでいましたが、私は違和感を拭えませんでした。家族のことが心配というのも嘘ではないだろうが、東京で何かあったのではないかと思いました。」
僕の胸は鈍く痛んだ。澪さんが異動した本当の理由は、僕と別れたことで、顔を合わせるのが辛くなってしまったからだ。
「娘さんを傷付けてしまい、まことに申し訳ありませんでした……」
僕は頭を深く下げた。
「海宝さん、頭を上げてください!そのことについては、もう咎めません。もしも悪いと思うなら、私の話を最後まで聞いてください」
僕が頭を上げると、父親は話を続けた。
「2022年、母が澪にお見合い話を持ってきました。相手はうちと同じような教員の家でした。私や妻は、はじめは乗り気ではなかったのですが、両親に『自分が生きているうちに澪の子どもの顔が見たい。お前たちだって今年度定年なのだから、澪にはきちんと身を固めてもらわないと困るだろう』と諭されました。澪に見合いの話を持って行くと、『会ってみても良い』と返事がありました。異動してきてから、娘は婚活をしていたようで……良い人が見つからず、疲れているようでした。澪は見合いをし、相手の男性も好印象でしたので、そのまま縁談は進み、その年のうちに結婚しました」
昔、澪さんの同期である竹内くんから見せられた、澪さんの白無垢姿のスマホ画像を今でも覚えている。スマホの中のあなたは、張り付いたような笑みを浮かべていた。当時の僕は一抹の不安を覚えたが、これから旦那さんと絆を深めていくのだと、思い直したのだった。
「結婚をしたものの、妊娠する兆候は見られず、夫婦は妊活を始めました。検査しても異常は見つからず、人工授精などあらゆる方法を試したと聞いています。義理の両親から、子どもはまだ出来ないのかと言われていたのも、澪にはプレッシャーだったに違いありません。ある日、義理の父親から、澪に離婚してほしい旨を切りだしたと、電話が掛かってきました。子どもが産めないなら早めに再婚させたい、息子もそのことに同意した、というのが向こうの言い分でした。都会に住んでいたから家風に合わないだの、家柄は良くても教師になれなかった落ちこぼれは要らないだの、澪の人格まで否定するようなことを言い出したので、私は激怒し、電話を切りました。」
父親の目は、怒りに満ちていた。大切なひとり娘が相手の親に侮辱されたことを今でも許すことは出来ないのだろう。
「見合い話を持ってきた母は、孫にそんな縁を結んでしまったことを申し訳ないと泣いていました。私は離婚を切り出された澪が心配になって、澪に会いに行きました。澪は決して向こうの家族のことを悪くは言いませんでした。それどころか、向こうの家には良くしてもらったとまで言っていました。しまいには、『私はどこまでも親不孝だね、ごめん』と謝られてしまいました。私は気丈に振る舞おうとする娘をきつく抱き締めました」
「それから、澪さんはどうしたのですか?」
「私は一旦実家に戻ることを勧めたのですが、『私はひとりで生きていくことに決めたの。誰かに幸せにしてもらうんじゃない。例え荒海の人生でも、私は自分の航路を行くの!』と言って、看護専門学校に入学しました。離婚する前から、入学に向けて勉強をしていたようでした。入学してからしばらくして連絡をとると、『大変だけど、とても充実しているよ。年下の子に頼りにされてるのがとても嬉しい。ここにはいろんな立場や経歴の人がいて、視野が広がった』と、報告してくれました」
僕は、澪さんと新潟の冬の日本海で別れた日のことを思い出していた。あなたは波打ち際を歩き続けていた。捨てられていた空き缶につまづき、転びそうになっても、体勢を立て直して歩いていた。あれから荒波に飲まれてしまいそうになっても、あなたは自分の足で歩き続けていたのだ。
「小山の病院で看護師として働き始めると、私たちに『娘さんに親切にしてもらった』『頼りがいがあって、心強かった』と、澪を褒める言葉が耳に入ってくるようになりました。鈴木家や妻の実家の両親は、孫が人のお役に立てていることに誇りを持って、天に旅立って行きました」
「僕も、澪さんに支えてもらった1人です。澪さんは形は違えど、人を支えたいという精神は、あなた方をはじめ、先祖代々から受け継いでいるんですね」
「私たち家族は、教師という形にこだわり過ぎたのかもしれません」
父親は息を整えると、僕を見据えた。
「海宝さん、私も妻も看護師という生き方を選んだ澪という娘に誇りを持っています。だけど、私たちには気がかりなことがありました。私たちがいなくなったら、澪は天涯孤独になってしまう。動けるうちはまだ良いですが、看護師が出来なくなったら、澪の支えになってやれる家族が澪にはいない。澪を独り残していくことを、遣る瀬無く思っていました。だけど、海宝さん…あなたが現れてくれました。あなたと一緒になることで、澪は独りにならずに済みます。澪に家族が出来ることを、私は心から嬉しく思っています!」
父親が差し伸べた手を、僕は力強く握った。
話を終えると、父親は澪さんの幼い頃の写真を見せてくれた。僕は御礼に、スマホに保存していた息子家族の画像を見せた。澪さんと広島の宮島で撮った写真を見せ合ったように。
「お父さん、航さん、お待たせしてすいませんでした!」
澪さんがお土産の入った袋をさげて、母親と戻ってきた。
「何だか2人楽しそう」
「『航さん』に息子さんの家族写真を見せてもらったんだよ。とてもそっくりで、びっくりしたよ」
父親が娘に優しく微笑みかけた。
「僕は『お義父さん』に、澪さんの小さい頃の……」
「キャー、お父さん何見せてるの~」
澪さんは恥ずかしくなって、写真を引っ手繰った。既にスマホで写真を写させてもらったのは、澪さんには秘密にしておこうと思う。
高齢者施設をお暇しようとした時、父親が僕に「航さん、将棋指せますか?」と尋ねてきた。
「子どもの頃、新潟に住んでいた祖父とよく指していました」
「今度いらした時、ぜひ指しましょう」
「僕は手加減出来ませんよ、お義父さん」
僕たちのやり取りを聞いていた母親が、「今日はじめて会ったのに、ずっと前からの父子みたい」と笑った。
「そうだね」と肯いた澪さんも、母親と同じ笑顔だった。
澪さんと航さんがお別れしたシーンは、may_citrusさん原作「澪標」17話にあります。