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その紙の重さ【#秋ピリカ応募】

 家の六畳の離れが私のすべてになっていた。遠くから幼い子どもが高らかに歌う軍歌と、障子越しに見える木の影が、ここから得られる外の世界だった。
 私は死亡率の高い病に罹っており、往診の医者以外に他人に会うことはなかった。戦況の悪化で高額な薬も手に入らなくなり、私の命はここで終わるのだと諦めていた。

 寒い冬の日、久しぶりに障子越しではあるが父がやって来た。

「瑞穂、幼なじみの栄二君に召集令状が届いた。1週間後には出征する。栄二君とお前は結婚することが決まった。本人たっての望みだ」

 私と栄二さんは、式どころか本人の顔も見えない結婚をした。住まいはこれまで通り実家の離れ、会うのも私の体調を考慮し、昼間の15分間だけだ。

「瑞穂さん、無理に結婚を進めてごめん」
 障子越しに申し訳無さそうに謝る栄二さん。進学の為に家を出る前の、あどけなさの残る顔しか浮かばない。

「どうして私を選んだの?栄二さんは容姿も申し分ないし、もっと健康なお相手が良かったのでは?」
 私は障子に映った栄二さんの影に触れた。

「瑞穂さんは気づいてなかったかもしれないけど、僕は幼い時からずっと君が好きだった。僕が今の家に養子に来た時、君と遊んだことが今でも鮮明に思い出されるよ」

 栄二さんは、跡継ぎとして養子にやって来た。栄二さんの義父と私の父は親友だったので、よく遊んだものだった。

「栄二さん、障子に手を当ててください。少しでもあなたを感じたい」

 栄二さんが障子に手を当てたところに、私も手を重ねた。障子越しに感じるあなたを愛しく思った。

 夜になると出るひどい咳も、栄二さんとの時間を思うと耐えられた。栄二さんが征ってしまうまでは、生きたいと欲が出た。

 短い時間の新婚生活は、栄二さんの学生時代や家の外の話をした。すっかり声が低くなった栄二さんの笑い声を、いつまでも聞いていたかった。

 出征前夜、最後の日ということで夜も一緒にいることが許された。

「私が健康だったなら、栄二さんに御守りを作って渡したかった」

「瑞穂さん、僕は既にもらっているよ。養子に来て初めての人日の節句、紋切り型で遊んだよね。その時、瑞穂さんがくれた薺の切り紙。最期まで肌身離さず持っていくよ」

 私は動揺し、咳が止まらなくなってしまった。すると勢いよく障子が開き、栄二さんが咳が収まるまで抱き締めてくれた。

「栄二さん、最期なんて言わないで。私も生きるから、これを持って無事に帰ってきて」

 栄二さんは私が眠りに就いた後、征ってしまった。

 空襲が酷くなると、家のお手伝いさんの嫁ぎ先に疎開した。そこで父に、実は婚姻届は出されていなかったことを知らされた。

 戦争の間に実家は焼けてしまい、そのまま疎開先の地に住むことにした。
 何年か経ち、開発された特効薬が日本に入り、私の病は完治した。

「瑞穂さん、ただいま」
 懐かしい声が私の鼓膜を優しく震わせた。薺の切り紙が、その手にあった。

【1200文字】

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