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グラニュレーション 8話


 画材フェスには、国内外の有名画材・文具メーカーが出展していた。会場内には、実際に使い心地を試してみたい人や、画材・文具をこよなく愛する人たちで溢れかえっていた。もちろん、愛佳もその一人である。

「わぁ、ホルベインに名村にマルマン、シュミンケ、オリオン、墨運堂ぼくうんどう、あかしや……どこから見て回ろう!!」
 愛佳は、好きなものに囲まれて興奮状態である。

「僕、場違いかな……」
 真中は、周りと自分との温度差に戸惑いを隠せなかった。
「画材だけじゃなくて、文具メーカーも出展しているから、ナカさんも楽しめるよ」
 せっかく真中がお出掛けを誘ってくれたのに、彼をなおざりにしては申し訳ない。愛佳は、まず真中と文具メーカーを見て回ることにした。

「ほぼ日のavec後期とかどう?七月始まりだから、すぐに使えるよ?」
 愛佳は手帳を差し出した。
「うーん、おすすめしてもらって嬉しいけど、スケジュールはアプリ管理なんだよね。ごめんね」
 真中は申し訳なさそうな顔をした。
「そうなんだ……」
 愛佳は手帳を元の場所に戻した。

「あっ、満寿屋ますやのMONOKAKIノート!これ、万年筆インクが裏抜けしないんだよ。私このノート好きなんだ。でもナカさん、万年筆とか使わないか……」
「まなが好きなノート、使ってみたくなった。このノートと、ペンを買おうと思う」

 ノートコーナーの隣に、ガラスペンの試し書きが出来るスペースがあった。職人の手で作られたペンは、一本一本が芸術品である。

 真中は、MONOKAKIノートと、涼しげな青のガラスペンと、PILOTの万年筆インク色彩雫いろしずく【紫陽花】を購入した。

「何だか無理に買わせちゃった気がする……」
 愛佳は申し訳なくなってしまった。
「ううん、スマホばかりでまともに文字を書いてないから、良いきっかけだと思う。宝石みたいなペンで文字を書いたら、自分の癖のある字も特別になるよ」
 愛佳は思わず、試し書きの真中の癖の強い文字を見た。愛佳は彼が文字を書くことを楽しんでくれることを願った。

 真中の買い物が終わったので、今度は画材メーカーを見て回った。

 愛佳は、オリオンの水彩紙スターターパックのポストカードサイズを手に取った。
「これ、いろんなタイプの水彩紙が試せるんだよ!」
 愛佳は鼻息を荒くした。
「そんなに違うものなの?」
 真中が紙のサンプルを手にとって眺めながら、質問した。
「『ワーグマン350g』とか、紙というより薄い板みたいに丈夫なものもあれば、『麻王まおう』みたいに滲みに特化した紙も入っているの。流石に全種類買うと相当なお値段してしまうから、一枚ずつ試せるのはありがたいんだよ」
「へ〜、そうなんだ」

 紙を買った後、筆のメーカーにも寄った。
「こちらの筆は『Renardルナール』、天然毛シルバーフォックス毛を使用しているんですよ」
 バイヤーが、新製品を熱弁し始めた。
「服飾品用としてのシルバーフォックス毛は、今過剰在庫となって、行き場を失っているんですよ。原毛に乏しい日本では廃棄してしまうような短い毛も筆として活用する考えが元々ありまして、シルバーフォックス毛の水彩筆を作ったんです」
「SDGsの目標が掲げられてから、毛皮自体を使用しないことを売りにしている服飾ブランドもあるけど、既に在庫になっているものを廃棄してしまったら、それこそ資源が無駄になってしまいますよね。別の用途でも、活用されて良かったと思います」
 真中は大真面目にバイヤーと話し込んでいた。
 真中は薬剤アレルギーで美容師の夢を諦めた経緯があるので、環境負荷に関わる話題には敏感なのだろう。

 愛佳は、名村大成堂の「Renard」とホルベインのブラックリセーブルSQ-Tキャッツタンの二本を購入した。

 愛佳が「そろそろ帰ろう」と言おうと振り返ったら、真中の姿がなかった。

「ナカ……さん?もしかして、怒って一人で帰ってしまったの?」
 画材選びが楽し過ぎて、真中を放ったらかしにしてしまったことに、愛佳は気づいた。
 愛佳は、まだ大勢の人がいる会場の中をよろよろと探し回った。だが、真中を見つけることが出来ないまま、元の場所に戻ってきてしまった。

 探すのは諦めて帰ろうと思った時、愛佳のスマホの着信音が鳴った。真中からの電話だった。
「まな、そこから動かないで!」
 スマホだけでなく、後方の離れた場所から真中の声が聞こえた。

 人をかき分けて、真中は愛佳の元に辿り着いた。
「やっと追いついた。まな、どんどん先に行ってしまうんだもの」
 愛佳はその場にへなへなと座り込んでしまった。

「ナカさん、私が放ったらかしにしたから、怒って帰ってしまったのかと思った……」
 力なく真中を見つめる愛佳に、真中は手を差し伸べて、彼女を立たせた。

「僕がまなを置いて帰るわけないよ。プレゼントを包装してもらっていたら、まながどんどん歩いていってしまうから、追い掛けていたんだ」
 真中は綺麗に包装された細長い箱を手渡した。

「ここで開けて良い?」
「どうぞ!」
 
 包装紙を広げると、中はホルベインの「透明水彩絵具 グラニュレーティングカラーズ 24色セット」だった。

「ナカさん、これ高かったんじゃ……」
 ホルベイン製は手頃とはいえ、分離色は高価な絵具である。
「これ見つけた時、どうしてもまなにプレゼントしたくなったんだ。以前、まな言っていたよね。『性別は分離色グラニュレーションだ』『カミングアウトしたらなぜ変わり者のように扱われるのか』って。だけど、この絵具は分離色を肯定的に捉えてる。だから、まなに持っていて欲しいんだ」
 真中は、大きな目を細くして微笑んだ。

「ナカさん、ありがとう。大切に使うね!」
 愛佳は真中の真心が嬉しくて、箱をギュッと抱き締めた。


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