【コラボ小説「ただよふ」番外編】陸《おか》で休む 6 (「澪標」シリーズより)
栃木県小山市の高齢者施設。駐車場に植えられた八重桜が、薄曇りのなか咲き誇っている。
僕と澪さんは施設の玄関前に立っていた。
「……航さん、顔が険しいです。うちの両親に会うの、止しましょうか?」
澪さんが不安そうに、僕の顔色をうかがっていた。
「大丈夫です。ちょっと緊張しているだけです」
再婚とはいえ、ご両親の大事な娘をもらい受けるわけなので、礼儀を欠くわけにはいかなかった。それに、僕にはどうしても彼らに伝えたいことがあった。
「そうですか。私も緊張しています……」
澪さんは困ったように微笑んだ。僕たちの過去の関係はご両親には伏せることにしてあるが、それを差し引いても高齢の僕が気に入られる可能性は低いと思っているのだろう。
「大丈夫、何を言われても。覚悟は出来てます。あなたが不安に思うことはありませんよ。さあ、行きましょう!」
僕は口角を上げた。
僕たちは寄り添いながら、施設内に入った。
「こんにちは、鈴木師長!今日はどうしたんですか?」
受付の若い女性が、澪さんに気さくに話し掛けた。
「渡辺さん、こんにちは。今日はこれから両親に彼を紹介する予定なの」
「こんにちは。海宝航です。鈴木澪さんと婚約しています」
僕は渡辺さんに丁寧に会釈した。
「えっ、師長結婚するんですか?おめでとうございます~!」
「ありがとうございます」
明るい声で祝福され、僕たちは赤くなってしまった。
受付を済ませ、僕たちはご両親が待つ面会場所へ向かって歩いた。
「ここの施設、私が勤める病院が運営しているんですよ。施設の入居者が体調を崩したときには、うちの病院が対応することになっているので、ここのスタッフとは顔見知りなんです」
「それで『師長』と呼ばれていたんですね。納得しました」
澪さんが看護師として積み上げてきた信頼や親しみやすさを、僕は先程の会話から感じとっていた。
面会場所につくと、澪さんの両親が既に待っていた。元教師の視線が、僕がどんな人間なのか見極めようとしていた。
「こんにちは。はじめまして。海宝航です。澪さんとは、東京の会社の営業部で一緒に働いていました」
僕は姿勢を正し、はっきりとした声で自己紹介をした。
「東京の…試験運営の会社でしたか。澪の働きぶりはどうでしたか」
父親が僕に質問を投げかけた。
代々教師の家柄だった澪さんのご両親は、教師にも公務員にもならなかった澪さんの就職先に失望していた。僕はずっと、澪さんがどれだけ仕事に誇りを持っていたか知って欲しかった。
「澪さんはとても誇りを持って、仕事に取り組んでいました。上司とはいえ、途中から入社してきた僕にも親切丁寧に仕事を教えてくれました。僕の配慮が足らずに、トラブルに発展しそうになった時には、彼女が擁護してくれたお陰で大事に至らずに済みました。周りの配慮をしつつも、間違っている時は、キッパリと意見を述べてくれる彼女は、周りからの信頼も厚かったんです。入社したての僕にとって、どれだけ心強かったことか──」
僕がご両親に澪さんのことを懸命に説明していると、澪さんが僕の袖を引っ張った。
「こ…航さん、そんな風に言われたら恥ずかしいです」
気づくと、澪さんだけでなくご両親も顔が赤くなっていた。僕はどうやら猪突猛進してしまっていたようだった。
母親は「海宝さんは、仕事熱心な方でしたのね」と、にっこり微笑んだ。
「そうなの!航さんは、元々関西の大学の広報や入試担当で働いていたのだけれど、試験監督が大学教員の負担になっていることをどうにかしたくて、転職してきたの!ニーズを見極めて、正しい方向に仕事に邁進していく航さんは、会社でも評判良かったんだから!」
興奮気味に澪さんが両親に僕のことを説明しているので、僕は気恥ずかしくなった。
「……ところで、海宝さんは再婚ということですが」
父親のこの質問は想定内だった。
「はい。僕が24歳のときに15歳上の女性と結婚しました。女性との間に一人息子をもうけました。完治しない病を患っていた妻のことで、澪さんには話を聞いてもらっていました。澪さんの存在が、妻のケアに疲れていた僕の心を支えてくれました。そんな妻も昨年……」
僕は思わず、声を詰まらせてしまった。
「ご愁傷様でした」
澪さんやご両親が、僕を心配そうに見つめていた。
「すいません……まだ心の整理が追いついていなくて。妻を亡くして、生きる気力を失っていた時に、僕は澪さんと再会しました。僕は、生きる気力を彼女に与えてもらいました。僕のこれからの人生に澪さんは必要なんです。どうか、僕たちの結婚を認めてもらえないてしょうか!」
僕はご両親に深く頭を下げた。
航さんの課長時代の会社での評判は、may_citrusさん原作「澪標」3話で読むことが出来ます。