【コラボショート】羽衣をなくした天女(「紫陽花の季節、君はいない」×「澪標」)
躊躇なく旅が出来るようになってきた、秋の空気が清々しい日曜日。
俺…夏越は栃木県の茂木にある天子神社にやって来た。辺りは秋草が生い茂り、静まり返っている。
俺は八幡宮の紫陽花の精霊【紫陽】の生まれ変わりを探しに、全国の神社仏閣を巡る旅をしている。
紫陽は俺の恋人だったが、人間と精霊の逢瀬は禁忌だった。俺と共に生きる為に彼女は精霊としての死を選び、この世の何処かに人間として生まれ変わった。
さすがに、こんなに人気の無い場所に紫陽はいないと思い、参拝を済ませ、帰ろうと踵を返した。
「キャッ!」
俺は後ろにいた女性に気づかずに、ぶつかってしまった。
「わっ、すいません!大丈夫ですか?」
俺は女性が怪我をしていないか確かめた。
「大丈夫です。私の方が並ぶのを距離つめすぎたせいですし。」
女性は30代半ばぐらいで、とてもたおやかな雰囲気を纏っていた。香水を付けているのか、良い香りがした。
俺はこの女性に違和感を感じた。彼女はこの辺の住人ではなさそうだった。わざわざ、ここまで参拝しにきたのだろう。
女性は縋るように祈っていた。余程の事情があるように思えた。
「あの…私に何か用ですか?」
女性に尋ねられ、目を離せなくなっていた自分に気付いた。
「あ…すいません!用があるわけではないのですが。気持ちを害してしまいましたね。すぐに帰ります!」
俺は失礼を詫び、立ち去ろうとした。
「待って!少し話でもしませんか?あなたこれから駅に向かうのでしょう?車で送っていくから!」
女性に引き止められ、俺は彼女の話を聞くことにした。
「あなた、何処から来たの?」
この女性は見知らぬ男性に対して警戒がないようだった。
「M市です。」
女性が警戒しない分、俺の方が緊張していた。
「県外から?私は県内の小山市。」
女性は県内とはいえ、やはりこの辺の住人ではなかった。
「私…結婚しているのだけれど、なかなか子宝に恵まれなくて、県内の神社仏閣を巡っているの。天子神社に祀られている神様は人体の完備を表しているから…」
女性の左手の薬指には、指輪が鈍く光っていた。
「そうなんですね。俺は人探しです。行方のしれない恋人を。神社にゆかりのある人だったので、もしかしたら会えるかもしれないと思って。」
旅先だからだろうか。普段なら誰にも言えないことを、この女性に話していた。
「空に還ってしまった天女を探す夫みたい…」
女性が不意に言ったことに、俺はドキリとした。2020年の夏至日食の日、紫陽はまさに空に還っていったのだから。
「この神社ね、天女の羽衣伝説があるのよ。水浴びをしていた天女の衣を隠した男の嫁になって、この地に子孫を残したんだって。」
「ああ、それで『天子』神社なんですね!」
俺は大袈裟に納得する素振りを見せた。
「…でも、あなたは羽衣を隠すような狡い人間には見えないわね。むしろ、それは私の方……」
女性の表情が曇った。
「私、結婚する前に同じ会社の上司と不倫していたの。上司は本来とても誠実な男性だったけど、ある事情を抱えて疲れ切っていた。私は彼を愛していた。彼の側にいたくて、彼の支えになればと思って男女の関係を持った。だけど…彼は奥様の…家族の元に還っていった。今の夫との間に子どもが出来ないのは、報いなのかもしれない。」
俺は女性のあまりにも重い独白に、どう返したらいいか分からずにいた。分かるのは、女性が今でもその上司を嫌いになれないでいることだった。
「…こんなことを急に言われても困るわね。そろそろ、駅まで送るね!」
女性がいそいそと、ハンドバッグから車の鍵を取り出した。
「俺…人を愛したことに『報い』なんてないと思います。確かに、世間では禁じられた関係だったかもしれないけど、その男性とあなたにとっては、ひと時でも本物の愛だったのでしょう?」
「…私、もしかしたら誰かにあの頃の自分を肯定してもらいたかったのかもしれない。」
女性の顔が穏やかになった。
女性は俺を駅まで送り届けて、小山方面に車を走らせた。
名も知らぬあの女性は、自ら羽衣をなくした天女だったのではないかと思った。
【完】
自作小説にコラボ小説「ただよふ」の原作「澪標」の主人公の澪さんを登場させてみました。