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030.自分に向かい合う

自分に向かい合う時に、心に浮かぶ言葉の徒然

体調悪くして、正社員を諦め、しばしアルバイト掛け持ちで、少し気を抜いて働くつもりだった。

性分で、結果掛け持ちの両方の仕事は比重が重くなり、気が重くなる。2ヶ月は、逃げてきたが、やはり…これまでと同じになっている。保証もないのに…本末顛倒ってやつかな?

週末は、この頃、解放されることしか頭にない。オンとオフは必要。

土曜日に、実家に寄った。私の祖母が作った私の幼いときの着物を母が「持って帰り…」と紙袋をくれた。なんとなく見覚えがある。

ふと、思い出したことがあった

祖母が作った服が色々あった。しかし、母が作ったという服は無かった。3人おそろいとかは、あったし、母が全く作らないわけでもなかった。ただ、妹の服は作っていたように思える。この年で嫉妬はしていないが…

以前、書いただろうか?母が

「〇〇子は(末の子)は、母ちゃんが可愛がってきた、〇〇美(長女)は、父ちゃんが…あんたは可哀想…」と私に言った。

ランドセルを思い出した。

私だけ、お古のランドセルだった。姉も妹もピカピカで光っていた。私のは、

「貰い物だけど、本皮で高いやつ!」と言った。重くて、光ることもなく…そうそうに手提げや肩掛けカバンに変えた。

お金がないから、仕方ないやろ!と常々言われていたが、姉は、言われたことはない。妹も…2人は、エレクトーンの先生が自宅に教えに来ていた。そして、発表会だからと言って、清楚な服を買ってもらっていた。

「あんたは、出ないから…」と言って買ってもらうこともなかった。

ふと、思い出してしまった。

?これ、シンデレラやん!(笑)泣けてくる。

我慢を強いられてきたから、我慢をすることが当たり前で、不満を漏らすことができなかった。プライドの高い姉とワガママな妹に挟まれて、私は大人しく、感情を出さずに育った記憶がある。

母は、親戚から「3人いるから、1人養子に欲しい」と言われたらしい。母は、すぐに断ったらしい。大阪でビルをいくつも持っている金持ちの夫婦で子供いなかった、と言っていたが、私の知る限り、子供は、居た。祖父の葬儀に来たから…。

年頃の時、医学部系の男性に花火大会で声を掛けられた。私の中では、理想の人だった。ハンバーグを食べたかな?観光地の展望台では、長ベンチで膝枕。凄くゆっくり時間を過ごした。初めての事でドキドキした。

帰り道、車の中で、クラッシクをかけて、指揮者のフリを夢中でしていた。剣の舞が一番好きで、運転を忘れそうな勢いで腕を振り、指を振り、頭を振っていた。私の理解を超えていた行動に、とにかく面白かったし、その時間が永遠に続けばいいのに…と思っていた。

日が暮れて、山の上から海を見下ろしながら、星を眺めた。星座を教えてくれたが、あまりの楽しさで、小さく歌を歌いながら星座の名前を聞いていた。「ちゃんと聞いてる?」と言われ、覚えてる分だけの星座の名前を言うと。納得してくれた。他は覚えてないから、聞き直されたらわからなかった。

帰宅すると、母が物凄い剣幕で怒りだした。隠すこともないので、話した。すると母は、

「そんな金持ちの家、結婚でもなったら、親の立場がないから、付き合うとか止めて!」と怒られた。

たまたま、畳に座って居たら、立って上から被さるように、大きな声で怒っていた。しぶしぶ、彼に伝えると、当然不満そうだったし、怒るのは当たり前。フラレたのは私だと思う。

1年後、親に言われるのはオカシイ!と連絡を取ったが、当然相手にされず…

あの日の事は、何故か忘れられなかった。

でも、私の運命なんだろうし、縁がないのだろう。

私は、私が幸せになることを母は願ってもないんだ、改めて理解した。母を恨むのも…私が納得して従ったわけだから、当然、私の責任になる。

私の生まれる前に、男の子が1人流産したらしい…その1年後に私が生まれた。女の子だったため、父は落胆し、母は出産を喜べなかったようだった。そう、所謂、要らない子だったようで…祖母は賢い人だったらしく、察したのだろう。3歳くらいまでは、祖父母の所に、ほとんど居た。

母は、それも気に食わなかった様子だった。私が他人に可愛がられることを皮肉ったりしていたから…。

私は、私が幸せになることは、家族にとって、楽しくないのだろう。

親は、子供を思うもの。なんて、当たり前!と言う人は多いが、本当にそうなのか?

そんな、子供時代だったから、私は少し変わった考え方をしている。無償の愛は、割と気にならない。褒められたい気持ちも少ない。大事にされなくても、私が大事にしたいと思えば、そうすることは慣れたもの。感謝されたいわけでもない。ひとりボヤッと生きてるだけで、いいとも思う。

誰かに尽くす事はしても、見返りを求めることがほとんどないから、いいように使われる。それで、一緒にいて幸せにしてあげられるなら…安いもんじゃないか!と思っている。いや、思っていた。

被害妄想だ!とか、ひねくれているとか言われるが、多分、何か私にするから、そう思えるだけで、誰も彼もに被害妄想もひねくれるもしない。

私に、何か嫌なことをすると、その人は、その後、とんでもないことがよく起こる。私が魔女なのではなくて、私があまりに正確に動くから、欲だったり、身勝手だったり、陥れようとしたり、そんな歪んた心だから、何か起きてしまうだけ。

私は、私の心に向かい合わなくてはいけない。誰を信じるのか。誰のそばにいるのか…

過去の自分を見つけてしまったから、あとは、今の自分に従うだけ。

私は、別れた旦那に かなり酷いモラハラをされてきた。人格否定されてきた。私も反省するべきところはある。

それは、もう、私の育ちが原因だと思えば、解決してしまう。

ちなみに離婚のときは、親から「恥さらし!ここから出ていけ!」と怒鳴られた。

最近、妹から、姉さんは変な人だと言われていて…と、妹と揉めたが、変な人で何が悪い?悪いことはしていない。極めてまともでポジティブな思考。こんな子供時代を生き抜いて来たわけ。半端な根性では、生きれないでしょう。

私は、私と向き合うとすれば、優しい人の隣に居なさい。そう私に語りかけてあげる。

私は、帰るところも、そばに居る人も…本当は居ないことを、そろそろ自覚しなくてはいけない。でしょ。

そう語りかけないといけない。

疲れたら、休もう。今が。その時だと思うよ。

そう語りかける。

終わりを迎える前に…