進化論:多産多死と少産少死はどちらが良いのか?
生物の生存戦略としてはどうなのか?
ほとんどの動物は多産多死です。例外は(現代先進国の)ヒトと大型動物(ゾウとクジラ)ぐらいじゃ無いですかね。
ヒトは精神的に成熟するのに、極端に長時間の「育児(≑教育)」が必要です。だから「文明」が高度になると社会は少産少死に向かう傾向がある。
しかし、これには前提があります。
「どの個体も十分に教育すれば能力を身に付ける」です。これは人間の能力は学習で決まるという立場の考えです。
しかし、それは自明ではない。生まれ持った素質で決まる可能性も高いのです。もしも素質で能力が決まるならば、「必要水準」の能力を持った個体を得るには、多産多死で「選抜」するしかない。
*****
心情的にも道義的にも、優生思想は受け入れがたい。しかし、それは人類全体の能力を落とす危険がセットです。
さて、どうしますかね?
*******
補足
残念ながら、少産少死の文化では人間の能力は下がっているようです。特に日本。50年前ならば「特殊学級」に入っていた子供が、「普通学級」に入っています。そして「普通人」として社会に出ている。境界性人格障害、発達障害と呼ばれる人々です。
この問題をどう扱うか。今の所、解答はありません。たぶん永遠に解答はないでしょう(注1)。