論文があるから正しいという誤解
「論文に載っていた」は「朝日新聞に載っていた」というようなものです。その程度の信憑性なのです^^;
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主要な問題に関しては膨大な論文が書かれていて、ありとあらゆる種類の結論が載っています。
1つの問題に関して、白と主張する人もいれば黒と主張する人もいるのです。
マスメディアは自分に都合のいい論文を持ってきて、これが証拠だみたいなことを言いますが、そんなものは証拠になりません。
正しいと認められるのは批判的検証に耐えた論文だけです。
そして多くの場合に批判的検証はない。なぜかと言うと、多くの論文には検証の手間をかけるだけの価値がないからです。検証どころか誰一人として読む人がいない論文など、掃いて捨てるほどあります。
言うまでもないですがそれは真偽が不明なだけで、「反証がないから正しい」わけじゃないです。(注1)
注1:例えば日本語で書かれた論文は、すでにその時点で怪しいです。読む人がほとんどいません。学者のほとんどは日本人ではないので、当たり前です^^;
まともな論文は英語で書かれています。
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言い方を変えると、重要な論文には必ずそれを否定する論文が出てきます。
だから、その一方だけを取り上げて証拠とすることはできないのです。
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なお査読を通った論文だから正しいという意味のことを言う人がいますが、査読は論文の形式をチェックするだけです。
真偽を判定するものではありません。
そもそも査読者がその論文の真偽を判定できるんだったら、その論文は新規性がないのであり論文として価値が全くありません。査読者はその結論をすでに知っていたという意味だからです。
付け加えると査読者もピンキリです。別にその分野の「最高の頭脳」がチェックしているわけじゃないです。
査読に意味があるとすれば、一流誌の、誰もが一目置くような専門家が行っている場合だけでしょう。
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似たような事例として、特許の存在もその技術が正しいという証拠にはなりません。どんなでたらめな内容でも特許は成立するからです。例外は永久機関など、物理法則に明らかに反する場合だけです。
例えば、太陽電池の効率を10倍にするという特許が成立していたとしても、それが可能だという証明には全くなりません。
また現実問題として、特許というのはでたらめばかりです。実験で確認したというのは大概嘘です。
なぜ知っているかというと、私も私の同僚もそんな特許ばかり出願していたからです。これがメーカーの実務です🤣