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最高の夢を見た

 長針と短針がとうの昔に頂上を通り過ぎた夜半。
 静まりかえった月夜のなかぽつんと光るファミレスで、俺は独り黙々とひたすらに打鍵していた。
 淀んだ瞳に失せた表情。機械のように動く指がときおりカップを口許まで運び、カフェインが脳に覚醒を強要する。

「・・・・・・は」

 積み上がった駄文に思わず息が漏れた。

『おにーさん、だから、行き場のないわたしを、かわいそうなわたしを、家においてください』
『・・・・・・』
『なんでもします、必要なら本当になんでも』
『・・・・・・』
『だから・・・・・・だから』
『はぁ・・・・・・わかったよ』
『!』
『けど、あてが見つかり次第すぐに出てくんだ。あと軽々しく、なんでも、なんて口にするのは良くない。それは君自身への冒涜だ』

 格好つけてんじゃねえよ。まずはしかるべきところに届け出ろ、ロリコン。

「駄目だ。これじゃどうせ打ち切られる」

 口の中だけで呟きここ数時間の成果を全て削除して、固いソファに寄りかかる。
 ほぐすように眉間を揉みながらふと思う。
 俺はどうして小説を書いているんだったか。
 朝から夜まで働いて何かしら書いて寝る。
 俺の生活はそれだけで構成されていてそこに幸福はない。
 デビューしたときの気持ちはいつの間にかどこかで落としてしまった。

「・・・・・・書こ」

 自分に言い聞かせるように呟き益体のない思考を振り払って身体を起こす。
 そうして俺は消えそうな感情と培った技術で1話なんとか書き上げる。
 その時である。
俺は対面の席に気配を感じた。
それはなにやら絵を描いているようだった。
つまり目の前の奴は俺以外、客のいない深夜のファミレスでわざわざ俺と相席し、クリエイティブを発揮していることになる。
どう考えても頭がおかしいので俺は席を変えようと腰を浮かす。

「!?」

 そのとき偶然目に入った絵描きの顔に俺は目を見開く。
 そこにいたのは俺の理想の女の子だった。
肩口まで伸びた濡れ羽色の髪の毛に、ややつり目がちの大きな瞳。綺麗な鼻筋は桜色の唇に続き、のぞく八重歯がいじらしい。完成していくイラストに満足げに緩む頬は淡く染まり絹のようにきめ細かい。
しかし重要なのはその美少女っぷりではない。

「うん、いい感じ」

 そういってイラストの出来に笑みをこぼすのは。
見間違えようもなく俺の処女作のヒロイン『七瀬エリー』なのである。
 頭の中にしか存在しないはずのキャラクターの存在に俺は言葉を失う。

「・・・・・・何よ、死人でも見たみたいな顔して」

 どれだけそうしていたのか、気づけばエリーがジト目を向けてきていた。
 鼓膜に届いたのは俺の想像したとおりの、隠しきれなかった優しさの見え隠れする少し高めの声。

「あー・・・・・・」

 別に会いたかったわけではないが

「別に会いたかったわけではないの!?」
「俺の内心読めんのかよ・・・・・・」

 いざとなると言葉が出てこない、とモノローグしようと思ったら読まれてしまった。

「当たり前でしょうが! わたしはあんたの物語の登場人物なんだから!」
「ああ、そう・・・・・・」

 面倒なことになったとうんざりする俺にエリーは「そんなことより・・・・・・!」とスケッチブックを放ってバンと身体を乗り出す。

「なんで会いたくないのよ! おかしいでしょ! わたしはあんたの理想の女の子でしょうが!」
「いやだって・・・・・・エリー、高校生のガキだし」

 言ってやるとエリーの顔がむきーっと赤くなる。

「それを補って余りありまくるでしょうが! あたし達の物語があんたの趣味全開で書かれたオナニー小説だったの知ってるんだから!」
「いやオナニーて。エリー、そんなこと言う女の子じゃな・・・・・・」

 可憐な口から飛び出したあまりに明け透けなワードに苦笑し、そうじゃないだろうと記憶を辿り

「そういえばそんな子だったな・・・・・・」

 そうだったことを思い出した。
 懐かしさ半分、なんとも言えない微妙な気持ち半分である。
 そんな俺に毒気を抜かれたのか「・・・・・・ふん」と鼻を鳴らしソファにストンと腰を下ろしたエリーがメロンソーダで唇を湿らせる。

「・・・・・・で、小説は上手くいってるの? こんな時間にこんなところで書いてるところを見るとまだ頑張っていることは分かるけど」

 唐突な質問に歪みそうになった頬を乾いた笑いで咄嗟に上塗りする。

「まあ、お陰さまでな。いまじゃ立派に印税もらってるよ。兼業ではあるし打ち切りばっかだけどな」
「ふーん、良かったじゃない。夢が叶って」
「まあな」

 そんな俺の自嘲気味な返答にエリーは当たり障りなく共感する。
 素っ気ないその仕草に苦笑しているとエリーが口を開いた。

「作家、止めるつもりなの?」
「・・・・・・」

 だからそれは俺の不意を完全に突いた一言で。
 何の防御もなしに俺の内心に到達したその言葉は中でピタリとはまりこむ。

「・・・・・・なんでそう思うんだよ」

 かすれた声でそう言うのが精一杯だった。
 手を止めたエリーが腕を組んで「ふん」と鼻を鳴らす。

「なんでもなにもわたしはあんたのモノローグが読めるんだから知ってて当然でしょ」
「・・・・・・だとしてもだっての」

 俺はエリーが目の前に現われてから今後の作家人生について何も考えていない。
 その上で読まれたのならエリーが鋭いのか、俺が余程弱っているかのどちらかだが、まあどちらもなのだろう。

「それに」

 自嘲した俺を否定するようにエリーが食い気味に言う。

「そうでなくても小説書いているあんたの顔見てたら誰だって分かるわ」
「・・・・・・そうかよ」
 
 お手上げだ。降参だ。白旗だ。
 見て分かる程度に思いが存在していたのならどうしようもない。
 俺を見つめる青色の瞳に苦笑して背もたれに頭を預ける。
 今日、担当編集から3作品目の処刑宣告を受けてきた。
 デビュー作は3巻打ち切り。2作品目は2巻打ち切り。3作品目がなんと1巻打ち切りだ。思い返すと笑ってしまうぐらいに酷くて泣けてくる。
 そこで担当編集に提案されたのが次回作はクオリティよりもなによりも『流行に乗った物語を書くこと』を第一に目指すという方針だった。
 担当編集曰く「面白い物語を書くより雑に売れ筋を書いた方が売れる」そうだ。
 別に今までだって売れ筋に寄せてこなかったわけではない。
 ただそれが不十分だっただけで。
 だから書けと担当編集はそう言った。
プライドも想いも自己も全て捨てて培った技術だけで書いてくださいと担当編集はそう言った。
それに俺は何と答えたのだったか。
今こうしていることを考えると頷いたのだろうが何も覚えていない。
だから、まあ、シンプルに。

「止めたいなぁ、って?」

 モノローグを継いだエリー。
 俺は否定も肯定も反応もしない。
 だがそれは何より雄弁な肯定で。

「『僕も君が好きだよ、エリー。けど、小説を書くことはもっと好きなんだ。だから君とは付き合えない』」
「――――」

 唐突にエリーの口にした台詞に俺は目を見開く。

「覚えてる? わたしを酷い理由でふったあんたの処女作の主人公の台詞だけど」

 エリーが笑みをこぼす。
 その反応に胸の奥が熱くなる。目頭が熱くなる。
 それは当時、喚き散らかして主人公をぶっ叩いてどこかにいったエリーとは全く違う反応だったけど。
 数年経ったエリーはきっとこんな風に当時の出来事を振り返ったはずで。

「・・・・・・覚えてるよ」
「これ、あんたの実体験でしょ」
「・・・・・・どうだろうな」

 それは俺の願いの実現だった。
 だってそれはエリーが今でも、俺が続きを書くのを止めたにもかかわらず幸せに過ごしてくれているということだから。
 幸せになった彼女たちを思い描くだけで俺は満たされるし苦しんで生み出して良かったと心の底から思える。

「あんたにとってのわたしが女の子かどうかまでは分からないけど、とりあえず。小説を書きなさい。地を這ってでも、床を舐めてでも、書きなさい。止めたらわたしが許さない。ビンタなんかで許してあげないから」

 苛烈で、厳しい、弾幕のような言葉を切ったエリーが俺を睨みつける。
 だから、俺は

「止めるわ、作家。無理して書くものでもねえし」
「はぁっ!? なんでそうなるのよ!」

 瞬時に顔を真っ赤にして机に身体を乗り出しこちらに迫り来るエリー。

「ありがとな、エリー。お前のおかげで決心できたよ。俺は別に売れるために書いてたわけじゃないんだった」

 なんてことはない。エリーの言ったとおりだ。
 俺はただ自分が気持ちよくなるために小説を書き始めたのだった。
 売り上げ、人気は2の次だ。
 心の決まった俺は指を鳴らして笑う。

「エリー達の物語、改良してもう一回書くよ。だから、またな」
「ちょっ、え、あ、はぁ!?」

 最後にそんな意味不明な言葉を残してエリーは消えた。
 そんないつも通りのエリーに苦笑して俺は席を立ちドリンクバーへ向かう。
 入れ直したコーヒーを啜りながらテキストファイルをスクロール。
 そこに並んでいるのは俺とエリーの会話だ。
 なんてことはない。
 ただの俺の勘違い。
 自分でエリーと自分の会話を書いておいてそれに没入していただけ。
 これほど期待を裏切られたことはない。

「まあ楽しかったからいいけどな」

 と、会話の最後に見知らぬ台詞が挿入されていた。
 俺に書いた記憶はないが果たして。
 いわく

「バカ! アホ! テクノブレイクで死ね!」
「・・・・・・やっぱり次のヒロインはもう少し優しい子にしようかな」

 言いながら話を練り始める俺の耳に「チンコもぐわよ!?」とエリーの声が届いた気がするが気のせいだろう。

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