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司徒王允の董卓暗殺計画

後漢末期、董卓の専横に対する不満が高まる中、司徒の王允は董卓の暗殺計画を練りました。以下にその経緯と結果を詳しく説明します。

  1. 董卓の専横: 董卓は後漢末期に権力を握り、暴虐な政治を行っていました。彼は皇帝を傀儡とし、多くの忠良な官僚を粛清し、皇族や士族をも恐れさせる存在でした。そんな董卓を打倒すべく群雄たちによる反董卓連合軍が結成されましたが、董卓を打倒するに及ばず、董卓は洛陽の都を焼き払い、防衛に有利な長安に遷都してしまいました。

  2. 王允の計画: 司徒王允はこの状況を打開しようと決意しました。彼は董卓の部下でありながらも、董卓の行いに不満を持っていた呂布を暗殺計画に引き入れることに成功しました。王允は美女貂蝉を使って呂布と董卓の間に亀裂を生じさせる「連環の計」を実行しました。

  3. 貂蝉の役割: 貂蝉は王允の養女で、その美貌で知られていました。王允は貂蝉を使ってまず呂布を惑わせ、その後、董卓に貂蝉を贈り、二人の間に嫉妬心を生じさせることに成功しました。

  4. 暗殺の実行: 董卓と呂布の関係が悪化した時、王允と呂布は暗殺計画を実行しました。董卓が宮殿での会議に出席している最中、呂布と共謀者たちは董卓を襲撃し、暗殺に成功しました。

  5. 暗殺後の混乱: 董卓の暗殺により、一時的には宮廷の混乱が収まるかに見えましたが、董卓の部下たちが報復に乗り出し、長安では激しい争いが起こりました。王允もまた董卓の部下によって殺害され、混乱は一段と悪化しました。

董卓暗殺は、後漢末期の政治的な混乱を象徴する出来事であり、その後も群雄割拠の時代に続く激動の序章であったと言えます。歴史書の三国志には、貂蝉という人物の記載はなく、実在した人物かどうかは分からないようです。史実には登場しない貂蝉ですが、三国志演義で物語を面白くするために登場させた人物であろうと言われています。いずれにせよ、董卓の死は一時的に権力の空白を生み出しましたが、その結果として様々な勢力が台頭し、中国は更なる混沌へと突入していきました。

#三国志勉強ノート  No.38

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