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魏の滅亡〜晋の建国

司馬炎が魏の元帝(曹奐)から禅譲を受けて晋を建国したのは、265年のことです。この出来事は、魏から晋への政権交代を意味し、三国時代の終わりと晋の統一への道を開いた重要な歴史的瞬間です。この禅譲の模様は、『三国志』「晋書」などの正史に記録されています。

禅譲の背景

司馬懿とその子孫、特に司馬師と司馬昭は、魏末期に政治的、軍事的な実権を掌握していました。司馬昭の死後、その子である司馬炎が後を継ぎ、彼のもとで司馬家の権力はさらに強固なものとなりました。司馬炎は魏の朝廷において絶大な影響力を持ち、魏の名目上の皇帝であった曹奐はほとんど権力を持っていませんでした。

禅譲の過程

265年、司馬炎は魏の元帝(曹奐)から正式に帝位を譲られるよう求めました。この時、曹奐は名目上の皇帝であり、実質的な政治権力は司馬家が握っていたため、曹奐が禅譲を拒否する余地はほとんどありませんでした。禅譲は、多くの官僚や軍人から支持される形で進行し、司馬炎の即位を合法的かつ道徳的に正当化するために、古代中国の禅譲の伝統に従って行われました。

禅譲の儀式は、司馬炎が曹奐から天下の象徴である玉璽(じょくし)を受け取ることで行われ、これにより司馬炎の皇帝即位が正式に認められました。その後、司馬炎は晋の武帝として即位し、新たな王朝である晋が始まりました。

禅譲の意義

この禅譲は、司馬家が長年にわたって築き上げた政治的・軍事的権力の集大成であり、三国時代から晋による統一時代への移行を象徴する出来事でした。晋の建国は、最終的に中国を統一し、三国鼎立の時代に終止符を打つことになります。

司馬炎の即位後、彼は全国の統一に乗り出し、280年には呉を滅ぼし、中国全土を統一することに成功しました。この禅譲は、中国史上で重要な転換点の一つであり、後の歴史の流れに大きな影響を与えました。

#三国志勉強ノート  No.119

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