三顧の礼・諸葛亮の参画
三国志において、劉備が諸葛亮を迎え入れたエピソードは、中国史上最も有名な物語の一つです。この話は正史『三国志』に記されているものと、小説『三国志演義』に描かれているものとでいくつかの違いがありますが、ここでは正史に基づいた説明をします。
正史におけるエピソード
正史『三国志』における劉備と諸葛亮の出会いは、劉備が荊州を経て益州を目指す途中の出来事として記されています。劉備が諸葛亮の名声を聞き、その才能を求めて訪ねたことは確かですが、『三国志演義』にあるような「三顧の礼」(劉備が三度諸葛亮の家を訪れる)というエピソードは正史には具体的には記述されていません。正史では、劉備が諸葛亮を訪ねた際に、彼が不在だったという記述も特にありません。劉備が諸葛亮を見つけ出し、彼に自らの顧問となるよう求めたこと、そして諸葛亮がこれを承諾したことが記されています。
諸葛亮が劉備に提供したのは、その卓越した戦略的思考と政治的洞察力でした。彼は劉備に対し、天下を取るための長期的な戦略を提案し、そのアドバイスに基づき劉備は行動を開始します。諸葛亮の加わったことで、劉備の勢力は大きく強化され、後に成立する蜀漢の基盤が固まり始めました。
『三国志演義』における「三顧の礼」
一方、『三国志演義』では、劉備が諸葛亮を迎え入れるエピソードはより劇的に描かれています。劉備は諸葛亮の才能を高く評価し、彼を自分のもとに迎え入れるために、関羽、張飛と共に三度にわたって諸葛亮の隠れ家を訪れます。この「三顧の礼」は、劉備の諸葛亮に対する深い敬意と、彼の才能をどうしても得たいという切実な願いを象徴しています。三度目の訪問でようやく諸葛亮に会うことができ、劉備の熱意に感動した諸葛亮は、劉備の顧問として仕えることを承諾します。
この物語は、後世の人々に深い印象を与え、中国文化において「三顧の礼」という言葉は、非常に尊敬される人物を迎え入れるための努力や敬意を示す表現として用いられるようになりました。
#三国志勉強ノート No.70