何進が国政の場に登場した理由
後漢末期、何進が国政の場に登場し、一時期政治の中心人物となった理由は、彼が外戚として持っていた特別な地位と、当時の後漢王朝が直面していた複数の政治的および社会的な問題に根差しています。以下に、何進が国政の場に登場した背景と経緯について詳しく説明します。
何進の背景
何進は、後漢の皇帝霊帝の母である竇太后の兄弟として、外戚の地位にありました。この時代の中国では、外戚が国政に影響を及ぼすことは珍しくなく、竇太后と霊帝の母子関係は、何進にとって朝廷内での影響力を確保する貴重な手段でした。
後漢末期の政治状況
後漢末期には、宦官と外戚の争いが激化していました。宦官は皇帝に近い立場を利用して実権を握り、外戚は皇帝との血縁関係を利用して権力を伸ばしていました。このような状況は、国政に深刻な不安定をもたらし、効果的な統治を困難にしていました。
何進の権力掌握
霊帝の崩御後、何進は皇帝の後継者問題に大きく関与しました。竇太后の支援を受けて、何進は劉辯(後の少帝)を皇帝に擁立し、これにより実質的な政権を掌握しました。何進は大将軍に任じられ、朝廷内での実権を確固たるものとしました。
対宦官派の動き
何進は宦官の力を削減し、自身の権力基盤を強化するために動きました。何進は、宦官を排除する計画を進め、董卓をはじめとする外部の軍事力を首都に招聘しました。しかし、この計画は宦官側に漏れ、何進は宦官によって暗殺されることとなります。
何進の影響
何進の死後、宦官と外戚の争いはさらに激化し、後漢朝の政治は混乱の極みに達しました。何進の失脚は、董卓のような外部勢力が首都に入り込む契機を作り、その後の政治的動乱に繋がりました。
まとめ
何進が国政の場に登場したのは、彼が外戚として持っていた特別な地位と、後漢末期の混沌とした政治状況が背景にあります。何進は、外戚としての影響力を最大限に活用し、一時は国政の中心人物となりましたが、宦官との対立と内部の策略によって失脚しました。彼の動きは、後漢末期の政治的混乱と権力争いを象徴するものであり、後の歴史の展開に大きな影響を及ぼしました。
#三国志勉強ノート No.33
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