見出し画像

魏王朝末期の司馬氏専横

高平陵の変(249年)を成功させた後、司馬懿は魏の政治において圧倒的な影響力を持つようになりました。この政変は、曹操の後継者である曹家の皇族に対する事実上のクーデターであり、魏国内の権力構造を大きく変えるものでした。司馬懿自身は、この事件の直後に亡くなりますが、彼の死後、その子孫が魏の国政を専横することになります。正史『三国志』には、司馬懿の後継者たちによる政治の動向が記されています。

司馬懿の子孫による政治

  • 司馬師の台頭: 司馬懿の長男である司馬師は、父の死後、政治の実権を握ります。彼は254年に魏の第3代皇帝である曹芳を廃し、曹髦を擁立しました。しかし、司馬師は曹髦にも実質的な権力を与えず、自らが国政を掌握し続けました。

  • 司馬昭の権力掌握: 司馬師の死後、その弟である司馬昭が後を継ぎ、さらに国政を専横しました。司馬昭は、さらに権力を強化し、260年には曹髦を廃して曹奐を皇帝に擁立しましたが、この時点で魏の皇帝は名目上の存在となり、実質的な権力は司馬昭が握っていました。

  • 晋の建国: 司馬昭の死後、その子である司馬炎が権力を継承し、265年に魏の最後の皇帝である曹奐を廃して晋を建国し、自らが皇帝に即位しました。これにより、曹操によって樹立された魏は終焉を迎え、中国は新たな時代に入ります。

国政の専横の影響

司馬家による国政の専横は、魏国内での権力闘争を終結させ、司馬家の絶対的な支配を確立しましたが、同時に皇族の権威の低下と政治的不安定を引き起こしました。皇帝が形式的な存在に過ぎなくなり、実権は司馬家が握るという状況は、魏末期の政治の特徴となり、最終的には晋による新たな王朝の成立へと繋がりました。

正史『三国志』は、このような複雑な政治的変遷と権力闘争を詳細に記録しており、三国時代から晋の時代への移行期における中国史の理解に欠かせない資料となっています。

#三国志勉強ノート  No.101

いいなと思ったら応援しよう!