死せる孔明、仲達を走らす
正史『三国志』において、諸葛亮の死後も司馬懿(仲達)が彼を恐れたという逸話は、「蜀書」諸葛亮伝には直接的には記載されていません。しかし、「死せる孔明、仲達を走らす」という言葉は、後世に諸葛亮の知略とその影響力を象徴するエピソードとして広く語り継がれています。この言葉は、諸葛亮が亡くなった後も、彼の策略と智謀が魏の司馬懿を圧倒し続けたという故事成語です。
背景と逸話の内容
234年、諸葛亮は五丈原での北伐中に病死します。彼の死は蜀漢軍にとって大きな打撃でしたが、諸葛亮は生前、自らの死後も司馬懿を欺くための計略を用意していました。『三国志演義』など後世の文学作品では、この計略として木像を用いて諸葛亮がまだ生きているかのように見せかけ、司馬懿がそれを信じて軍を退却させたという物語が描かれています。これが「死せる孔明、仲達を走らす」の由来とされています。
正史との違い
正史『三国志』では、諸葛亮の死後に司馬懿が彼を恐れ続けたという具体的なエピソードは記されていませんが、諸葛亮と司馬懿の間には長年にわたる知略の応酬がありました。諸葛亮の智謀とその北伐に対する司馬懿の反応は、両者の間の戦略的な駆け引きを示しています。正史では、諸葛亮の北伐や彼の死、そしてその後の蜀漢と魏の関係について詳細に記述されており、諸葛亮がいかに戦略的思考をもって蜀漢のために尽力したかがうかがえます。
結論
「死せる孔明、仲達を走らす」という言葉は、諸葛亮の知略とその死後もなお続く影響力を象徴する逸話として語り継がれていますが、この具体的なエピソードは正史には直接記載されていない点に注意が必要です。諸葛亮と司馬懿の対決は、三国時代の戦略と智謀の面で最も注目される部分の一つであり、その影響は後世の文学や文化に大きな足跡を残しています。
#三国志勉強ノート No.88
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