父を思う。
父は時折り、まだ温かな 茹で玉子に 顔を描いてくれました。
こども時代の そんな 他愛のない出来事を、このごろ 大切に 思い出します。
病床にいた父の 記憶だけではなく、自宅ですごす ふだんの父を 思い出せるようになったことは、とても嬉しいです。
なくなる前の父は、つらかったろうなと思うのです。
どうにもならない父の現実を、私はただ 受けとめることしか できませんでした。
そんな父を真似て、茹で玉子に 夫さんの似顔を描きました。
(ちょっとだけ 🤏 似ています💡)
笑うかな? と そーっと、見るともなく 見ていましたら、夫さん、声あげて 笑っていました。久しぶりのことです。私も嬉しかった。
しんこくな事情のかさなった時期だから、嬉しさが 記憶にのこります。
父とは そんな時間をもてなかったけれど、それもまた、私と父と、二人の お話のひとつです。
こんど、父の似顔を 描こうと思います。
父のやさしさは、子ども時代の私の目には 映りづらかったですけれど。。。
今を生きてる私が 月日をふりかえるたび、点々と、今へとつづく新たなサインが うかびあがってくるでしょう。
いつかの日、記憶の中から。