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父の 「じゃない方」

 私は、あまり父とはなしたことがない。きっと、他愛のないことしか話さなかったと思うし、2人でいっしょに出かけたことは、2回ぐらい(その2回は、よくおぼえている)。

 夜遅く、終電に近い電車で帰って 駅まで迎えに来てもらったことは、数えきれないほど あって。でも、そんな車の中でも、あまり おしゃべりは しなかった。当たり障りのないことを、言ったか・言わなかったか。父から なにか尋ねてくることも あったか・なかったか。

 アルバイトをするようになって、父の好きな甘いものを買って帰るようになった。それでも、母から「食べてたよ」と教わるくらい。のこっているのは、並んで栗を剥いた思い出。小さくても刃のあつい包丁で、水に浸けた栗の鬼皮を剥いていく。1人がむきはじめると、もう1人はその傍で、柄のもげた うすい菜切り包丁を手に 渋皮を剥く。もくもくと、手が働きあう。父が あいたたっ、たぁ〜と、力を込めすぎた利き手の拳をほどき、手のひらをひらひらと振ったら、その日は おしまいの合図。

 並んで茹で栗を割って、スプーンでほじってたべたり、甘栗を剥いては 並べて、端からたべたり。そんな、栗を通した思い出がたくさんあるのは、秋生まれの父にと、母がよく栗ご飯を炊いたから。もっと小さな頃には、えんえんと 広告の裏に 部首がおなじ漢字をならべていく遊びの思い出がある。父は、私がいても・いなくても そんな遊びをしていた。
 地味な父娘だなぁと 笑ってしまう。


 でも、父は 私のアシストもいっぱいしてくれていて、「友だちと映画にいきたい」と言うと「それぐらいのつきあいは(学生にも)ある」と言ってくれたり、「年賀状の仕分けのアルバイトをしたい」と言うと、学校に出す申し込みのプリントに「社会経験のため」と書いてくれたりした。

 いちばん嬉しかったのは、私の劇団時代の新聞記事を スクラップしてくれていたこと。

 やっと  戯曲賞の佳作がとれたときに父はもう、いなかったけど、夫さんのお父さんが やっぱり新聞をとっておいてくれた。そのお父さんも  もう、いなくて。



 このごろ、そんな父たちの「じゃないほう」「父らしくない方」を みようとしている。私がみたり、感じたりしようとしなかった父を知りたい。

 つらかったり、しんどかったり、めんどくさかったりするなかを 生きてきた父の実感を知りたい。褒められたり、ことらさに 人が話してくれたりしなかったほうの父。

 それは きっと、これからを生きていく私たちの力になるから。そこを受けとめられれば、もしかして 先に行って休んでいるだろう父たちの、薄れつづける記憶への やさしいなぐさめになるから。