午後三時に咲く花
自分でも気づかないような 心の底で、ずっと「親から 愛されたい!」と つよく願ってきました。
ふりかえると、こどものころの私は、なぜか 自分が「親から嫌われている」と 信じていました。その欠点を 他人や、親や、自分から隠すことに必死だったなぁと 思います。
ごく ふつうの家庭に育ちました。楽しいことや 嬉しいこと、興味のひかれることもたくさんありました。出会いにも恵まれて、いい環境で育ててもらったと 感じていました。
なのに「親から嫌われている」という 思い込みは 不思議です。
それは、とても奇妙でちぐはぐな印象です。幼年期をふりかえると、私の思いは うろうろしてしまいます。
母が 私にさわられることを 嫌ったこと、笑顔を向けなかったことは、ひがみではなく事実だったような気がします。
それから、よく 言葉を直されました。
名付けが気に入らなかったようで、私は 名で呼ばれませんでした。
あとは、母にも 母の大変さが あったんだろうと思います。苦労話はたくさん聞きました。
ずーっと大人になってから、もう 三年ほども 前に なりますが、私に、こんな風に訊ねてくださった方がありました。
「お母さんとの どんな出来事が 嬉しかったですか?」
「木や、花の名前を教えてくれたこと。。」と、私は言いました。言いながら、小さいころの 内心のオドオドとした感じや、それをぐっと抑えるような 無表情なつよい気持ち、踊りあがっていくようなうれしさとか、人前で 無理にほがらかに、あるいは 無関心にふるまうような感覚を、いっぺんにぐるぐると 思い出しました。
頬と胸が ぐーっと あつくなりました。
少しあとで、まだ つぼみのままの この花を「可愛い!なんて花だろう?」と、SNSにあげたとき、母との嬉しかった出来事を 訊いてくださった方が、この 小さなピンクの花の名前を 教えてくださいました。
とても、とても嬉しかった。
私は、
無理に母を待たなくても、愛情は 誰から受けとってもいい
自分から もとめてもいい
母以外の だれに(なにに)(例えば自分に)与えても、自由なんだ!
と、知りました。
* * * * *
この花の名は、スリー・オクロック・エンジェル と いうそうです。
朝はつぼみのまま、お昼を過ぎてから咲く花です。春から夏中と、秋に向かって、長く咲きます。咲きおわった実も紅く、とてもキレイです。
私は、私自身にも こんな「遅れてきた約束」のようなものがあるかと、嬉しい錯覚をします。
人生の午後三時に 合図のように出会った花は、一つずつが、とても小さい。そして 全体は生き生きと、ちからづよいのです。
花の名まえを 教わりました
SORA・KEIKO先生 ありがとうございます
(〃´ω`〃)