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閉経のこと


私は43才のとき閉経しました。

当時は  抗がん剤の治療中でもあり、体調はひどく、更年期の症状も  大きくあらわれました。一気にキツい思いをして、50才のいま、すこしずつ  らくになっているところです。

一方で、家族のこと、お金のことには  気苦労がたえません。
こどもが20才を 越えていくタイミングまで、ちょっとふたをしたり、視点を変えてみたりと、やりくりを つづけました。ですから、これが、今後の課題なんだと感じます。
10年くらいを かけて、じっくり取り組んでいくでしょう。


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閉経後、初めは  けん怠感・よくうつ状態がつづきました。動きはじめると、ホットフラッシュや  びっくりするくらいの急な発汗、骨折が心配されるほどの骨粗鬆症も みつかりました。婦人科の先生には、橋本病に 気づいていただき、しばらく食べものを 変えました。

おかげさまで  今は、ほとんどが 基準値に もどっています。背は低いまま、ころころと太ってきたことが  ちょっとした〈悩みどころ〉で、また〈チャームポイント〉と  いえなくも  ないような?

でも、このキツさを、10年、20年もかけながら 毎日すこしずつ 受けとっていく🤏のは、私は  とっても苦手だなぁ〜って、思います。自分自身や、性別までも  うらんでしまいそう。スコールのような閉経は、体につらかったけれど、心をまもってくれました。


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女性性をだいじにしなかった?

学生時代、自分の太すぎる足とげじげじ眉をきらって  ダイエットに挑み(おやつを食べたくなると歯をみがくという 可愛いダイエット)、劇団活動に参加してからは  毎日…とは、いかないまでも  食べて、走って、腹筋とスクワットをくりかえし、胸を ぎゅーぎゅーと  もめんの布でしばって、小学生を 演じていました。体重も落ちました。

九州公演への参加は かないませんでしたが、関西のあちこち・関東にも舞台公演に行くことができました。社員として 勤めをもつようになると、あと片付けを免除していただいたり、当時 まだあった寝台列車で  遠方の公演から日帰りしたり…と、綱渡りのような日々がまっていました。学籍をのこしたまま、松本市や  岡山河畔の 演劇祭へ参加していた頃は、ままならない天候や 社会の大きな事件と公演地がかさなったり、家族の病気から 卒業や就職を選択していくなど、私をつくるような〈体験〉となっていきました。

そんな日々のなか、なぜか  少年役の本番日には  生理が重ならないのでした。ここにも、あまり  疑問を感じたことはありません。ラッキー♪  と、いった感じで  すごしていました。

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自分自身の性についての扱いのざっぱくさをふりかえるとき、いっぺんに きてしまった更年期のつらさは、当然、私の引き受けるものだったなーと  感じます。しばらくは、心身の苦しさや 自分の選択への後悔に  よく泣いていました。泣きながら考え、考えては 試しためし。

今更ながらにじぶんをいたわるうちに、ちょっとずつ、ちょっとずつ、心は 晴れてきています。


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〈自分のかわりはない〉と分かってきたのも、
ごく最近のこと。


そして  今 また、私は 放課後の小学生に囲まれ、仕事をはじめています。演劇の稽古で、いつも「こういうふうに表現なさい」と  指導を受けてきたような、遠慮なく  正直で、ずけずけもの言う、もじもじと  さがっては、また  すぐ  けらけらと笑いだすような  魅力いっぱいの子たちと  います。


「おばはん」や「ばばあ」「しね」は、しょっちゅう向けられてきます。そのたびごとに、みじかく、ていねいに  言葉を返し、間をあけながらも、ちょっとずつ 言葉を送りあう。すると、何ヵ月もかけて  やっと会話になっていく。おとなも  こどもも です。たがいの表情が変わってきます。
ふと  ひびきあう  声も。

私の「演劇人生」が  こんなふうに使われて、家族の 日々のごはんになっていること、過去の私は  どう感じるかな?

すくなくとも、今の私は、これで  まんぞく。
こころは  晴れています。


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二年前の三月、伊藤比呂美さんの訳詩『今日』を 朗読しました🔗👆
ラストステージのつもりでのぞみましたが、あと 一度、チャンスに恵まれそうです♪