ヘンテコでも、生きてく♪
A「察知力」「変更」「寄り添い」「調和」
B《倫理》《常識》《合理性》《指導》《誘導》…
私はいま、乳幼児教室と学童保育の仕事を、生活のまん中においています。職場に入ってすぐは、びっくりしすぎて身動きがとれないほどでした。なぜなら、上の「A」に並べたような感覚・対応力がとてもすぐれた人たちの集まる職場だったからです。
つまり、察知して、変更して、それぞれの相手に寄り添いながら全体を調和させていく。遊びだったり、笑いだったり、ときには全体を叱ったり 数人だけに注意を促す声かけをつづけたり。切り上げどころをみきわめる〈時間のマジック〉を使ったり。私は、そばで口をぽかーんと開いていました。
毎日まいにち、なぜそれができて、わかるの !?!?!
と、スーパーマンか エスパーといるような驚きの日々でした。
もともと、「A」の部分が足りず、苦手な私。
なんで この業界にきちゃったかなー💦 と思いました。
無理にあわせることや、苦痛をやりすごすことなら比較的得意です。つまり、がまんづよくてがんこなわけです。
ですから、新しいものをどんどん取り入れ、基準に幅をもたせながら対応していく。。決まりごとがどんどん変わっていくような現場には、ついていけませんでした。ひとつおぼえれば「ちがうよ」。また対応すれば「もっと、こう」と言われる。
言ってくださるのは まだ良いほうで、本人が気づくまで「そうですね」とうけとめ、「それで?」と促され、ご自身の考えをお話にならない。。。
時間があれば もちろん詳しくも、じっくりも教えてくださるのですが 私自身が書類の作成に追われるばかりで、チャンスをつかまえられない。
そこで 思いきって発想をかえ、ほとんどの書類仕事をもちかえり、家で手書きしてしまうことに決めました。職場では思考せず、入力に専念します。すると、いつでも手をとめて人の話を聞くことができる。相手のお考えがわかり、話のつぎ穂が みつかっていく。
あるいは、受けた注意に会話でくいさがって、なにを〈良くない〉と思われたか、お考えにふれられるまで怒られ、謝ってしまう。
それで、なんとか辞めずに3年め。
とても、らんぼうに
Aを「やさしさ」あるいは「対応力」
Bを《おとな力》… と、名づけましょう。
やさしくて、対応力のある大人が求められる職場。そこに長く勤めておられる年上、年下の先輩たち。
そんな大人と日々 接している子どもたち。
そのうち 気づきます。
A「察知力」「変更」「寄り添い」「調和」
B《倫理》《常識》《合理性》《指導》《誘導》…
それぞれの職員さんたちには、〈基準〉がそだっているのです。だから、対応もできる。ぶれても寄り添える。寄り添っても もどってこれる。
そこを話あいながら、日々新しく、ご自身の概念や手法《B》を、育てておられるんやね。それが人間性なのね。。
私は、ここへ なにをしにきたの?
もし、仕事になれたとして。
事務ルーティーンが それなりにまわるようになったとして。察してたすけたり、自らをたすける力を信じてみまもったり、大人とも 子どもとも フランクに、たいせつなことを伝えあえるようになったとして。
そう!!!
もしも そう〈なれた!〉と実感するしゅんかんがあれば、それは、最高。
学歴も、職歴も つぎはぎでヘンテコ。
こまごまと病気もしてきたし。
それでも、生きてく♪
胸はらず、猫背ぎみのまま
腰もいたむけど 重いものは 断らずにはこんで
本気おにごっこして転んだら、そこは断って😅
きょうは 雨だけれども、まぁまぁ、生きてく。