映画のことを書き終えて 2/2
私は、親との折り合いがわるく、交流はあるのに なかなか親しみがもてませんでした。父を〈敬遠・忌避する気持ち〉・母に 対しては〈不満と不信、怒り〉が 根づよくあります。
父は 他界しました。母とは 今も行き来があります。
理由は わからないのですが、母からの小さな頼まれごとが 非常に重荷で 恐怖を感じます。断っても、断っても、なんども頼んでくることが なお、 恐怖です。
そして、その頼まれごとが「だれそれに はがきを書いておくってほしい」など、とてもささやかなことなので 私自身、自分の体感や感情の意味がわからず 混乱してしまいます。アドバイスをいただいて、しばらく 母と会わずに 過ごしたことも あるほどです。
たぶん、両親とも、私が両親と 折り合いがわるいと感じていることを、知らないと思います。母はいまも、私の過去の選択や いまの暮らしぶり、嗜好を なじります。「(自分で)人生をだめにした」と。
心に距離をおいていたときは、つらくも なんともありませんでしたが、「やっぱり好いてほしかった」という 自分の本音に気づいてからは、ときおり苦しく、涙がでます。
私は、母のふでばこではないし、母のむかし話の録音機ではありません。けちけちした、心のせまいことで 申し訳ないが「器量のない 娘」と、開き直ってしまいたいのです。
でも、映画の思い出を通して、家には楽しい時間も あったと、自分の過去の、あたたかい面を みとめることができました。自分の父を慕う気持ちも ほんのり、思い出すことができました。嬉しく、なつかしかったです。
父を好けば、母への拒絶も うすれることが、不思議です。
私は、自分のことを「性格のわるい、どうしようもない女」ではなく「親子の気持ちのキャッチボールに ちょっと失敗した女」と 感じることが できはじめて います。いま、ちょっと🤏 幸せです。
そして、母とお揃いの〈ツライ〉〈クルシイ〉という手札を集めつづけることを、自分と家族のために、そろそろやめようと 思っています。
ここからみたらきれいやでー と、言われ
玄関のたたきに仰向けに寝っころがって
写真を撮りました
背中が冷たく、入り日は美しかった!