布の思い出
私がものごころついたころから、母は洋裁をしていました。母のそばで缶に入ったボタンをならべたり数えたり、もう布を切れなくなった裁ち鋏で広告写真を切り抜いたりすることが、幼い私の好きな〈あそび〉でした。
思えば私は、母の真似っこをしていたのでしょうね。でも母は、私に針をもたせることはしませんでした。私の手つきの覚束なさに、この子は針では食べられない、プロになれないと思ったそうです。
3つや4つの子をみて、そんなことわかる?
ときくと、「三つ子の魂百まで」と、ぶっきらぼうな返事。母の基準は厳しいのです。
母のおめがねにかなわなくても、ものを切ったり貼ったり、組み合わせてあそぶことは好きだったな。。と、最近、じぶんの幼いむかしを思い出します。すききらいも意識しないほど、そんなふうに母のそばですごした日々があったよね、って。
いま、仕事で子どもさんとの手作りあそびを準備しているときに、わけもなく ほんわか幸せになったり・不思議と癒されたりしているルーツは、そんなところにあるのでしょう。
なんだか〈じぶんらしさ〉を とりもどしていくような、嬉しい時間を体験しています。
私が この仕事に就いたのは、夫さんの失業というか、病気というか、早期退職がきっかけでした。
また、その直前には 私自身が手術や抗がん剤の治療を体験しています。息子もまだ、学生で。
ですから、かなり追い込まれた、一見ネガティブな理由と状況での決断だったはずですけれど。
きっと そのときは、私と夫さん(もしかすると 息子も?)、それぞれの人生の目覚まし時計が鳴っていたのでしょうね。
その音をキャッチして、ゆっくりでも 変わってこられて、よかったです。
ようやく 仕事をおぼえはじめた私。
いっぽうで夫さんは 数年前、「もう会社には勤めません」宣言をしてから、つづけていた染色や塗装の仕事をはなれ、何人かの生徒さんに ドラムの基礎を教えるようになりました。
私は、事務職から専門職へ。
夫さんは、専門職から趣味を仕事へ。
おかあさんの通院や買いものの付き添いは、時間をやりくりしながら 夫さんがしてくれています。炊事と洗濯も、すべて夫さん。夫さんが疲れきっているのが、このごろ わがやの心配の種です。
夫さんが 以前の勤め先で作った型染めTシャツが数枚、いまも のこっています。実家の母がよく着ていますし、手描きのTシャツは、すこし きゅうくつになっても 息子のお気に入り。
それから、会社員時代の夫さんが吹いたフェイクレザー、フェイクメタルのボタンが幾つかあって、工房にいた頃の反物も すこしだけ のこっています。
紙とはさみは 何とかそばに置けそうですが、糸や布の世界には あとすこーし 手が届かないのが、いまの私。
のこっている生地やボタンを 使えたらいいな。なににしようか、縫えたらいいなぁ~なんて、そんな日がくるのが、まち遠しくて。🧵🧶 (*´∇`)
そんななか、2023年春からつづいていた 私の引越は、間もなく ひと段落が つきそうです 🏠️🐌
2階用の掃除機は 買った。
紙入れは 箪笥の上。
その箪笥の向こうにベッド、ベッドの下にも収納。
プリンターは夫さんの部屋に。
部屋のまんなかに一本足の円いテーブルと、椅子。
押入れの上段を借り、その隣には 小さな軽い箪笥も置いて、そこに入るだけの服で暮らす。
布の思い出をたどるのは、ひとまず ここまで。
あとは、本と ファイルです。
ここ数年、布に関わる本がふえました。
さぁ、どうおさめていきますかなぁ。
( *´艸`)