奥のほそ道 英訳 〈春編〉旅立ち・遊行柳・白河の関
おくのほそ道に詠まれた松尾芭蕉の有名な句を、英訳してみました。順不動、思いつくままの気まま旅です。
by SAKURAnoG
参考文献 「新版おくのほそ道」角川ソフィア文庫 松尾芭蕉 潁原退蔵 尾形仂
12.旅立ち
行く春や 鳥啼き 魚の目は涙
Spring is passing by
Birds chirp with sorrow as if saying good-bye
Tears on a fish eye
芭蕉旅立ちの句です。古典を意識したものですが、何か直接参照できるものがあるというよりも、古来の別れにちなんだ素材である鳥や魚を題材にして、別れを惜しんだものと思われます。魚は単数がいいのか複数がいいのか、悩んだのですが、複数にするとイメージとして何か滑稽な感じに思われたので、単数にしました。目も両目から涙なのでしょうが、普段見慣れているのは、横から見た眺めなので、こちらも「a fish eye」と単数にしました。稚拙ですが、韻を踏ませてみました。
13.日光
あらたふと 青葉若葉の 日の光
How holy and noble Nikko
Flourishing young and green leaves
Are enjoying precious sunshine
Here in Nikko
「日光」というのは、もともと「二荒(ふたら)山」といっていたのを、音読みにして「日光」という漢字をあてたものらしい。この句は、芭蕉の言葉遊びの句です。ただ、初句「あらたふと」にあらわれているように、神君家康公に対する賛辞を表現した句でもあります。「日光」と「日の光」の掛け言葉を説明するのは、どなたかの「解説」に譲り、あえて訳文には取り入れませんでした。これは、読者が自分で調べ考えて、味わうべきものでしょう。
14.遊行柳
田一枚 植ゑて立ち去る 柳かな
(A)
The willow tree
Leaving it I realized
That it has kept me there
whole during a single paddy field was planted
(B)
Lost in thoughts
Under the willow tree
Until I realized that
A single paddy field had been planted
西行法師が「道のべに清水流るる柳かげ しばしとてこそ立ちどまりつれ」と詠んだ、その柳の木に案内され、芭蕉が詠んだ句です。恐らく我を忘れて敬愛する西行法師のことを夢想していた芭蕉は、はたと気づくと目の前の田植えが一枚終わっていたことよ、という意味です。
田んぼ一枚を植える時間は30分だったのか、あるいは2時間だったのかもしれません。でも、それは大した問題じゃない。芭蕉がその柳の下で過ごした時間を、はたと気づいて、「この柳の木のおかげで、我を忘れて物思いに耽っていたことだ」と思った、その柳の木への「想い」が、結句の「柳かな」に表れている、そのことを感じ取れればよしとするということでしょう。芭蕉の西行法師への想いが、よく伝わってくる秀句だと思います。
(A)(B)二通りに訳してみました。(A)が主訳、(B)も捨てがたかったので、字面を追わず芭蕉の心の内を詠んで見ました。
「柳の木の下で思わぬ長居をしてしまったことだ。気がつけば、田一枚植え終わっているよ。さあ、私は次の旅へと向かおう。」
英訳(A)は、日本語の体言止めの手法をそのまま輸入して、「The willow tree」のみで1文としました。この「柳かな」に芭蕉の全ての想いが閉じ込められている、と感じたからです。日米の思考回路は真逆なので、一番印象深い言葉を最初に持ってきました。
この句の解釈は、他にも*色々あるようですが、僕には上記の解釈以外は考えられません。
※他の解釈
①芭蕉が「田一枚」植えて、という解釈。田植えというのは、そんなにホイホイと簡単に参加できるようなものではない、と思います。それよりも、なぜ、行脚途上の芭蕉が、せっかく案内してもらった柳の存在も忘れたかのように、伊達酔狂で田植えをしようとするのか、理解できません。
②早乙女達が「立ち去る」説。そもそも田植えが終わって引き上げるのを「立ち去る」とは表現しないと思います。この解釈には、本句の(おそらく)初稿が「植ゑて立ちよる」(支考「古今抄」)だったことが影響しているのかもしれません。(「植ゑて立ちよる」だと主語は、両方とも早乙女達)ただ、この解釈では、柳の木に対する芭蕉の想いが、全く感じられない、単なる風景描写にとどまってしまう気がします。
本句は、初稿からの発想の転換があります。「(早乙女達が)田一枚 植えて / (私は)立ち去る 柳かな」で、僕は全く違和感を覚えません。
15.白河の関
卯の花を かざしに関の 晴れ着かな 曽良
A deutzia blossom set onto my head
I’ll make it a formal wear
To pass through this barrier station
(SORA)
僕の「奥の細道」探訪ともこれでお別れです。最後にこの旅に同行した曽良の名句を鑑賞したいと思います。僕の大好きな句です。
托鉢の曽良が卯の花を簪にして(髪がないから出来ないのだが)、それを故事に倣って正装として通過するのだという季節感・ユーモア感あふれる作品です。しかも、おちゃらけではなく、ちゃんとこの白河の関と、古に正装して通った故人への尊敬の念も失っていない、卓越した名句だと思います。
[辞世]
そして、最後の最後に芭蕉の句でこの章を締めくくりたいと思います。奥の細道からの引用ではありませんが、「芭蕉辞世の句」です。
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
Fell ill in bed
En route of my journey
Whereas my dreams
Are running around
The wilderness
芭蕉51歳、最後の句です。元禄7年10月12日死去。この句は、その3日前10月9日に弟子に代筆させて詠んだものなので、辞世の句でなくとも本人は当然そのことは意識していたと思われます。先んずること10月5日には各地の弟子宛に危篤の通知が出されていますので、誰の目にも死期が近いことはわかっていたはずです。
「病が癒えたらまた旅に出たい」という意味だとする楽観説もありますが、僕は、上記のように、わざわざ弟子に墨をすらせて代筆させたのだから、辞世の句として詠んだと考えてもおかしくないだろうと思います。
従って、おのずとこの句の意味も「もう、二度と旅に出ることはかなわないだろう。夢だけが、枯野をかけ廻っていることよ」となります。
「旅に病んで」字余りです。なぜ「旅に病み」ではないのでしょうか? 僕は、あえて字余りにして句調を崩したところに、芭蕉の無念さを強く感じます。
「枯野」はあえて「desolate field」とかにする必要はなく、この句の世界観を考えれば「荒野(wilderness)」でいいと思います。2語にすると形容詞の「desolate」(人気のない、荒れた)が意味を持ってくるので、僕には違和感があります。要は、「広い場所(冬だから「枯」野)」ということだと理解しています。
(芭蕉の足取りについては、こちらの「芭蕉総合年表」を参考にさせていただきました。http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/index.htm )