おじいちゃん栗林中将が泣いてるよ|新藤義孝さん
硫黄島の戦い、映画「硫黄島からの手紙」を見た方もおられるでしょう。
硫黄島では、2月19日から3月26日にかけて、島を守る日本軍と、上陸した米軍との間に激しい戦闘が行われました。日本軍の指揮をとったのが陸軍中将の栗林忠道でした。
昭和十九年五月に栗林忠道中将が着任し、最後には、陸軍一万三千五百人、海軍七千三百人が布陣します。千二百人足らずの島民は東京に疎開させました。栗林は硫黄島に本部を定めました。マリアナ沖海戦で連合艦隊が壊滅した今となっては、一日でも持ちこたえて、アメリカに損害を与えてやろうと、それだけでなんですよ。先の望みなんて何も無かった。それを栗林は腹の中に隠しておいて、戦った。
映画「硫黄島からの手紙」で、栗林中将は最後の総攻撃に加わった後、海岸付近で自決し、その地で守備隊兵士に埋葬されていた。しかし、実際は、いつ、どこで、どのような最期を遂げたのかはよく分かっておらず、硫黄島戦の謎の一つとなっています。
「戦局最後の関頭に直面せり/敵来攻以来麾下(きか) 将兵の敢闘は/真に鬼神(きじん)を哭(なか)しむるものあり」。
これは昭和20年3月16日、激戦地・硫黄島の総指揮官として2万余りの兵士を率いて戦った陸軍中将、栗林忠道の大本営に宛てた訣別電報の冒頭。
電文は「今や弾丸尽き水涸(か)れ/全員反撃し最後の敢闘を行わんと・・・」と続き、最後に栗林の辞世が3首添えられていた。
その1首が
「国の為重きつとめを果し得で 矢弾(やだま)尽き果て散るぞ悲しき」
この電文は、死んでいった、あるいはこれから死んでいこうとする兵士たちへの鎮魂の賦です。
この電文が当時、改変されて新聞に載っていたんです。「悲しき」は「口惜(くちお)し」となっていた。戦争中では悲しいなどの言葉は許されない言葉だったのでしょう。
本来の「悲しき」は「痛切な本心であったに違いない」と思うと涙が流れます。
本土防衛の最前線である硫黄島は圧倒的な米軍の前に初めから絶望的な戦場だった。本土防衛の最前線である硫黄島は圧倒的な米軍の前に初めから絶望的な戦場だったが、武器もなく補給も途絶えた中で栗林は地下壕を使ったゲリラ戦法で持久戦に持ち込んだ。本土への侵攻を一日でも遅らせるために!米軍にも甚大な被害を与え、戦力の差を超えた善戦だった。
アメリカ留学の経験もある栗林中将は国力の差をよく知っていたのでしょう。
この「悲しき」の言葉には栗林の、部下を悲しい死へ追いやった心情や大本営への痛烈な皮肉と抗議、そして家族を思う心が凝縮されているのかな、と勝手に解釈しました。
栗林中将の孫が新藤義孝
SNSでたびたび話題になっていた埼玉県川口市の「クルド人問題」が、ついに国会で取り上げられることになった。新藤義孝氏自身の選挙区です!
度々ニュースでも川口の不良外国人によるニュースは多いです。いくつか取り上げます。ニュースになっているのはごく一部と認識して下さい
自分の選挙区の声を無視し続ける新藤義孝氏
こんなトラックが暴走しています。危険!!
日本保守党へ要望の声の中に、執行部の皆さんへ川口の声を届ける方が多くいらっしゃいます。
不法滞在者によって夜中大騒ぎ、嫌がらせ、交通事故、ナンパ、ついには女子中学生がレイプされるという事件が起きた川口市民が、この問題に取り組まない地元の新藤義孝議員に失望し、これから国政に挑戦する東京15区の補選の街宣に来られて悲痛な事を訴えられたりされ、日本保守党はそれ以降
川口へ数回行き、実際に住民の声を聞き、目にしています。
実際に2024年9月も川口市からさいたま市への人口移動が329人と県内で一番多かった! そのさいたま市にもクルド人が増えている模様。
一日も早く安全で安心して暮らせる街にしなくてはならない、これらの事件、地元の声を無視し続けた、これが新藤義孝議員がやってきた事の結果です。
ちょっと待って!多くのクルド人は不法滞在中でしょ。共生しよう云々の前の話であり、さっさと国へ送り返す能力もない国会議員必要ですか?
なぜ、そもそも日本人が譲歩、歩み寄り、共生しなければいけないの?
日本に住みたければ正規の手続きをし100%日本の法律、しきたり、風習、伝統を守ってもらうのが普通でしょう。
日本人が日本において譲歩する必要は1ミリもないと思います。
「郷に入れば郷に従わう」の 民族でなければ 共生なんて不可能ですよ
川口市民の皆さんの責任でもありますよ
この方(新藤氏)に投票した川口市民、選挙に行かなかった川口市民、クルドがらみがで今問題が増幅していますが、選挙で選んだあなた達の責任でもあります。選挙には必ず行きましょう!!
一応、新藤さんは選挙の時は日本人寄りの発言してませんでしたか?当選したら早速、公約破り?!選挙公約を、はたす気ない、 はじめから、これをするのが目的で、選挙公約で県民を釣ったのではなどどいわれております
ちなみに、新藤義隆氏の発行してるニュースでは
https://www.shindo.gr.jp/cms/wp-content/uploads/2024/10/weekly300.pdf
不法移民問題に直結する川口市の大半を占める埼玉2区川口。
クルド友好議連メンバーでありLGBT法推進の自民党「新藤義孝」
埼玉2区の新藤義孝氏、6月クルド人に破壊されたトイレを視察した時と同様、川口市民に「共生」の綺麗事を押し付ける。
共生どころか、日本人が一方的に日本で被害受けているんですよ。
ことごとく期待を裏切ってくる人には大切な一票を入れない方がいい!LGB
栗林中将のような偉大な先祖のDNAを持ちながら、、、
日本を一日でも長く守る為に硫黄島で散り、最後も定かでなく、遺骨もない、栗林中将は国士であり、武士だったのに、孫の新藤義孝氏は日本を壊す政策をどんどん勧めています。祖先の顔に泥を塗り、栗林中将へどんな顔向けをできるのでしょう?
不法、不良外国人問題に取組む日本保守党
わずか結党「1年」という憲政史上最短で国政政党になった「日本保守党」 小坂英二、伊藤純子さんは現職地元議員の立場を捨てて闘ってくれました!
小坂英二(前・荒川区議) 荒川区議のバッチを外し先の衆議院選挙に南関東ブロックで「比例は日本保守党」と言うだけの為に闘った小坂さん。
尖閣上陸も果たし、日本保守党の党勢拡大の為に必死に闘ってくれました。
次こそは当選し国会へ送り出さなければいけない一人です。外国人の国民保険料の滞納の調査や国別の滞納率など事細かに調査されています。
元自民党所属でありながら疑問を感じ日本保守党へ来てくださった元伊勢崎議員の伊藤純子さん。
この度の衆議院選挙でも伊勢崎議員の職を辞し、北関東ブロックで小坂さん同様に「日本保守党」の名前を売るだけの選挙に出馬されました。
伊勢崎でも不良、不法滞在外国人問題は深刻で真剣に日本を守る為に闘って
おられました。
群馬の集会の時に「百田先生が日本保守党を立ち上げてくださった事に感謝です」と涙を浮かべておられた姿にこの人は国会へ行ってもらわねば!と思いました。
きっと「日本保守党の為」と言うだけの理由で、議員辞職してまで日本保守党、全国2%の票を集め国政政党になる為だけに闘って頂きました。
YouTube 日本保守党🇯🇵伊藤純子
ほぼ毎日ライブ配信されています。議員を辞めたら話せる事が色々あると
気兼ねなく、○○党についてや議員時代の苦労話が聞けますよ。
名古屋市長選「広沢一郎」
名古屋といえば、河村たかし、河村たかしは目出たく衆議院議員当選となったので名古屋市長選が行われます。河村たかしに惚れ込み河村たかしを15年間無給で支え続けた「広沢一郎」。河村たかしが後継指名したのももちろん「広沢一郎」です
河村たかしとの違いは、何をやっても叱られる(笑)河村たかし、何をやっても爽やかになる「広沢一郎」