見出し画像

水の月コーヒー店 下弦の月編〈短編小説〉

「はい。じゃあ今日はここまで。」
終了の合図と共にみんな楽器を片付け始める。
僕はチェロをケースにしまい、背中に背負ってホールを出て帰路についた。
駅まではけやき並木が続いて、所々に銅像やベンチがある。
ベンチに腰掛け、銅像やけやき並木を眺める。
何処からともなくJAZZが聞こえてくる
辺りを見渡すと、レンガ調の建物が見える。
その入り口には優しい光が灯るランプがあった。
近づいて見ると昔ながらの喫茶店だった。
覗き込んでいる僕に、白髪交じりのマスターらしき男性がドアを開け声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。良かったらゆっくりして行って下さい」
喫茶店の中ではゆったりとしたJAZZが流れていた。
「僕はコーヒーが飲めないのですが、心が落ち着く様な飲み物はありますか?」
「それなら、ハーブティーはいかがでしょうか?」微笑みながらマスターらしき男性が言った。
「じゃあ、それをお願いします。」そう伝え店内に入る。
カウンター近くの椅子に座り、JAZZを堪能していた。
「お待たせ致しました。」と言う言葉と同時にテーブルには、
ティーポットとカップが置かれた。
「カモミール、パッションフラワー、レモンバーム、バレリアン、リンデンの"小夜の和みさよのなごみブレンドでございます。」
「飲みにくい様なら、こちらの桃の蜂蜜漬けをどうぞ。」
小さくカットされた桃の果実が入った蜂蜜の小瓶が置かれた。
「ありがとうございます。」と伝え、注がれたカップを手にする。
鼻に近付けたカップからは何とも言えない強烈な草の香りがする。
飲めるだろうか・・・一口飲んでみる。
んー・・・桃と蜂蜜を入れよう。密かに思った。
草の香りは変わらないが、桃の香りと甘い蜂蜜でだいぶ飲みやすくなった。
JAZZに癒され、暖かいハーブティーを飲み、すっかり心も身体も癒された。
「さて、帰るか。」僕は席を立ちチェロを背負う。
すると、白髪混じりのマスターらしき男性がカウンター後ろのドアを開け手招きしている。
自然と身体が動き、開かれたドアから外へ出てみると・・・。

見たことのない海が目の前に広がっている。
綺麗な星空と、下弦の月。
穏やかな海。波一つない水面みなもには綺麗な満月が・・・
「ん?満月!?」慌てて空を確認する。
左側の半月。やっぱり下弦の月だ。
もう一度水に映る月に視線を落とした。その時、突然目の前に青年が現れた。
「チェロ弾きさん、こんばんは。」と声をかけてきた。
びっくりしたが、咄嗟に「こんばんは。」僕も答えていた。
よく見ると、綺麗な金色の輝く瞳の青年だった。
「下弦の月って、疲れた身体と心を癒すのにいい日なんですよ。知ってました?」と青年は言う。
「へぇ、そうなんですね。」
いやいや。そんな事よりも。
僕が今一番知りたいのは・・・
目の前の青年は「水の月が気になります?」と微笑みながら僕に問いかける。
「ええ。気になりますよ。」
僕がそう答えると、青年は嬉しそうに綺麗な金色の瞳を輝かせながら
「満月から下弦の月に変わるタイミングって、新月に向けて新しい事を始める為の準備期間。心のバランスを取り戻す大切な時間ときなんです。」
突如、青年は僕の手をとり歩き出す。何故か青年から目が離せない。
「いつでも終わりと始まりのサイクルの中にいるんですよ」言い終わると同時に青年は僕の手を離した。はっとして辺りを見回すと、不思議な光の空間の中にいた。
「・・・!?」よく見たら水の月の上だ。
キラキラと輝く水の中の満月から金色の光が空の月まで続いていた。不思議な金色の光の空間を見上げる。
空には満月が見える。「??」
必死に考える。
今日は下弦の月。左側半分は本物の月のはず。右側半分は・・・ああ、そうか!水の月から続く金色の光を反射して、満月に見えているのか。と冷静に結論に辿り着けた。不思議だ。こんな事があるんだろうか・・・
「チェロ弾きさん、良かったらこちらへどうぞ。」
声がした方を振り返ると、水の月の上に、テーブルと椅子そして小さなカウンターが用意されていた。
カウンターの中から青年が「どうぞ座って。」と声をかける。
チェロを下ろし、椅子に腰かける。
何故だろう。無性にチェロが弾きたい。
初めてチェロを聴いた時。子供ながらに優しく暖かい音に感動した。
チェロを始めた時は楽しくて仕方なかった。
もちろん好きだから今でも続けている。
だけど、いつからだろう・・・。楽しいとか、やっと弾けるようになった時の喜びとか、嬉しさを忘れてしまったのは。
そんな事を考えていた時、「チェロ弾きさん、良かったら私の為に一曲弾いてくれませんか?」カウンターにいる青年が金色の瞳をキラキラさせながら僕に言う。
誰かの為に・・・いつぶりだろうか。
「ちょうど弾きたいと思っていたところ。誰かの為に弾くのは本当に久しぶりで・・・」話ながらケースからチェロを出す。チューニングを終え「何が聴きたいですか?」と青年に聞く。
「あなたの好きな曲を。」
「好きな曲・・・」僕は初めてチェロに出逢い、始まりのきっかけとなったパッヘルベルの"カノン"を弾いた。チェロの優しく暖かい音と、カノンの綺麗な旋律。
僕はチェロが好きなんだ。そう思った時、自然と涙がこぼれ落ちていた。
「あれ?すみません。涙が・・・」
こぼれ落ちる涙を拭っていたら、青年がテーブルにティーポットとカップを置いた。
青年は優しく微笑みながら、「言ったでしょ?今日は下弦の月。疲れた身体と心を癒す大切な時間ときなんです。」金色の輝く瞳で真っ直ぐ僕を見つめて言った。
「お待たせ致しました。カモミール、ローズ、ラベンダーをブレンドした"night-blooming・flowersナイトブルーミング・フラワーズ心の休息"ハーブティーす。」
綺麗な色の花びらがいくつも浮かんでいるティーポットとカップを置いた。
「綺麗だな。ありがとう。」涙を拭いながら青年を見上げる。
チェロを置き、カップに注がれたハーブティーを一口飲んでみる。
華やかな優しい花の香りがする。「美味しい」
青年は微笑みながら「良かったらこちらの""星屑ほしくずの蜂蜜も入れてみて下さい。」
夜明けを思わせる曙色あけぼのいろの中に星屑ほしくずを閉じ込めたようなキラキラが入っている蜂蜜の小瓶を置いた。
"星屑ほしくずの蜂蜜"を入れてみる。花びらと星屑が混ざり合って、見た目がとても綺麗だ。味も花の香りに蜂蜜の甘さが加わり飲みやすい。
飲み終わりカウンターにいる青年に「美味しかった。ご馳走様でした。」
と伝える。ふと横にある小さなボートに気付いた。そこには【水の月コーヒー店】と書いてあった。
僕は青年に、「ここは貴方のお店なんですか?」と質問しようとした瞬間、眠気に襲われ、すぐに眠りに落ちた。
最後に聞こえた言葉。
「あなたが疲れてしまった時。あなたが必要とする時。あなたの前に【水の月コーヒー店】はあります。またお会いできる日を楽しみにお待ちしております。」
目を開けるとそこは欅並木けやきなみきのベンチだった。
夢を見ていたのか・・・。
その時、ふわっと花の香りがした。
金色の輝く瞳の黒猫が僕の前を駆け抜けて行った。
「早く帰ってチェロを弾こう。」不思議な感覚とワクワクする気持ちを押さえて僕は家路を急いだ。

下弦の月編をお読みいただき、ありがとうございました☆









いいなと思ったら応援しよう!