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10年前の私のストーリー

震災の当時の事はあまり口にしてこなかった…
でも、こんな私のちっぽけな当時のストーリーを残してもいいのかなあ…と思い、
10年目の今日、ここに残そうと思います。

記憶を辿り、思いつくまま文章を綴るので、支離滅裂な部分もあるかもしれませんがご容赦ください。

当時の私はアメリカ留学から、実家の宮城に戻ってきたばかり…
久しぶりの慣れない車の運転で、塩竈市にあるマリンゲートへ母と向かっていた。

が…マリンゲートへ行く前に、
私がコーヒーを飲みたいとワガママを言い、多賀城市内のカフェへと向かった。

席に案内され、座った途端に視界が大きくズレた!一瞬、貧血かと思った。
すぐ地震だと分かり、揺れに足を取られながら、母の腕を掴んで外へ出た…
カフェの前が大きな駐車場で、色んな店舗から人が出て来た。
見知らぬ女性と母と私の三人で、大きく波打つ田んぼとアスファルトを震えるながら眺めてうずくまっていた。
目に写る景色はリアルなのに、現実味が無い異世界の様な感じだった。

その時、母の膝と手にはアスファルトの石ころが突き刺さり、血がドクドク流れていた。
近くの女性が「これどうぞ!」とタオルを差し出してくれた。
アドレナリンがたくさん出ていたのか…母は痛みを訴えなかった。

そのタオルは…結局、見知らぬ女性には返せなかった。

膝の止血をし、私と母はすぐに家に戻る決断をした。
ガタガタ震える手で車のキーが入らなかったのを今でもリアルに感覚的に残っている。

その瞬間…遠くの海の方向から大きな爆発音が聞こえた…
大きな津波が到達し火力発電所やコンビナートが爆発したと後から知った。

体も硬直し呼吸も震えていたけど、私はハンドルを握り車を走らせた。

頭の中は
「工場で父が下敷きになっていないか」
「祖母は転んでいないだろうか…」
「2階にいる犬は大丈夫かな?」

そんな事を考えながら、その駐車場から立ち去った…

私達が立ち去った後、その駐車場には津波が来ていた事を後から知った。

あとは…
無我夢中の日々だった。

ちなみに父は無事だった。
祖母は倒れた茶箪笥とこたつの隙間にうずくまっていた。(奇跡の無傷)

2階にいた犬も家財が散乱する部屋のベットに寝ていた。
(老犬だったから、逆に歩き回らなくて良かった。)

機会があれば、地震後のサバイバル生活編も残そうと思います。

私の10年前のストーリーを読んでくれてありがとう。

#日記
#あの日の記憶

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