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毎日祈っていたら願いが叶った⁈「今日先生が学校を休みますように」
私は昭和50年代に小学生時代を過ごしました。
その頃は、まだまだ教育の場で体罰は珍しくありませんでした。
ですが、小学校入学と同時に初めて出会った先生。
ちょっとやりすぎではありませんか。。。
1年2組、2年2組
テレビでは「ピカピカの一年生~♪」なんていうCMをやっていました。
小学校とはどんなに楽しいところなのだろうとワクワクしていました(と思う)
入学式を迎え、1年2組30人。男女はほぼ半々くらいでした。
そこで出会ってしまった担任のR子先生。
この日から2年間、30人は。。。
R子先生
当時30代後半。
先生自身にも私たちと同年代の子どもが二人いたようです。
R子先生は自分の子どもが自慢だったのか、よく話して聞かされました。
「うちの○○ちゃん(自分の息子)はね~」
自分の子どもを”ちゃん”付けです。
私たちのことは、下の名前を呼び捨てです。
授業参観の時だけは○○君、○○ちゃんと呼び、いつもと違って気持ち悪いくらい優しいのでした。
R子先生は、すぐに生徒に手を挙げる人でした。
だれかれ毎日頭や顔を叩かれていました。もちろん私も何度も。
顔はありませんでしたが、頭を強く叩かれてクラクラしたこともあります。
国語の教科書を一人ずつ音読させられ、スラスラ読めなかった子なんかは教室の前に連れてこられてみんなの前で見せしめです。
往復ビンタ、拳骨で殴る・・・
毎日先生に叩かれるという恐怖を抱えながら学校に行っていました。
先生の機嫌によってお楽しみ会なんかも急に中止になります。
そうなると、決まって算数の授業をするのです。R子先生は中学の数学を教える資格もあったそうで・・・
宿題のノートなんかも「今から字が汚いやつのノートは床に投げる」と言って本当に床にバーンと投げつけました。
私(たち?)は
”ヤラレル”という思いで毎日過ごしていました。
親はだまっていないのか?
という疑問がわくと思いますが、まだ6歳や7歳の子どもです。
恐怖心から状況をうまく説明できない上に、先生の言うことをきかないからでしょというその当時の親たちの決めつけ。
R子先生は授業参観や懇談会ではとてもいい先生です。
だから、親たちは厳しくていい先生という見方をしていました。
でも、やっぱり毎日子どもから何らかの話を聞いている親の中には、学校に問い合わせる方もちらほらいたようなのです。
R子先生は
「家で学校でのことを親に言うやつがいる。何でも親に言えば自分の思い通りになるかと思って。そういうやつは甘やかされているやつだ!ろくなやつにならない!」
とみんなの前で言い出したのです。
みんなはますますビクビクして親に言えなくなります。
ある日、私は算数の授業中に先生から指されても答えられませんでした。
そしたら、授業とは全然関係ない体型や行動などで責められました。
涙をこらえるのが精一杯でした。
ショックが大きかったのか私は覚えていないのですが、家に帰ってから一言もしゃべらずランドセルを置くと布団に入って寝てしまったらしいのです。夕食も摂らず心配した祖母が母に様子を伝えたら、母が学校で何かあったのかと私にきいてきました。
私は答えませんでしたが、母はだんだん怒って問い詰めてきました。
母のことも怖いので泣きながら学校でのことを話すと、えらい剣幕でR子先生の自宅に電話したのです。(当時は電話帳から先生の電話番号を知ることが簡単でした。卒業アルバムには住所や電話番号も載っていましたし)
「やめてよー!」と泣きながらお願いしましたが母は興奮してダメでした。夜8時をまわっていました。
R子先生は学校で私にしたことを「そんなことしてないし言っていない」と言ったそうです。
R子先生が認めるわけありません。
子どもだったけど、そんなこと初めからわかっています。
むしろ、当たりがきつくなるのではないかという不安が大きくなりました。
次の日R子先生から呼ばれ、
「ミモちゃん、昨日あなたのお母さんから電話があったけれど、先生、ミモちゃんにそんなこと言ってないわよね!」
と両手を握られ(掴まれ)、ガッツリ目を見て言われました。
とにかく恐怖でしかありませんでした。
私は結局噓つきです。。。
いつしか、クラスのみんなも先生から自分を守るようになっていたのか、暴力を振るわれている子が悪いんだという目で見るようになっていました。
転校生がきた時も、R子先生は目をつけ毎日のよう乱暴しました。
給食を残す、授業中答えられないということでです。
クラスの中には、先生からいい子と思われたくてその転校生を一緒になって馬鹿にしたり、ちょっとしたことをすぐ言いつけたりする子が出てきました。
そうしていれば自分に危害を加えられることが少なくなると考えたのでしょう。
その転校生は、またすぐに転校していきました。
給食中の出来事
私は給食が食べられませんでした。
食べ物の好き嫌いではありません。
R子先生がいるだけで喉を通らなかったのです。
他にも何人か時間がかかる子がいました。
R子先生はそのような子からスプーンを取り上げ、無理矢理そのスプーンで口の中に食べ物を詰め込んだりもしていました。
ある時、私はそれをされないように、先生が自分に来る前に自分で給食を口の中に急いで詰め込みました。
詰まらせました・・・。というかゲホゲホむせて吐いてしまいました・・・。
その瞬間静まり返った教室に
「ブッ‼‼」
と短くも元気に大きな音が響きました。
私はむせながらオナラをしてしまったのでした。。。
意外にもその時笑う人はいません。
「あれ?みんな気づいてなかった?」
そんな中、むせている私のところにきて優しく背中をさすってくれた男の子がいました。
「あんまりいっぱい(食べ物)詰めるな」とS君。
吐きながら泣いていましたが、そのS君のやさしさにもっと涙が出ました。
(言うまでもなく初恋はS君です!)
吐いてオナラまでした私に。。。
なんてステキな男の子なんでしょう!
安心したのも束の間、
R子先生は
「ねえ、さっきのオナラ誰?」
と歯磨きをしながら言いました。
クラスメイトの何人かが声を揃えて
「ミモちゃーん」と言ったのです。
R子先生は歯ブラシを加えたまま天井を向き
「わははははは!」と高笑い。
クラスメイトの一部も先生と一緒に笑っていました。
「何だよ、やっぱ聞こえてたんじゃねーか。どうせならすぐ笑えや」と子どもながら内心思いました。
神様、ありがとう!
当時不登校の子は一人もいませんでした。
不登校という言葉さえなかった(?)かもしれません。
嫌々ながらもみんな学校に行っていました。というより学校に行かないなんてなれば、その子が悪いという見方をされます。
先生や学校が強かったというか逆らえない雰囲気でした。
私は幼稚園の頃から、毎日必ず家のお仏壇に手を合わせる習慣がありました。
小学校に上がってからも続いていました。
いつしか
「今日はR子先生が学校を休みますように」
と毎朝お願いするようになっていました。
2学期のある日、いつものように静かに先生を待つ2年2組。
先生が廊下を歩いてくる足音が教室に近づいてきました。
「ああ、今日もR子先生来ちゃったか…」
と思っていると、入ってきたのはたまに全校集会でみかける白髪混じりのやさしそうな男性教師T先生。
みんなざわざわし始めるとT先生が
「今日からしばらく、R子先生は学校をお休みします。」
その瞬間、クラス全員が
「やったーーー‼」
と歓声をあげました。
立ち上がって飛び跳ねる子、踊りだす子もいました。
みんなも一生懸命毎日耐えていたのです。
”神様、お願い叶えてくれてありがとう!”
きっとクラスの大半は先生が学校に来ないように自然と祈っていたと思います。
T先生は「何だこのクラスは・・・」と小声で言いながら驚いていました。異様な光景でしょう。
続けて「そういうことだったのか...」とその時意味はわかりませんでしたがそう呟いていました。
それから約2週間、T先生ともう一人Y先生というやさしい二人の先生が交互に来てくれました。
みんな本来の子どもらしく手を挙げて発言したり、授業中も笑いありで楽しく過ごしました。
学校が、授業がこんなに楽しいなんて知りませんでした。
そして、こんなにやさしい先生がいることも知りました。
Y先生もT先生も私たちを褒めながら楽しく授業してくれました。
こんな日がずっと続いて欲しいなあ。。。
楽しく過ごした日はあっという間に過ぎ、R子先生が戻ってきてしまいました。
みんなはまたシーンと朝から静かに毎日を過ごすことになりました。
ですが、病気をされ手術までされた(緊急で入院されたご病気のようでした)せいか、R子先生は前ほど乱暴しなくなりました。
何とか2年生も終わり3年生になるとクラス替えも行われ、2年2組のみんなはやっとR子先生から離れることができました。
大人になってから、一度だけR子先生を見かけました。
友だちと一緒に買い物をしていた時でした。定年退職された後だと思います。
私たちはR子先生の後ろにいて
「どうする?今ヤルか?」と冗談を言いながら笑いました。
友だちは親にだってひっぱたかれたことないのに、掃除用具を戻し忘れただけで顔をひっぱたかれたと言っていました。
R子先生は今もきっとお元気でいることでしょう。。。(笑)
以上です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回、やってみたら ”そういえば最近頭痛しないかも” 乳製品を控えてみた (タイトルは仮)の予定です。