石原吉郎について考えたこと

石原吉郎の詩と人生を読み直している。長い間避けてきたのは、読めば必ず胸が苦しくなるのが分かっているから。だが、現在世界で起こっていることを思うと、この詩人の作品と人生の教えることは大きいと感じるのだ。起こったことは、変えることはできず、不可逆で、惨劇は惨劇で終わるしかない、と。随分前に野村喜和夫先生の講座に出ていたころに購入したままだった先生の著書『証言と抒情』を手掛かりに、難解と言われる石原吉郎読みにもう一度トライしているのは、近頃つくづく人間の運命とか宿命について思うことが多いからだ。その関連で「ミラン・クンデラと運命」という副題に惹かれ須藤輝彦著『たまたま、この世界に生まれて』という新刊本を読み中。(ミラン・クンデラはで『存在の耐えられない軽さ』という有名な作品を持つチェコの作家である。)石原吉郎の運命を受け入れがたいからだ。世俗的人間である私にはソヴィエト・ロシアという国への、スターリンやプーチンへの怒りと憎しみを抑えられないでいる。当の石原が一切ロシアやロシア人への告発をしなかったというのに。
人間の運命とは、宿命とは何か。偶然とは何か。
仏教では宿縁とか因縁とか因果などの言葉が使われる。物事は因果関係がある、縁があるから起きる,起こるのだということだろう。平家物語で、熊谷直実は平の敦盛を討ったとき
―たまたま生を弓馬の家に受け、巧みを洛城にめぐらし命を同じうす 陣頭が夕へ瀬々万々に及んで自他かくの面目を施せリ さてもこの度、悲しきかなや、この君(平敦盛)と直実、深く逆縁を結び奉るところ嘆かしきかな、つたなきかな。この悪縁(助けようとして助けられないこの宿縁)をひるがえすものならば、長く生死の絆を離れ一つの蓮の縁とならんや。―
 と書き、若干17歳の美少年平敦盛を討たねばならなかった身を、宿縁深うして、と嘆き悲しんだ。避けられなかった悲劇惨劇を宿縁と言うのだ。仏教は、そのような人間を救うとされた。殊に浄土真宗の親鸞はせざるを得ず悪事を働いたものをこそ真っ先に救って下さる、阿弥陀仏の名を呼べばお救い下さり浄土へ行ける、と説いた。悪人正機説である。因みに立派な甲冑を付けた馬上の敦盛が海中から取って返したと平家物語にはあるのだが、甲冑は22,3キロもあるので実際問題として甲冑姿で馬に乗り走ること自体不可能なのだそうだ。が物語として若く雄々しく美しい公達の造形として許される虚構であろう。
直実は、弓馬の家に生まれたのはたまたまである、と言っているがそれが宿命ということだ。皇族に生まれたり極貧の家に生まれたり、だれも望んで生まれたりしない。しかし、運命はどうか。
とても深く大きい問題なので、いい思考ができるかどうか、その第一歩を今日はnoteに記録しておこう。