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お賽銭のNGから神さまの話まで
車の中ではラジオを聴いています。
その日そのチャンネルでは、お賽銭のNGについての話題が流れていました。
曰く、お賽銭には、実はよくないとされる金額や硬貨があるとのこと。
10円玉は、語呂合わせで「遠縁」。
33円は、これも語呂合わせで「散々な目に遭う」。
500円玉は、硬貨の中で最高額であることから「これ以上の効果(硬貨)はない」。
ちょっとした豆知識を楽しむコーナーで、笑い声溢れるパーソナリティさんたちの会話から、その日も小さな元気をいただきました。
いつもありがとうございます。
でもお賽銭そのものは、わたしは別にどんな金額でもいいのではと思うのです。
神さまってそんな器の小さい人じゃないよ、きっと
これって昔何かのテレビ番組でやっていた、お賽銭や神社にくわしい誰かの受け売りだったと思うのですが……
わたしたちを見守ってくれている神さまという存在は、そんなささいな事では怒らないと思うんです。
1円でも5円でも、10円だろうと500円だろうと、なんなら0円だったとしても、神さまは平等に見守ってくれると思います。
わたしは別にどこの宗教を信仰してるわけじゃないし、詳しくないので実際どうかはわかりませんが……
少なくとも、悪意をもたずにいて、心の中で手を合わせる気持ちがあれば、無意味にいじわるしてくるような存在ではないんじゃないでしょうか。
「神さま」について考えてみる
あえていうなら、八百万の神さまはいると思う。
『千と千尋の神隠し』に出てくる神さまたちのような、「神さま」なんだけど、なんか自由に暮らしてて、そこかしこにいるような。
基本人間にはあまり興味がないんだけど、いいことをした人間がいたら、気まぐれに幸福を授けてくれる。
そういう気ままな存在。
いいことをしたからって必ずいいことが起きると限らないのは、そういうことなんじゃないでしょうか。
「神さまがお怒りになるから」というよりは、そこゆく人にいきなり殴りかからないのと同じように。
「そこにいる誰か/何か」には、一定の敬意を払いたいですよね。
神さまじゃなくて、人に対して感謝したり憎悪したりする
そもそも、いいことも悪いことも、基本的には神さまじゃなくて人間に起因するものだから、感謝も憎悪も「その人」に対してするものです。
いいこと・うれしいことがあったら
「神様ありがとう」
じゃなくて、
「あの人はホントいい人!!好きっ!」
って思うし、
嫌なこと・悪いことがあったら
「神様なんていない」
じゃなくて、
「わたしはなんであの時……」
「あの人はなんでそんな嫌なことするんだろう……」
って思います。
目に見えない神さまを気にする前に、目の前にいる人に対して考えます。
そうはいっても「神頼み」はやっちゃう
ぽいことを書いちゃったけど、なんか場面場面で「神頼み」はやっちゃってるな~と思いなおしました。
受験の前は、友人たちと太宰府にいってお守りも買ったし、
おばあちゃん家にある大黒様とか観音様には、毎回何かしらお願いをしてる。(なにかの宗教とかではない)
結局どうしようもないことは、やっぱり「神さま」にお願いするしかないと考えるのか……
そういえば、おじいちゃんの墓前でも似たようなことお願いしました。
「目には見えない。けど確かにそこにいる。見守ってくれる存在」と考えると、神さまも亡くなった人も同じなのかもしれないですね。
なんの話だっけ
で、結局わたしは何が言いたかったんだ……?っていつもなるんですが、今日もなりました。
何が言いたかったん?(わからん……)
人と話してても、ブログを書いてても、こんなことがほぼ毎回起こります。
自分で着地点がわからなくなるんですよね……
この辺が苦手だと思う理由のひとつだったり。
たぶん、ただ思ったことを吐き出しただけなんですが、聞いてる人にすれば「ああ……お、おん」って困惑するだろうなって…
「……え?それで?」って言われることもよくありました。
これ辛いんですよね……。
でも、これはnote。会話。雑談。
最近わかりましたよ。
お仕事の話でなければ、こういうのはたぶん、こう返したらいいんです!
「いや、なんもないけど、思っただけ(笑)」
そしたらたいてい人は、こう返してくれます。
「そっかあ~(笑)」って。
いやわからん。何の話だったんだろう。