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fieldnotes(日々の記録)

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リトルプレス『ありふれたくじら』の制作プロセス、随筆、うつろいかたちを変えていく思考の記録、などなど。不定期の投稿は、こちらのマガジンにまとめていきます。
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#現代美術

P.11|とらう / Catch

(「VOCA展2022 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─」出品作に寄せて) 10代の春休みの一時期、広島県の瀬戸内海にある故郷の島で「漁網編み」のアルバイトをしたことがあった。だだっ広い工場の2階、3〜4名の女性たちが片膝を立てて座り、ゴザの上に広げられた大きな漁網を編み進んでいく。黒光りするナイロンの糸は硬く、仕事を始めたばかりの私の指は3日もすると絆創膏だらけになった。 急にそのことを思い出したのは、それから約15年後のこと。東北で暮らすようになり、2018年に

P.10|汀線をゆく 〜《「せんと、らせんと」6人のアーティスト、4人のキュレーター》 (札幌大通地下ギャラリー500m美術館)に寄せて〜

​「日本人だから鯨が好きでしょう?」 そう微笑んで、私のお皿に山盛りの鯨肉を分けてくれた。 アラスカで暮らした頃、鯨猟の町で育ったクラスメイトの思い出。 私の生まれ育った瀬戸内海には、大型の鯨類はほとんど来ない。学校給食でも鯨を食べなかった世代の私にとって、鯨はそれほど身近とも思えない食べ物だった。けれど、その一皿を受け取ったときの満面の笑顔は、忘れられない瞬間となった。 昔は、よく食べていたのに。 昔は、飽きるほど食べたのに。 昔は、          。 鯨はいつも誰

news|「鯨寄る浜、海辺の物語を手繰る」(苫小牧市美術博物館・企画展「NITTAN ART FILE4:土地の記憶~結晶化する表象」のこと)

 鯨に導かれるように、海を伝うようにさまざまな土地を訪れてきた。ある時、苫小牧で聞いた話が、頭から離れなくなった。かつて苫小牧の浜辺が広い砂浜だった頃、砂山の上にあった恵比寿神社と稲荷神社に鯨の骨が祀られていたという。  それはどんな光景だったのだろう。なぜ人々は鯨の骨を大切にしたのだろう。さまざまな海浜植物が花を咲かせた広い砂浜も、鯨の骨が祀られたという神社も、すでに失われた、今。海辺に立ち辺りを見渡しても、かつての眺めを想像することは難しい。  東北から北海道南部の海