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モノとして扱われるということ。

美人は人間じゃなくてモノみたいだ。

そう思ったのは大学生の時、初めて友人と合コンに行った時のことだった。
男性陣は他校の学生で、幹事以外はみんな初めましての会なのに、始まるや否やいきなり向かいの席の男に「俺この子にするわー」と指を刺された。

指を刺してきたのは声も体も大きくて、スクールカースト上位顔をした浅黒い顔のスポーツ系男子。
彼は何度もそう言って、他の男子に俺のだから手を出すなと釘を刺した。
そんな扱いをされると女子の間でも嫌な雰囲気が立ち込めるし、私はその男以外と親しくする権利はなくなった。

どうせ出会いも何もないなら素を出してしまえ、そう思ってマシンガントークでこの男に当時ハマっていた映画の話を捲し立てると、ドン引きした顔で男はさりげなく席を移動した。
おとなしそうだと思っていたのに、うるせえ女だな、とでも思ったのだろう。

私だって人間なんだから、喋る時は喋りますわ。


社会人になった時、同期の男の子と共に取引先に挨拶に行った。
上司はまず男の子を「彼はとても優秀な子です。」と紹介し、それから私の方を見て、「彼女はまあ、見ての通り美人です。」とそれだけ言って紹介を終えた。
取引先のおじさんは「確かに見栄えがして良いですね。」と満足そうに頷いた。

見栄えって、何?

そんな感じで、色んなところでモノみたいな扱いをされたことがある。
男子のいける、いけない話に勝手に登場させられたり、聞いてもいないのに飲みの席で「俺は神山みたいなお高く止まってる系の女よりも気さくな子が良いなー」と面と向かって批判されたこともある。

容姿が良く生まれたことによって、確かに得することだって多い。
ブスになりたいわけでもない。

けど、多分この顔じゃなかったらもう少し人間として扱われたのではないかと思うことも沢山ある。
容姿が良いということは、それ以外の評価は下されないということも内包しているからだ。
私だって仕事頑張っていたし、努力してこの会社に入ったのに、そういうことはまるで見てはもらえないという虚しさ。

「でも可愛いって言われるなら良くない?」

そう思うでしょ?
当然マイナスなことを面と向かって言われることも、あったよ。

「桜子っていうほど可愛くないと思う。」
「え?」
「鼻は高いけど目はそこまでぱっちりじゃないし、よく見るとほっぺとかパンパンじゃん?お菓子食べ過ぎじゃない〜?」
高校の時、女子何人かで話している時に友人にいきなりそう指摘された。

「私はそんなに可愛くないよ」といえば「その顔でそんなふうにいうのは嫌味だ」なんていう癖に、「ありがとう。」と素直に受け取れば完璧ではないと非難される。

バカみたいだな、と思った。

私がもしもっと不美人だったなら、面と向かって顔の何が悪いなんて批判されることはないだろう。
ある程度美人だから、そういう土台に入れて批判しても構わないと思われている。

恵まれているのだから、少しくらい悪く言っても許されるよね?
という風潮。

大人になった私は時々美容皮膚科に行くし、ジムやピラティスを日常に取り入れている。
鏡を見ると欠点ばかりが目に入って、もっともっと磨かないとダメ。
そう思ってしまう。

何を目指しているの?

他人にはそう聞かれるし、自分でも思うことがある。
けど、どうしてもなにか足りないと思ってしまうのはきっとこういった批判の目に晒され続けたことが要因になっているのではないかと思うのだ。

そのままでも綺麗だよ。
そう言ってくれる人はたくさんいるのに、いつまで過去の傷を背負っているんだろうね。

とも、思うんだけど。

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