□ 秋の空は澄んで、天高い。
今年の春先のことである。
私は自分の書きたいものについて考えていた。
2月から読書会に月1で参加し「読む」ことをし始めて、「書く」ことにも取り組みたいと思ったのである。
私が書きたいものって、なんだろう。
「文章を書きたい」
「言葉のつらなりを生み出したい」
「自分の想いがのったものだとなお良し」
今までの私は、書くっていえば「物語!」「小説!」など漠然と意気込んでいたのだ。しかし、ここ数年はエッセイに自然と手が伸びて、読む頻度がぐんと増えていたこともあって「エッセイを書きたい!(かもしれない)」と思うに至る。
そう思っていた私が3月半ばに偶然知ったのが、仙台文学館で行われるエッセイ講座(初心者コース)だった。
なんと!グッドなタイミング!!
すぐさま講座に応募した。(応募方法は往復はがきだったのだが、この応募が私の往復はがきデビューとなった。)応募者多数の場合は抽選ということで、応募してからの数日は祈りに祈って、受講案内が家に届いたときは狂喜した。
エッセイ講座は全4回。事前に用意されたテーマに応じて作品を書いて提出する。受講生の作品を読み、講座当日には印象に残った作品の感想を述べる時間もあり、作品ごとに講師の講評を頂く。(7月に第1回、10月が第2回目だった。)
第1回の講座を終えた帰り道。私はしょんぼりしていた。
講評では良かったところを仰って頂いた。優しい言葉を受け、嬉しさを思った。しかし、私の心うちは後悔と反省でいっぱいだった。「コレだ!」と思ったアイディアは他の方も取り扱っていて、自分の個性を出したいと書いたつもりでいたが、良くも悪くも「当たり障りのない作品」でしかなかった。自惚れていたことに気づかされ、光るものがある他の方々の作品が羨ましく思った。
「この思い、絶対に次に繋げてやる!」と意気込んだ今回の作品執筆。
何を書いたらいいのだろう。
テーマをもらってから、日常を過ごす頭の隅でいつも考えていた。
ぼんやりと頭に浮かんだアイディアはあった。でも、ちょっと平凡かもしれない。このアイディアと何か結びつけることは出来ないだろうか。書き進めていくうちに新たな視点が生まれ、なんとか形になった。指定された文字数を最大限に生かすことにして、言葉を選ぶ。辞典を使って、言葉のバリエーションを知り、当てはめてみる。幾度も読み返して、言葉の調整をする。
よし、これで行こう!
1200字。
思いが詰まった、満足度の高い作品になった。
そして、迎えた当日。
多くの受講生の方から感想を頂くことができた。
自分がしたためた文章を読んでもらって、感想をもらうことが出来た嬉しさ。心の中が嬉々で満たされていく。本当だったら、喋っている相手の目を見つめて、じっくり話を聞きたい。そう思いながら、私は忘れないように、一文字も漏らしてしまわないように、ノートにペンを走らせる。顔はにやけてしまっていて、照れ臭さをごまかしたい気持ちも少なからずある。
講師からの講評も、今回ばかりは素直に嬉しく思うことができた。
私の作品に言葉をかけてくれる。
めっちゃ、嬉しい。
嬉しいに尽きる。
この嬉しい体験をした今回。
私は天にも昇るような心地の帰り道だった。
友人の「褒められた言葉でご飯3杯食べれる!」という名言。
数日前に知ったこの言葉を思わず思い出した。今の私は浮かれすぎて、5杯くらい食べられそう。この褒め体験を瓶詰めにして、たまに取り出して、とっておきのご飯のおともにしたい。
私の作品に向けられた言葉を胸に「書くこと」としっかり向き合おうと強く思えた。そんな秋の良き日であった。
こぼれ話。
ホクホク気分だったこの日。
晩御飯を全国チェーンの超有名なとある定食屋へ夫と食べに行った。
席を案内されるときに店員さんの不手際で、私たちだけ案内されないハプニングもあり、少しムッとしつつ、注文した生姜焼き定食を待っていた。
運ばれてきた、生姜焼き定食。
たっぷりの中濃ソースで和えられたのですか?
と聞きたくなるくらいの生姜焼きらしからぬ黒めの茶色。
メニューの写真と見比べても、比べ物にならないほどの真っ黒さ。
おそるおそる箸でつまむと、全体的に焦げているのが分かった。
豚肉も火が入りすぎてしまったのかボロボロとしていて、中に入っている玉ねぎとモヤシは糸状でほっそりと水分を失っている。
メニューの写真が映えてしまうのはあるあるだし、この店舗の生姜焼きはこんな感じなのかしら?と口にした。
に、苦い。
え、苦いかもしれない。
添えてあるキャベツをひと口食べて、もう一度生姜焼きに挑む。
……やっぱり苦い。
怪訝な顔で食べていた私に、目の前の夫も異変に気付いたのか「どうしたの?体調悪い?」と声をかけてきた。「いやさ、なんか生姜焼きがね、焦げてるのかめっちゃ苦くて……」と伝える涙目の私。「それはそれは大変だ」と店員さんを召喚することにした。卓上のベルで呼んだ店員さんはなぜか別のテーブルを経由して(間違えたっぽい)私たちのテーブルにたどり着いた。
事情を話すと、店員さんの視線は私の食べかけの生姜焼きに向けられた。表情をみるかぎり「これはかなり焦げてるぞ」って顔をしていた。
結果的に私に届けられた異様な黒さの生姜焼き(ちょっと食べかけ)は引っ込められ、新しい生姜焼きが届けられることとなった。
いやはや、ひと安心。残された味噌汁でご飯を食べることにする。なんせ、ご飯のおかわりが売りのお店だものね。箸を進めながら、なんだか悲しさと憤りが募る。
そして、運ばれてきた新しい生姜焼き。
(新しい生姜焼きよ~~!そぉれ!!感)
なんと、なんと。
先ほどの生姜焼きとは別ものか!と思うくらい素敵な生姜焼き。
色合いはちょうどいいイメージ通りのうす茶色。
適度に火が通り、いい焼き上がりの豚肉、炒められた玉ねぎとモヤシもシャンっとしている。
これぞまさしく「ザ・生姜焼き!」というものだった。
運んできてくれた店員さんも「今度のは絶対大丈夫!大丈夫なのでお召し上がり下さい」と言うではないか。なんというか、最初からこれを出して欲しかったですよ? あれは絶対に失敗作だったのですね? さっきのは大丈夫じゃなかったんですね? と内心思いながら「わぁ~ありがとうございます~~」と笑顔で受け取った。
いざ、食べると、ちゃんと美味しい生姜焼きでした。
ごはんも、ちゃっかりおかわりしました。
エッセイ講座後に「天にも昇るような心地」だった私。
同日に起きた、生姜焼きコゲコゲ激おこ事件。悲しみもあった。
悲しいとき~~悲しいとき~~
コゲコゲの生姜焼きを何食わぬ顔で出されたとき~~
……でしたよ?(根にもつタイプですよ?)
すこぶる嬉しいことのあとに、悲しいことがあって、
人生バランスとれてるな~~と実感した1日でした。
そんな私に幸あれ☆
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