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3月11日

13年前の3月11日。

私は福島県の中通りに住む高校2年生だった。

私は家に祖母とふたりでいた。

学校の授業は採点期間とかで休みだった覚えがある。
確かあの日は部活はあったのだが、私は寝坊したか、
ちょっと行くのだるいな、とか。
しょうもない理由で休んで家にいた。

こたつに入ってぼんやりとテレビを観ていた。
14時から韓流ドラマがやっていた。
面白いと思わなかったが、ぼんやりと観ていた。

なんか、退屈だな。
早くお母さん仕事から帰ってこないかな。
弟は学校終わりに友だちと遊んでるのかな。

そんなことを思っていたと思う。

ちょっと揺れて「あ、地震だな」と思って
「まあ、すぐ収まるだろうな」とあまり深く考えていなかった。

ちょっとだけかと思った揺れ。それは思ったより長かった。

のんきにテレビを観続けていた。

祖母はなんだか胸騒ぎを感じていたのか、こたつを出てうろうろしていた。

祖母が私の名前を呼ぶ。

「戸を開けろ!」

祖母はこの日の地震に限らず、地震がくると
家の戸を開けろと言っていた。

私はなんだか億劫に思いつつ、こたつからやっと出て、家じゅうの戸を開けて回った。

揺れはどんどん大きくなっているように思った。

テレビには、地震速報。

家がカタカタと不気味に物音を立てていた。

普段は大人しい祖母が「外さ、出るぞ!」と大声をあげた。
私は内心「玄関から出たらいいのに……」とか思っていたが、
祖母の言葉に大人しく従った。
祖母の声は力強かった。
今思うと、80歳を過ぎて、戦争を知っていて、
経験から何かこみ上げてくることがあったのかもしれない。
もしかしたら、孫の私を守らなければと思ったのかもしれない。

居間の脇のガラス戸から、足の悪い祖母を支えながら靴下で外に出た。

のんきでいた私も、さすがに不安を覚えた。

不安と心配で言葉を失っている孫と、
不安と心配で言葉を漏らす祖母。

二人で肌寒い中、身を寄せ合って、揺れる家を眺めていた。

祖母は「おじいさん、助けてください、助けてください」と言い、
亡くなった祖父に願っていた。

その後、地震は収まり、家は倒壊することなく、
家族と連絡が取れて無事に合流が出来た。


あの日、祖母は「命があって良かった」と言っていた。

私は「部活をずる休みして、良かったな」と思っていた。


あの日から、13年。

祖母はもういない。

3月11日が来るたびに私はあの日のことを思い出す。










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