【備忘録】出逢ったばかりの贔屓が退団を発表した話①

2025年1月某日、私は贔屓の退団を知った。
まだ彼女と出逢ってから、1年も経っていなかった。

~はじめに~
ご訪問ありがとうございます🌸
これから、宝塚との出逢い~現在までのお話を書いていきたいと思います。
最初に2点お断りしておくと、
・4回+あとがきの計5回予定。長いです。
・普段は恐れ多くて“贔屓”という言葉は使わないようにしているのですが(もっとファンとして修業を積んでから使う言葉だと思っている)、ここでは文字数と伝わりやすさの都合から“贔屓”という言葉を使用します。

以上ご理解の上お付き合いいただけると嬉しいです。

◇舞台と私

舞台との出逢いは、劇団四季『CATS』だった。
まだ小学校低学年だった私には正直難しいところも多かったが、ミストフェリーズの高速フェッテに度肝を抜かれ、ヴィクトリアの美しさに恍惚とし、客席降りではシラバブと握手をした。
あまりの輝きと迫力に、とにかく圧倒されたことをよく覚えている。
終盤、「いっぱい拍手をすると、猫ちゃんたちがもう1回出てきてくれるんだよ」と母が教えてくれたのでその通りにしたら、1回どころか何度も何度も幕が上がったので、このまま帰れなくなったらどうしようと思ったりした。人生初のカーテンコールの思い出である。
以来、私は様々な舞台に触れてきた。
落語や歌舞伎、お笑い、オーケストラ。家族や友人と色々なジャンルの舞台に足を運び、そのたびに生の舞台の素晴らしさを感じた。
中でもやはりミュージカルは特別で、劇団四季だけでなく、『メリー・ポピンズ』や『千と千尋の神隠し』も観に行った。諸般の事情で流れてしまったが、東宝版『アナスタシア』のチケットも持っていた。
好きが高じて、学生時代にはアマチュアの舞台制作に携わったこともある。
その道に進むことこそなかったけれど、舞台が私の人生に欠かせないものであることは間違いない。


◇未知なる世界・タカラヅカ

こうして書いてみると、もっと早くに宝塚と出逢っても良さそうなものである。
現に、身近にも生粋のヅカファンはいたし、親戚の同級生がタカラジェンヌだったという話も聞いた。興味を持つタイミングはいくらでもあったはずなのだ。
だが実際は時折テレビ番組などで目にする程度で、宝塚は未知の世界だった。
今思うと、よく知りもしないのに"宝塚=貴族の趣味"だと思い込んでいる節もあったし、随分深そうな沼だと予感して、気安く足を突っ込むべきではないという嗅覚も働いていたのかもしれない。
いずれにせよ、自分が宝塚にハマる日が来ようとは思っていなかった。


◇宝塚との出逢い

きっかけは、109期生の卒業式だった。
宝塚音楽学校の卒業式といえば毎年何となく目にするニュースではあるが、この年は特別だった。
遡ること3年前、バラエティー番組『沸騰ワード10』で宝塚受験の密着企画が放送されていた。宝塚OGが主宰する受験スクールに密着取材する、という企画だ。
その年に密着されていたのは確か4人。私はそのうちの1人、“ゆうちゃん"が気になっていた。
ゆうちゃんは、レッスン中にも度々涙を流し、“泣き虫ゆうちゃん"と呼ばれていた。VTRによると、ご両親との約束でその年が最初で最後の受験とのこと。しかし結果は2次試験で不合格。カメラを向けられ「この先のことはまだ考えられない」「夢を追えて楽しい時間だった」と涙ながらに話す姿に胸を打たれた。
ところが、その数ヶ月後に放送された同シリーズで、再びゆうちゃんが取材されていた。彼女の努力を認めたご両親がラストチャンスへの挑戦を許してくれたのだそう。前年とは打って代わり、1粒の涙も流さずレッスンに取り組んだゆうちゃん。迎えた合格発表の日、彼女が流したのは嬉し涙だった。夢を掴んだ晴れやかな姿があまりに眩しくて、当時人生の岐路に立っていた私も泣いた。
そのゆうちゃんがいる109期。
成績順に着席する美しい卒業生たちの最前列に彼女の姿があった。周囲には同番組で一緒に合格したメンバーの姿もあり、みんな頑張ったんだね、すごいね、という気持ちになった。
数分のニュース映像で最も頻回に映ったのは答辞を読んだ首席の生徒だったのだが、これが大変に美しい生徒さんだった。
目鼻立ちのくっきりした顔立ち、雪のように真っ白な肌、答辞を読み上げる澄んだ声。何より、音楽学校を卒業するという誇りと未来への希望に満ち溢れた表情に惹き込まれた。
“音綺みあ"
それが、後に発表された彼女の芸名だった。

つづく

いいなと思ったら応援しよう!